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近鉄鶴橋駅の奈良方面ゆきホームのさらに北側にある使われていないホーム

近鉄鶴橋駅の奈良方面ゆきホームのさらに北側にある使われていないホーム について教えてください。 相当昔40年以上前から今と同じ状態だったように思っています。 (布施がまだ高架になる前、上六が終点の頃から)

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回答No.3

No.1です。 今日この近鉄で鶴橋駅を通りました。しっかり見届けました。たしかに廃ホーム現存していました。 現在のホームに比べるとかなり短く、しかも先細り、奈良方面行き電車の前部に乗っているとホームを外れてしまうので気がつかないわけです。 このホームのサイズ、形状から見ても戦前の小型車用のものであったことは明らかで、廃止後も人家の密集する所の高架上で取り壊す危険を避けるために放置されたのでしょう。

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その他の回答 (2)

  • ultraCS
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回答No.2

地元でもなんでもないんですが(親戚は南大阪線だし) 近鉄鶴橋 廃ホームで剣先したら、こんなのが出てきました http://borabora.seesaa.net/article/4694727.html

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回答No.1

お恥ずかしい話ですが、私はいつも奈良線を利用しているくせに、今でもあのホームが現存するかと問われたら、ハテと首をかしげてしまいます。いつの間にかなくなったような気もするのですが、錯覚でしょうか。 それはとにかく長年幽霊ホームのように不使用のホームがあったことは事実です。 そこで私の推測ですが、戦前から布施~上本町間は奈良線と大阪線と線路を共有していました。つまり今のような複々線ではなく、単なる複線でした。おそらくその当時は鶴橋駅も単なる複線駅でしたから、その北側ホームともう一本を相対式ホームとして使用していたのではないでしょうか。 それが昭和30年代初頭に布施~上本町間両線分離の複々線の大工事が実施されました。その際に鶴橋駅が今のような島式ホームが2つ並ぶような構造になって、それまでの奈良行きホームは廃止、放置されたのではないでしょうか。これはあくまで私の推測です。 その当時、あの複々線は北側2本が奈良線上下、南側2本が大阪線上下でした。その後駅の構造にも国鉄連絡駅として色々改造が加えられましたが、今のようなねじれ方式になったのは布施駅高架が完成後の昭和50年のことです。

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