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ファミコンとプレステ

ファミコン、スーパーファミコンが開発されていたころにはCDROMをつかわないでゲームをつくっていたのはなぜですか?当時音楽CDなどでCDROMが使われていたのになぜゲームではあのような記憶量の小さいものをつかっていたのですか?

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  • oryaaaaa
  • ベストアンサー率35% (75/211)
回答No.10

具体的には読取装置は音楽用とデータ用でどのように違うのでしょうか? 読み取り装置は、CDROMの規格書にあわせて作られます。いまの家電 機器からは想像できないと思いますが、いまのように装置にコンピュー タを簡単に組み込むことができませんでした。CD-AudioとCD-Dataと 二つの規格があった場合、どちらか一方しか対応できませんでした。 音楽用はスタート位置さえ決めて、そのまま連続してデータを読んで いけば済むので単純な構造で済みます。データ用はOSとドライブを 連携させるための制御命令セットやドライバー、その制御命令で動く ようにドライブを動かす機構、これらはどれをとっても音楽用とは 事情が違ってきます。 音楽用は簡単な制御回路があればドライブを駆動できました。データ 用はパソコンと連携をとるための賢い回路が必要だったのです。

mamoko7
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (9)

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.9

ちょっと調べたら, CD-DA の規格 (Red Book) が 1981年あるいは 1982年, CD-ROM の規格 (Yellow Book) は 1984年あるいは 1985年とか. ということで, ファミコンで CD-ROM を使うことは不可能です. また, スーパーファミコンなら時代的には CD-ROM を使うことができますが, 1990年当時を思い出すと CD-ROM のドライブだけで 1万円を超えるくらいですからやっぱり使えないかと.

参考URL:
http://en.wikipedia.org/wiki/Compact_disc
  • taunamlz
  • ベストアンサー率20% (175/843)
回答No.8

http://www.amrstation.com/style/media/cd.html このサイトを見るとCDの規格が決まったのが1982年 ファミコン 1983/7 スーパーファミコン 1990/11 ファミコンはCDの規格決定直後の製品ですから当然CDなんて想定してないと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4 ブルーレイの規格が出来たのが2002年 PS3でブルーレイが使用されるようなので2006/11 DVDの日本発売が 1996/11 PS2 2000/3 ブルーレイからPS3、DVDからPS2までの期間が4年なのでスーパーファミコンにCDは付いてもよさそうですが、実際CDになったときに変わった事って 1、2Dから3D(しかも初期ゲームを今見ると無残ですよね?) 2、音声 3、ムービー 等で、ゲームの内容自体は大してレベルアップしているとは思いません。 多少ジャンルは増えましたが、増えたジャンルは当時のCPUでは処理しきれなかったと思います。 なので、不要な容量の記憶媒体だったという事だと思います。 そして、FC,SFCだとカセットにゲームデータを保存できるという利点があります。 PS,PS2等は外付けのメモリーカードを使ってますよね。最初はとても不便だった記憶があります。 以上の理由からICを使ったんだと思います。 今でも小型ゲーム機ではCDやDVDでないゲーム機がありますので、十分なスペックだったと思います。 あと、任天堂がCDをあまり好きじゃないというのもあるかもしれません。 たしかニンテンドー64ってCDじゃないですよね。他社はその時期もうCDだったと思いました。

  • jugger
  • ベストアンサー率58% (3249/5586)
回答No.7

当時のゲームはROMカセットで供給されていましたね。 任天堂がROMカセットにこだわり続けたのは、読みこみ速度が速いことの他に、ロイヤリティによる収入が莫大だったためです。 ゲームを発売するには任天堂と契約して、ライセンス料を払わなければ行けません。 他にもゲーム内容を任天堂が審査して、それにパスしなければ発売できません。年間の発売本数も制限されていました。 何よりROMカセットは任天堂で生産することになっていました。この際にはロイヤリティを支払わうことになり、100万本単位で作りましたのでその収入は膨大な額になりました。しかもゲームメーカーはその代金を前払いしなければいけませんでした。 その時が忘れられないのか、今もROMカセットにこだわっているようですね。 ソニーが逆転できたのは、CD-ROMにしたからだと言われています。 任天堂はそのロイヤリティで得た潤沢な資金が今も残っています。現預金で8000億円程度持っています。 これは日本の企業で5本の指に入る額です。

参考URL:
http://homepage3.nifty.com/mana/PS-1.htm
  • yambejp
  • ベストアンサー率51% (3827/7415)
回答No.6

CDROMのドライブが高い。・・・本体価格が高くなる メディアが高い。・・・ソフトの価格が高くなる シークが遅い。・・・ゲームがおそくなる 特に昔は○○倍速なんてCDROMドライブなかったですから ゲームが成り立たないほど読み込みがおそかったです。 またファミコンの当時はセーブという概念がほとんどなく その延長にあったスーファミでもセーブとはROMに 搭載されたセーブメモリに電池バックアップでおこなう という考え方でしたので、PSのようにメモカが分離してない 筐体ではCDROMはありえません。 マルチメディアのご時世になり、音声やサウンド、 美麗なグラフィックや3Dデータなどが必要になり 全体的に価格もこなれてきて光ディスク搭載に シフトしてきたので、明らかに情況がちがいます。 MSXのようにフロッピーとROMでゲームが 供給されていたりするケースもあるので、 メディアというのはニーズにあわせて最適なものが えらばれてきたことが伺えます。 PCでいえば88MCなどCDROM搭載を声高に宣伝した マシンがありましたが、ほとんど活用されませんでした。 CDROMがついていればいいわけではないお手本でしたね。 一方、X68やTOWNSなど大容量ROMのすごさを体感できる マシンもあり、各社戦略があったのでしょう。

noname#198951
noname#198951
回答No.5

>それではCD-ROMのほうが値段が高かったのですか? >スーパーファミコンからプレステになってソフトの値段が下がったので >自分はCD-ROMのほうが安いのかなとおもっていたのですが‥ CD-ROMのメディアは音楽CDの普及で安くなっていきましたが、当時はCD-ROM ドライブが高かったということですね。 その当時2万円くらいしましたから。 それにICのROMであれば工場を持ってたのでそれがそのまま使えますが,CD-ROM の場合はそれ用の工場を作るか、CD-ROMをプレスしてくれるメーカーを探して そこにやってもらわなければならないのでコストがかかりました。

  • renton
  • ベストアンサー率34% (1720/4934)
回答No.4

当時の記録媒体はフロッピーが主流で、HDDすらないなんて事もありました。 当時のコンピューターのスペックも8色や16色などの色数しか使えず、2Dの画像だけ扱っていればデータ容量が非常に少ないものでした。 よって容量が少なくとも、特に問題がなかったのだと思います。 今のようにゲーム中にムービーが入っている訳でもなく、非常に小さなデータしかありませんから、CD-ROMの殆どが使われないままになるはずです。 それと、当時はCD-ROMドライブも高く、子供用のゲーム機に使えるほど安価に入手できなかったのでは?初代ファミコンが白なのは、開発当初にプラスチックの白が一番安くできるためだったという事もあるほど製造コストを考えられて作られたそうです。 ↓昔のゲームの開発秘話などが聞けます。 http://reco.jfn.co.jp/podcasts/tokyo/16shot/

noname#55437
noname#55437
回答No.3

当時、おそらくCD-ROMなどや、それを再生するための機器を作るとなると、コスト的に高くついたのでしょう。 さらに、当時のゲームにCD-ROMを使うほど大きいサイズの媒体は必要とされなかったからだと思います。CD-ROMを必要とするゲームを仮に作れたとしても、それを処理するハードの性能が追いつかなかったり、開発費が高くついたりと、バランスが取れないからだと思います。 例えば、ファイナルファンタジー6の箱の裏には「大容量25メガ」と書いてありますが、25メガとは、25メガビットのことで、バイトに直すとたったの4メガバイトです。さらにドラクエ1などはその容量が1メガバイトありません。 そんなゲームのサイズに容量が650メガバイトもあるCD-ROMを使う必要性はないでしょう。

mamoko7
質問者

お礼

ありがとうございます。 むかしは大興奮していたゲームがそのような小さい記憶容量でできていたのにはショックをうけました。

  • oryaaaaa
  • ベストアンサー率35% (75/211)
回答No.2

データ用のCDROM読み取り装置が高価であったからです。音楽用と データ用でドライブ装置の作りが違っていました。その当時、パソコン で主に使われていたのは2HDのフロッピーディスクです。データ用の CDROM読み取り装置は10万円ぐらいしたかな。スーファミがでて 2年か3年するとDOSV互換機が急速に普及してCDROMドライブが 安く買えるようになったと記憶しています。 データ用のCDROMはとにかく高い高級品でした。いまのブルーレイ やHD DVDと同じような存在です。

mamoko7
質問者

お礼

ありがとうございます。 具体的には読取装置は音楽用とデータ用でどのように違うのでしょうか?

noname#198951
noname#198951
回答No.1

CD-ROMでソフトが提供されるようになったのはPCエンジンが最初ではないでしょうか? それ以前はROMと呼ばれるICにデータを記録していたのが一般的であり、ゲームセンター (アーケード)のゲームもそのようになっていました。それが一般的であり安価だった からです。またCD-ROMのように複製を作るのが一般的に難しく特にプロテクトも必要と していなかったのも要因かもしれません。

mamoko7
質問者

お礼

ありがとうございます。 それではCD-ROMのほうが値段が高かったのですか?スーパーファミコンからプレステになってソフトの値段が下がったので自分はCD-ROMのほうが安いのかなとおもっていたのですが‥