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職業訓練校

すべての中学、高校、大学で、将来の自分の職業に関係のない科目は一切勉強しないで、ただひたすら職業訓練の場として様変わりするという事態が怒るとすれば、どう思われますか?もちろん大学の教養部もなくすということです。 だから無論入試もないしある程度基礎をやったとことを証明する教師の印鑑一つと、論文のようなものをちょっと書きさえすれば、どこの大学にでも高校にでも入れるとしたら。そういう考えをどう思いますか?

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回答No.4

職業訓練校卒業のものです。 >近所の元有名校校長が言っていること これは多分ドイツの教育のことを見習っておっしゃったことだと思います。詳しくは知らないのですがドイツの教育だと大まかに言って中学以降、職業訓練校と総合大学の2つの道に分かれるそうです。 ↓今さっき検索かけて調べた頁です。 http://steiner.blume4.net/d_schule.html ただし、ドイツでもちゃんと試験はあるみたいです。 ドイツの教育方法は決して間違ったものではないと思います。 しかし、 >すべての中学、高校、大学で >だから無論入試もないし… 本当にこういう言い方をしたのであれば自分は賛成はしません。 全ての中高大がこうなってはいけません。且つ、試験が無いなんてとんでもない、まして教養部をなくすとは。 確かに、自分は教養部がほとんど無く専門ばかりでした。ですので自分に教養があるかと言われれば「ない」と断言しましょう。普通の高校大学出はさぞかし教養があることでしょう(皮肉?)。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 その有名校元校長は、ドイツとかそんなことは、全然調べずにただ自分の思い付きを言ってるだけのようでした。だからしっかりした裏付けなしに言ってるので、叩けばどんどんホコリが出てきます。しかし本人は真剣にそれを文部科学省に提出するつもりでいます。

その他の回答 (3)

回答No.3

職業訓練といっても、就職当初から最後まで同じことをする人は稀で、特に総合職の会社員でしたら配置換えなどでいろいろな職種を経験すると思います。そしてそのそれぞれが、見かけ上は同じでも企業によって異なります。 従って高校や大学在学中にそれらを全部こなすことは不可能と思います。通り一遍等でやる程度の内容ではあまり意味がないでしょうね。 そもそも学生というのは職業訓練マシーンではなく、さまざまなことを通じて人間性を身につける立場にあるはずですので、ご質問者様の提案されるようなことが現実になって欲しくないです。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 私もまったく同感です。 これは私の提案でなく、近所の元有名校校長が言っていることなんですが、私もどう考えても、この人の考えはおかしいと思っています。

  • john_john
  • ベストアンサー率30% (75/245)
回答No.2

こんばんは。 私は今、通訳養成所に通っています。 勿論実践向き英語力向上の為、 戦略的英語教育を受けています。 しかし、「英語を上げたかったら日本語を磨け」と言われています。 世間では意外に思われるかもしれませんが、 通訳養成所において、 日本語がものすごく重視されているのです。 なぜなら、外国語が母国語を抜くことはないからです。 つまり、日本語力が低ければ英語力も低くとどまる。 日本語力が高ければ英語力も高くなり得るということです。 ですから、もし英語で食べて行きたい人がいたとして、 英語だけ勉強していたのでは、 仕事にありつけないでしょう。 英語を英語のまま理解するのと同時に、 「自然な日本語に即座に訳す」ことが必須だからです。 また高校時代に習った世界史や日本史が背景知識となり、 初めて聞く英語でも訳しやすくなるということもあります。 何がどこで役に立つか分からないので、 幅広い面での教養は必要だと思います。 それに仕事うんぬんだけじゃなくて、 人間として教養は身に付けておきたいですね。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 私もときどき翻訳をやるのでそれは痛切に思いますね。哲学や心理学や医学、工学、政治などどんなトピが出るか分らないので高校程度の教養はぜひとも必要ですよね。

noname#49664
noname#49664
回答No.1

世の中には、「教養」を必要とする職業というのがけっこうあります。その教養の中には、政治経済や歴史などはもちろん、多くの分野での基礎的な学力が含まれます。そうした職業の場合、職業訓練としては国語数学理科社会英語音楽美術体育などをまんべんなく学んでおく必要が生ずるでしょう。 そうした職業というのは思った以上に多いような気がします。例えば私は技術系(主に技術文書の作成や開発)をしています。技術系・開発関係なんて「理数系だけわかればいい」と思われる人も多いのですが、まったく違います。中学高校ぐらいで習った国語数学理科社会英語って本当に役立ってるんですよね。クライアント先の会社の業務内容などによっては、予想してなかった分野の基礎知識が必要となることもあります。  もし、何か別の職業を目指していてそうしたものを全く学んでいなかったとしたら、今の仕事に携わるのはかなり困難だったでしょう。この職業も、意外に多くの分野の知識をちょこちょことしってないといけなかったりするのです。 特定の職業に必要なごく狭い知識だけを集中して学ぶというのは、いざその職業に就けなくなったとき、転職を困難にするでしょう。そうした点を考えるなら、あまり極端に「特定の職業のためだけの学習」を行わせると、社会が硬直化するような気がします。 入試云々についてですが、職業訓練の場として様変わりしても、おそらく同じような分野の学校の間で格差というのは生じるでしょうし、そうなればいわゆる入試に相当するものもなくならないように思います。特に、技術や高度な知識を必要とする分野の職業においては、「より高度なものを持っている人間」の奪い合いが必ずあるはずで、同分野の学校間の格差や入試による選別は当然生まれるでしょう。 また、特に日本という社会は「より立派な肩書き」をありがたがるところがあるように思えます。そうした社会が変わらない限り、何らかの形で格差は生まれるでしょう。 無論、良い点もいろいろとあるでしょうが、弊害も多そうで、そうすることによるメリットをあまり実感できないのではないか、という気がします。もっと昔ならば、こうした制度は有効だったような気がしますが、これだけあらゆることで流動的な世の中になってしまうと、この種の制度はデメリットのほうが大きくなってしまうように思うのですね。

noname#20618
質問者

お礼

ありがとうございました。 ご丁寧にご回答いただきとても参考になりました。 確かに、一つのことだけやるのは現代社会では相当な無理がありますよね。

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