なぜ人は他人に起きた出来事に憤慨できるのでしょうか?
なぜ人は他人に起きた出来事に憤慨できるのでしょうか?
この場合の他人とは、「赤の他人」を示します。
つまり、自分の実生活とはまったく関係のない人です。
例えば、最近話題になった事件で、
「ドブスを守る会」として、嫌がる女性を追いかけ回し
中傷する様子を撮影したうえ無料動画サイトにアップした
大学生たちが退学処分となりました。
この事件に関して、私はその学生たちに怒りを感じましたし、
同じく彼らを批判し、非難し、被害者たちに対して
「かわいそうに、どんなに傷ついただろうか」と
言っている方がたくさんいます。
実際、この学生たちの身元が割り出され、
さらに余罪が判明するきっかけになったのは、
この事件に憤った匿名掲示板の利用者たちが
情報を次々と突き止め、公開していったからだそうです。
中には面白半分で乗っかった人もいるでしょうが、
大半の人が自分の憤りから行動に出たであろうことは、
おそらく間違いないと思います。
そこまで行動するかどうかは差し置いて、
こういった感情の動き(憤りなど)は、ごく自然なものでしょう。
自然だからこそ「なぜそう感じるのだろう?」と不思議に思いました。
上記の例は国内の、比較的近い場所で起こりました。
でも、実際は、海外で起きた事件などに対しても
大なり小なり同じような感情をもちますね。
つまり、確実に自分の生活にはかかわりのない人も対象になります。
なぜ人は、赤の他人に起きた出来事について、
このように感情を動かされるのでしょうか?
ぜひ、皆様のご意見を伺いたいと思います。