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昔、畑人形と呼んでいたものについて

もう40年以上も前のことですが、新設の学校で校地整備の作業を生徒がやらされたことがよくありました。 その際、校地や周辺の畑から動物や七福神などを象った素焼き粘土のような物がたくさん出ました。その地方では「おちょこす」「畑人形」とか呼んでいたように記憶しています。 あれはいつ頃の時代にどんな目的で誰が作ったものなのか、また、どうして畑にたくさん埋まっていたのかいまだに疑問で、知りたいと思います。ハイヒールを象ったものまでありましたのでそんなに古い時代のものではないのではと思いますが・・・根付ぐらいの大きさのものが多かったように思います。 ご存知の方、教えてください。

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  • sidennkai
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回答No.1

以前、発掘調査の最中に数個出土したのを思い出しました。 通称「泥面子(どろめんこ)」の事だと思います。 「泥面子」で検索されるとかなりHITします。www.ntv.co.jp/burari/030531/info07.html

参考URL:
www.ntv.co.jp/burari/030531/info07.html
nyagora
質問者

お礼

泥面子というのですね。教えていただき有難うございました。 早速検索したところたくさんヒットしました。江戸時代の子どもの玩具がごみとして畑に捨てられたというのが一般的な推測のようですね。 私はその当時熊本市の東部、健軍に住んでいたのですが、サイトを見ていましたらまさに健軍に住んでいたという方の書き込みを発見しました。 「ちょこし」と言っていたということですが、「おちょこす」と同じ感じです。本来は「うちおこし」というものが訛ったものだということです。豊作祈願の意味で畑にばら蒔いたという説もあるようですね。 江戸時代に作られたものが多いのでしょうが、私が覚えているものでは「ハイヒール」「西洋人形」などもあり、それらは色が薄くて新しい感じでした。 写真も見ました。記憶にあるものと同じで、懐かしい思いにひたりました。何だかすっきりしました。有難うございました。

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