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重大事件の弁護士の心中とは?

先日、某重大事件についてほぼ死刑確定との記事が出ました。 これに対し、被告の弁護団は 「出来る限りの方法で対抗する」との声明を発表しております。 ここで前から私が疑問に感じていたことについて、 みなさまからご意見を頂きたいのですが、 このような重大事件において弁護を担当する際、 弁護士本人の心中とはいかがなものなのでしょうか? 今回の事件に関しても、世論に関してはそのほとんどが 「早く死刑にして欲しい」 というものなのではないかと思います。 また長引く裁判に関し、不満の声も多数聞かれます。 こういった、大袈裟に言えば国民全体を敵に回しかねない裁判でも 弁護士というのは被告の無罪を主張できるのでしょうか。 それとも、弁護を拒否した人が多く仕方なしに嫌々やっているのでしょうか。 1国民としてこの事件に大変な憤りを感じる自分としては、 この現状においても被告の無罪を主張し、 裁判を長引かせようとする弁護団の行動は正直理解を超えています。 弁護士がいなければ被告が不利になるという基本的なことは当然ですが、 ここまでの凶悪事件の場合、超法規的措置があってもいいかと思います。 しかし法の壁というのは、そこまで高いものなのでしょうか。 法律が人間のためにできているとは思えなく、矛盾を感じています。 長文になりましたが、みなさまの意見をお聞かせ頂ければ幸いです。 可能ならば現弁護士(見習い)・一般人など様々な見地から聞けると嬉しいです。

みんなの回答

noname#49716
noname#49716
回答No.3

何かの本で読んだのですが「司法だけは最大多数の幸福の原則にあてはめてはならない」というのがあります。 たくさんの人が生活する社会の中で重大な犯罪を犯す人などごくわずかです。ましてや殺人などはほとんどの人生で無縁でしょう。だから多くの人は自分がそうなったことを考えずに勝手なこと、例えば極刑にすべし、ということを言いがちです。しかし人を裁くということはその人の生涯を左右することであり上場の酌量、厚生の余地、いろんな面をかんがみなければならず決して国民のいうように軽く答えてしまってはならず、裁判官などの司法関係者は決して国民世論に流されてはならないのです。 また弁護士にしても法律のエキスパートである検察に立ち向かう被告人の唯一の味方でなければいけません。そして弁護士は被告人の利益だけを考えそれが実現するために可能な限り手を尽くすのです。 この裁判の弁護人はそうとうつらい批判やいやがらせに耐えていることでしょう。しかし死刑判決が濃厚なのが現状ならばできるだけ裁判をひきのばし生存の道を模索する。どんな悪人でも最大限助ける。これが弁護士の使命であり、「被告人に最大限の利益を」という弁護士の職業倫理にのっとった素晴らしい行動だと思うのです。 まちがっても「コイツは間違いなく悪人だからさっさと死刑で手を打とう」などと考える人間は弁護士になってはいけないと思います。

pianopop
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 なるほどと感心させられました。 最大多数の幸福の法則なんてあるんですね。 >人を裁くということはその人の生涯を左右することであり >上場の酌量、厚生の余地、いろんな面をかんがみなければならず ここに関してあえて素人丸出し(実際素人なんですが…)の意見を出させて頂くと、 被害者家族はどうなるの?ということです。 世論は置いておいたとしても、例えば殺人事件で家族が殺されたケースなどは 私は司法関係者・マスコミ・世論以上に その家族の意見が尊重されなければいけないと思うのです。 もし私が、現在の恋人が殺されたとしたら、 間違いなく犯人を殺しに行くと思います。 情状酌量・更正なんて全く考えることなく、復讐するでしょう。 (完全に個人的な意見で恐縮ですが、  家族ならこれくらいが普通ではないかと思います) 冤罪の可能性もありますし、現行制度それが実現しえないのでしょうが、 あまりにも残された家族が不憫です。 この話は殺人のケースに限定的になってしまうので ちょっと司法制度の話から離れてしまってますが、 いかに被告人を守る必要性があっても、 被害者が置き去りにされてるのではと思ってしまいます。 検察がどれくらい被害者の味方になってるのか分からないのですが、 弁護士は被告にべったりなのに、検察は被害者と無関係のように ニュース等見てるとそのようなイメージを持ってしまってます。 ご意見ありがとうございました。

  • onara931
  • ベストアンサー率25% (141/545)
回答No.2

一般人です。 世間が注目する重大事件で無罪でも勝ち取ろうものなら、その弁護士が大いに株をあげることは想像に難くありません。 つまり、腕のいい弁護士としてのレッテルを得るのです。倫理観についてはどうか分かりませんが。 ともかく辣腕弁護士としての名をあげれば、その後の仕事の受注にも有利ですし、大いに宣伝になる訳です。 仮に無罪を勝ち取れなくても、被告側からみて期待出来る弁護士とうつれば、営業的に有利ですね。 こう書くとまるで普通の商売と変わらない、あるいはそれ以下にえげつないように見えますが、そのつもりで書いてます。 法律の運用というのは決して公正でなく恣意的なものであるように思えます。その範囲内で彼等は屁理屈を並べ、正論を主張するだから質が悪いです。 弁護士が正義の味方なんて思ったら大間違いで、頭のいいヤツが金儲けのために有利な職業についている、というのが実態でしょう。だから被害者側の感情などまるで無視して自分の正論だけを振りかざすのです。 もちろん、本当に弱者の味方だったり、公正な弁護士さんも多いですし、大多数はそうだと思います。 ただご質問の案件のようなケースがあると、弁護士全体が法律を楯にした金の亡者であるかのように思えてしまします。 ちょうど先生や警察官の不祥事が報道されると、最近の公僕は!と感じるのと同じ心理。

pianopop
質問者

お礼

なかなか痛快な意見ありがとうございます。 そういう見方もありえると。 相当タフで、名を挙げようと思っている人間なら 重大事件の弁護士に名乗り出る人もいるのかもしれませんね。 もし、今回の事件で仮に無罪が出たとしたらどうなるのでしょう。 おそらく、この先の仕事は多数見込めます。 しかし世間から見たらきっと最低な人間として見なされるでしょう。 (今回の事件の犯人が本当にあの被告であるのかないのかは  「一応」現段階では不明ですが…) それでも金が手に入ればいいと思う最低な人間なのかな…? ちょっととんがった意見かと思いますが、 自分の認識についても考えさせられました。 ありがとうございました。 …それにしても、もはや誰を信じたらいいのか よく分からない嫌な世の中になってしまったもんですね。 警察だって信じられない、行政はもともとだけど。

  • akio_myau
  • ベストアンサー率34% (515/1480)
回答No.1

確かに早く死刑にということは心情的には理解できますが、法治国家である以上法律に従った制度どおりするしかないでしょう。 重大事件の弁護士は大変だと思いますよ。特に圧倒的な世論とは逆の弁護する場合には。それでも、それが仕事だし、依頼人の意向にそむいて弁護することは出来ません。そういう意味では弁護団に対しては同情するしかないでしょう。 超法規的に出来ないかですが、超法規的措置を認めるための判断をするのは誰がするのでしょうか。世論の圧倒的な支持があればなんてしまえばそれこそ「魔女狩り」にも発展しかねません。 その意味でも裁判官による判断は必要なのだと思います。ただ、あまりにも日本の裁判は時間が掛かりすぎると思いますが。もっとも、早くてもアメリカ式の制度が良いとも思えませんが。

pianopop
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 超法規的措置に関してはおっしゃるとおりですね。 独裁に繋がると思います。 それにしても今の日本の制度は時間がかかりすぎですよね。 そしてその意味でも被告人に有利で被害者に非常に不利だと思います。 もちろん冤罪も多いので、被告=犯罪者と言い切ることが不可能なのは分かるのですが、 なんかこう、はたから見ていても不満の残る展開です。 特に被害者の親族などは見るに堪えられない状況で…。