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羞恥心のない国

テレビの、東南アジアとかの部族、たちのドキュメンタリーなどで見かける、 衣服をつけずに裸でいる女性がいますよね。 そういう人たちは、我々のように「裸だと恥ずかしい」と思わないんですか? カメラまで向けられていても平気そうですよね。 そういう文化なんでしょうか。知りたいです。 教えて下さい。

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  • Kon1701
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回答No.7

裸、といってもわずから衣類(?)を身に着けていることが多いですね。これは日本人などの感覚からすれば全裸と同じと感じるとおもうのですが、現地の人から見れば違うようです。 ある研究者が現地を訪ねたときのことですが、研究者が現地の人を真似て全裸で外を歩き回り、顰蹙を買ったそうです。 研究者の感覚では全裸であっても、現地の人にとっては違う、ということだったようです。 この例から見れば、「恥ずかしい」とは思わない、となるのでしょうね。

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  • j-m
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回答No.10

 大航海時代後の宣教師らが主にアフリカ、太平洋の島々で裸族の女性に衣類(スカート)を着用させた最初の頃はあまりの「恥ずかしさ」にそのスカートで「顔」を覆った(当然下半身丸見え)そうです。少し経つと慣れてくるのですが道中でご近所の知り合い(未着衣の共同体成員)に遭遇するや慌てて道端の草むらに体を潜めたとのこと。  また、ヌーディストビーチで1人だけ衣類を着て過ごした体験者の弁では2日目位から「自分自身(=着衣)がなぜか恥ずかしくなる」とのことです。    地域共同体や団体内での社会的圧力(仲間内から逸脱しないように努める)が「恥」を生む要因で「文化」とかではないかもしれません。  今はどうか知らないのですが少し前の中国のトイレ事情(遮蔽物が無いので後ろから丸見え)や公衆浴場内での立ち振る舞いのことを考えると「時と場所」をわきまえない「行為=裸」が「恥」か?

  • tachiuo
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回答No.9

 この問題に関して面白い本がありますので紹介します。和田正平著『裸体人類学-裸族からみた西欧文化』(中央公論新社)。元々、中公新書として出版されたようですが、現在では紙の本は絶版となっているようです(Amazonで中古品なら買えます)。また、現在「中公新書E版」(電子書籍)として売られています。中央公論新社のサイトから入ってください。  本書で述べられていることですが、着衣の習慣が身に付いた者にとって、裸体は「脱衣」なのです。ここに羞恥心が発生します。ところが、裸族は最初から服を着ていないので、「脱衣」の結果としての裸ではないわけです。ここが大きな違いです。

noname#70326
noname#70326
回答No.8

文化とか習慣(価値観)の違いを知るためには、まず自らの文化への理解が必要です。 自分達が普段常識と思っていることが、どういう歴史的経緯でそうなったのかを知り、自国の文化や習慣(価値観)への理解を深めていくことで、他国の文化や習慣への理解も深まっていくのです。 そういう「知る努力」をしない人間ほど、差別的志向が強いですね。自己中心的なのでしょう。小学校などでいじめが多いのは、児童がそういう勉強をしていないため、知識が不足しているからです。 大人にもいますが・・・。

  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.6

動物も植物も昆虫も生まれたままの姿を恥ずかしいと思うことはありません。 アングロサクソンのネガティブな意識が広がったから、恥ずかしく思うようになったのでしょう。 現在はいませんが、最後まで裸で暮らす裸族は、南米の高地の民族でした。寒い土地だったようですから、服を着ることが寒さ対策ということではないようです。 日本人は男性も、女性も半ズボンやスカートで足を出すことがあります。イスラムの連中から見ると、まことに卑猥に感じるようです。 フランスも、家にトイレがなく、おまるに溜めた排泄物を家の窓から外の道路に投げ捨てていました。香水の発明も、風呂に入る習慣がないため、あまりにも臭い体の臭いを隠すためです。 そうした民族による差があるのが、人間の興味深いところのようですね。 人間の感覚のほとんどが、民族によって差があるようです。 共通するのは、蛇などを恐怖する感覚と、赤ちゃんなどを愛玩する感覚のみのようです。 そこが人間の不思議さであり、おもしろさです。 日本も、一つの国になって、まだ140年ほどしか経っていません。 まだまだ地域差があって面白いですね。 数十年前までは、夜這いをする地域もありました。

1BOOM2BOOM
質問者

お礼

そうですよね。日本人はそう思われがちだと思います。 国ごとの文化なので卑猥と思うことはないはずなのですが。 みんな、どこかで自分たちの文化を 押しつけているようなところはありますよね。 民族で共通する感覚はたったそれだけなんですか! 初めて知りました。面白いですね。 詳しく教えていただいて、どうもありがとうございました。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.5

つい二世代前くらいまでは、日本でも、特に田舎では、女性が平気で乳房を出していました。写真もたくさん残っています。 『ボンジュール・ジャポン』という、明治初期に日本を縦断したフランス人ウーグ・クラフトが著した写真集には、著者たちがくつろぐ茶屋の前で、日本の女性たちが、白昼堂々と着物を脱いで行水を始めたとあります。 同著者は、威勢のいい車夫たちが、上半身裸で車をひいて走る様子を褒め称えていて、役人が向こうから来るたびに着物をパッと羽織っては、役人が通り過ぎるとまた脱ぐという姿に、うわべの西洋化にやっきになる明治という時代よりも、日本の庶民のほうが一枚うわてだというようなことを書いています。 文化というか、習慣なのではないでしょうか。

  • marimo_cx
  • ベストアンサー率25% (873/3452)
回答No.4

#3さんの補強的エピソード? 平安時代の貴族は烏帽子をかぶってますよね? 人前で烏帽子を取るということは、現代の我々で言うと人前でパンツを脱ぐのと同じ価値観でした。 平安時代の貴族からすると、現代日本人は、天皇陛下までもがみんな猥褻物陳列罪ですw 宗教問題ではない、しかも我々の過去の帽子問題。

noname#74881
noname#74881
回答No.3

それは、それぞれの国の文化なので、羞恥心という問題ではないのでは? たとえば、女性が頭を露出してはいけない国とかありますよね。これは、宗教上の理由なのかな。でも、日本人は、頭を露出したからといって恥ずかしいとか思いませんよね。 裸だといっても、男女とも股間は隠していたと思うのですが。胸をいやらしい目でみるかみないかの違いですかね。 日本国内においても、パンツが見えそうなスカートをはいていたり、胸の谷間をわざと露出している衣装だってありますよね。はたから見ていると、「着ている人間は恥ずかしくないのかしら」と思ってしまいます。 老婆心ながら言わせていただくと、「羞恥心のない国」という表現のしかたは、相手国に対して失礼に当たると思います。

1BOOM2BOOM
質問者

補足

回答ありがとうございます。 ちょっと誤解されたようなので言わせていただきますが、 ここで書いた「羞恥心」は、 「我々にとっての羞恥心」が彼らには ないのでしょうか、 ということです。 決して文化を軽く見たわけではありませんので。

noname#131426
noname#131426
回答No.2

その昔、日本でも映画で、女性が太ももを出すことさえ恥ずかしい事とされていました。 それから考えれば、今の日本は羞恥心のかけらもないですよね。 そのような文化の所ですから、#1さん仰るとおりよけいなお世話です。 その他、唇に板を挟む部族とか、首を長く伸ばす部族とか・・・ それぞれの美意識があって平和に暮らしています。 彼らからすれば、私たちの方が野蛮で恥ずかしい部族なんです。

  • biwako1215
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回答No.1

そういう世界へずかずか入っていって テレビのカメラを向けるマスコミのほうが どれほど羞恥心のない輩か? 彼らは彼らだけの世界で、その文化を 維持しているのです。余計な御世話ですよ。

1BOOM2BOOM
質問者

お礼

私は、彼らの文化を知りたいと思っただけですから。 回答どうも。