人は 人のあやまちを赦すことができるか
同じおもむきの質問をしたことがあります。ふたたびみたび問いたいと思います。
ひとつには けっきょく世界との和解にかかわっているものと考えます。
言いかえると おのれの存在について心からやわらいでいるかどうか にかかわるであろうと。
その意味は こうです。
人は 人のあやまちを赦すことも赦さないことも出来ない。
分かりやすく言えば 赦す資格も能力も じつは人は持ち合わせていないのだ。ということは 赦さない能力も資格もまったくない。
では あやまちをこうむった人間に出来ることは何か?
そのあやまちについて あやまちであることを経験合理性にもとづき説明し そのマチガイをその人に おこなってはいけないと伝える。すべての行為は 自由であるが 人に迷惑をかけることは 自由ではないと。
つまり 哲学として批判をすること。および 必要ならば 法律にうったえるということ。
ここまでしか われわれは為すすべは持たない。のではないか?
こういう問いです。
さらに この主題の内実が明らかにされて行くことをのぞみます。ふるってご回答をお寄せください。
* 批判を伝えたあとは――人間存在としての関係は どこまでもありましょうが―― まじわりという意味での関係は もはや基本的にその相手の人とはなくなるということ。それが《赦すことも赦さないことも出来ない》の意味です。
というのも 人は おのれのあやまちについては 一日二日経てばもうけろっとして忘れてしまっていると思われるからです。自分に対しては ほどなく赦しているというのが 世間の相場であろうと思われるからです。
どうでしょう?
お礼
ご回答頂きありがとうございました! うわ~~~~! これぞまさに ‘まさかこの人って・・・’ です(笑) やっぱりあるものなんですね。 参考(???)になりました。