• 締切済み

空襲体験談を平和教育に使うことについて

私が小学校の時、空襲体験の本(ガラスのウサギ)の感想文で、 「軍事力が弱いからこのような悲劇がおきた。このような悲劇を繰り返さない為にも軍事力の強化が必要だ。とくに空軍力を強化して制空権は絶対に敵に渡してはならない」 みたいな感じの感想文を書いて、担任にヒステリックに怒られたと言う思い出がありまして。この一件で、本音と建前は使い分けなければならない、という大事なことを学ぶことができましたが、まぁそれは置いといて。 自画自賛というわけではありませんが、今から思っても、とても素直で子供らしい感想(要するに先生の評価など全く考えず)だと思うのですが、逆にこうした体験談を読んでどうして武装放棄の平和主義の感想になるのか不思議です。 空襲体験談をどういう受け止め方をすれば平和主義という結論を導き出せるのでしょうか。 なんだかバカ丸出しの質問になってしまいましたが、お暇でしたらお答えください。

みんなの回答

  • Elim03
  • ベストアンサー率23% (146/632)
回答No.13

 再登場の#2です。    戦争行為というものを「世界が認定」している以上、本来そこまでは認定されていないはずの「やりすぎ」までが正当化されることも多いのは事実です。  で、結果的に、戦時下で、「無差別殺戮」や「強姦殺人」や「薬殺」や「毒ガス攻撃」や「生物兵器攻撃」や「核攻撃」までが、行われるのは、むしろ普通です。  少なくとも、歴史というものを知っていれば、「このような残虐行為は、平気で行われるものだ」という、悲しい事実も認知されて当然でしょう。  誤解がないように付言しますが、そのような「残虐行為は正しい」なんて言っているわけではありません。よく居るんですよ、そういうふうに人の言葉尻をとらえて「戦争賛美だ」なんて考える人が。  あくまでも、どこの国でもどこの民族でも、そういう事実は大なり小なりあるという事実は動かしがたい、と述べているに過ぎません。  そうなると、「そのようなことをできるだけ回避する危機管理」こそが求められるわけで、「単純な戦争行為の否定」を行っただけで物事が解決するというような思考回路は、やはり片手落ちだと言わざるを得ません(私見)。  なにしろ、「否定すべき戦争」そのものは、「日本人だけが積極的に認めている」のではなく、「世界標準で認められている」のですから。  したがって、「他人の国による残虐行為」のみを非難するのも的はずれですし、「自分の国の残虐行為」だけを非難するのも妙な話です。  またここで誤解があるといけないので、再度付言しますが、「反省する必要性がない」なんて一言も言っておりません。よく居るんですよ、そうやって人の言葉尻だけをとらえて、「罪に対する反省がない」なんて言う人が。  単に、「もし、残虐行為を反省するなら、特定の国によるものに限るのは視野が狭いだけだ」と言っているに過ぎません。逆に言えば「特定の国による残虐行為を容認するのであれば、別の残虐行為を非難するのは、態度の整合性を著しく欠く」ということです。  んー( ̄0 ̄)、で、さて、大陸における戦争時・政争時の残虐行為の多さについては、指摘を待つまでもないと思います。  例えば、中国史や漢文を知っている人になら、むしろおなじみの事実でしょう。  「儒学者を無差別に生き埋めにした」(始皇帝)とか。  「降伏している2万人の兵を谷底に落として殺した」(項羽)とか。  「「馬八つ裂き」や「牛八つ裂き」が得意」(董卓)とか。  「逆らう町は、皆殺し」(元軍の常套手段)とか。 (なんか数がありすぎるので、はしょりましたけど。)  歴史になってしまえば許してもらえて、むしろエンターテイメントとして認められるのなら、世界中の人間は、ただ時が過ぎるのをひたすら待つべきでしょう。  隣の国へ謝罪なんてするのは、所詮一時のことで、歴史的に見れば些細なことだ、ということになってしまいます。  近い歴史では、「文化大革命の際の反革命的と目された人間への残虐行為」とか「天安門事件で武器を持たない学生を洗車で踏みつぶす」とかいうのもラインナップされてます。  どうも、かの国に詳しくて同情的といわれる人たちは、詳しい割にはずいぶん忘れっぽいのではないかと思わざるを得ません。  いや、「最初からなかったことになっている」んでしょう、その方が遙かに恐ろしいことなんですが。  アメリカでも、日本への空襲や原爆投下のことを、自分の国の罪だなどと教えている学校はほとんど無いと聞きます。  それはそうでしょう。そんなことでいちいち反省していたら、世界の警察を自負する国民は、皆ノイローゼになってしまいますから。  結局、皮肉なことに中国の格言になってしまいますが、歴史と論理に基づいて考えれば、残虐行為については「等しく論ずる」態度が重要であり、「中庸こそが大事」ということになります。  結論としては、空襲体験によって平和主義を唱えることを正当な論法というのであれば、真珠湾攻撃について日本を責めてばかりのあの国の人々はおかしいということになり、戦時中の残虐事件を持ち出して謝罪ばかり欲しがることを外交の一手段としてデフォで持っているかの国の人々もおかしい、と論じなければなりません。  みんなそろって戦争行為自体を憎むという「罪を憎んで人を憎まず」的なことだけが正しい、という大前提に立っていますので。  論理学というのは、そういうものです。  あるいみ、これは理想的だと思います。  しかし、「罪だけを憎む」という器用なことが人類にできるのならば、既に世界に戦争などがあるわけはないと思うのですが。  戦争が存在することも、他の国の責任だけ追及する人々が自分たちの論理性だけは何故か疑わないということも、悲しいことです。

  • sono1115
  • ベストアンサー率12% (15/116)
回答No.12

質問者さんは實に常識的な考へを述べただけですよ。 世界では擔任の方が氣違ひでせう。 戰爭をしたから國民が死んだ。 戰爭をしなければ誰も死なない。 戰爭は絶對惡だ。 戰爭をやめよう(平和主義) 平和主義なんて究極のマゾ思想ですよ。 家族が暴漢に襲はれたら、お父さんは逃げませう。 子供が隣の家に連れ去られても、取り返しに行ってはいけません。 と言ってるのと本質的には全く同じです。 日本の周りの國が日本以上に良識ある國ばっかりなら平和主義は有効でせうが、實際はその反對ですよね。 國土は占領され、恫喝されて金を毟り取られ、國民さへ拉致され・・・ 今はアメリカの植民地ですが、このままでは中國の植民地になりさうな勢ひです。

kyoikyoi
質問者

お礼

ありがとうございます。 >日本の周りの國が日本以上に良識ある國ばっかりなら平和主義は有効でせうが、實際はその反對ですよね。 たしかにその通りだと思いました。 参考になりました。

  • lvmhyamzn
  • ベストアンサー率8% (50/617)
回答No.11

憲法の平和主義の影響が大きいと思います。 憲法が平和主義に立脚している以上、当然の結論のような気がします。 現実的な判断をしてしまえば、「憲法違反」になるからね。 私も小学生の時に同じような授業をうけたことがあって、このオサーン(先生)何寝言を言ってるんだと思いましたが。

kyoikyoi
質問者

お礼

ありがとうございます。 そういうことだったんでしょうね。 先生は憲法の大切さを教えたかったのかもしれない、と思いました。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.10

アメリカのやった、都市への無差別焼夷弾爆撃は確かに非人道的でした。戦争とほとんど関係ない民間人を焼き殺し、民間資産を焼き払ったのですからひどいですよね。ただし、アメリカは日本が降伏した後は日本人を殺したり略奪したりはしませんでした。 ソ連は、 「日ソ中立条約を勝手に破棄して、日本が降伏する一週間前に日本に宣戦」 し、日本が降伏した後に 「日本軍将兵をシベリアに連れて行き、奴隷として無期限に使役」 「避難する日本民間人(ほとんどが女子供)を面白半分に虐殺。例えば、避難民を戦車で追いかけて全て轢き殺していったり、機銃掃射の練習台にしたり」 「日本民間人を好き勝手に略奪し、女性は見つけ次第輪姦」 「日本避難民が乗った列車をソ連軍が止め、女性を引きずり出して駅前広場で白昼輪姦」 「鉱山か工場で、勤労動員されていた女学生の宿舎にソ連軍が突入...避難する女学生を乗せた列車が列車ごとソ連軍に拉致された...] など、悪魔のように振る舞いました。アメリカよりはるかに残酷で悪質なのですが、「平和教育」では完全に無視されています。おかしいですよね。 なお、「武装放棄の平和主義」というのは「日本を攻撃する外国はない」ということを前提としています。 戦前の日本を攻撃する国は確かにありませんでした。日本はアジアで最強の軍事力を持ち、アメリカ・イギリスに次ぐ海軍を持っていましたので、大日本帝国を攻撃するのはアメリカやイギリスでも難しかったからです。 平和教育をする人たちは、非武装の日本女性がソ連兵に子供の前で輪姦され、持ち物もお金も着ているものも全部奪われて丸裸になり、穀物を入れる麻袋を全裸の上に被って餓死していったことを知らないのでしょう。運が悪い人は、輪姦された後に面白半分に射殺されました。麻袋を入手できなかった人は、手で前を隠して裸で歩いていたそうです。(合掌) だから、「武装を放棄すれば安全だ」なんて妄想するのでしょうね。アホらしい限りです。

kyoikyoi
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに旧満州での体験談は、悲惨さの割に教育には使われませんね。なんでなのでしょう。 >「武装放棄の平和主義」というのは「日本を攻撃する外国はない」ということを前提としています。 要するに他国次第の平和、ということですね。参考になりました。

  • netcatme
  • ベストアンサー率20% (76/371)
回答No.9

 非武装化が平和に繋がると信じられていたからでしょう。小学校の教師は日教組ですから共産系でしたし。  それが何時の時期か分かりませんが、今ではその問題に対して教師も微妙な反応になるのではないでしょうか。戦争が現実的な問題として扱われる現在と、戦争が現実感を持たない時代との差でしょう。『制空権は絶対に敵に渡してはならない』と小学生がそういうからには湾岸戦争の後でしょうから、冷戦は終わっているとは思いますが。  悲劇は敗戦が起こしたのであって戦争が起こしたのではないというような内容には反対ですが、非武装化は馬鹿げた幻想だという考えは昔から多くの人が持っていたと思いますよ。

kyoikyoi
質問者

お礼

ありがとうございます。 えーと。この思い出は今から約30年前の出来事です。 いまから思えば共産党系だったのだとおもいますが、当時は他にも過激な先生がいらっしゃいまして・・・まぁ長くなるのでこの先生の話はやめておきます。 >非武装化は馬鹿げた幻想 やはりそうですよね。安心しました。

  • Sombart
  • ベストアンサー率16% (45/267)
回答No.8

 実際、素直で子供らしいですし、現実の社会を的確に捉えている感想ですね。  今も昔も、平和を実現するにはそれなりの実力(軍事力と外交交渉能力と経済力)が必要で、戦争になったときに国内を平和に維持するには強力な防衛力が必要であることは変わりません。  それはともかく、平和主義という結論を出すためには、まず「平和主義」の定義をしなければなりません。  で、私の見聞からすると、「平和主義」というのは「奴隷となってご主人様の慈悲にすがる生き方」という定義が一番的確に思えます。そこでこれを前提にすれば、「ご主人様に逆らうから罰を受けるので、ご主人様に絶対服従していればよかったのだ」ということになります。  「ご主人様」は、人によって中国だったりアメリカだったりするようですが。  そのような奴隷精神の持ち主からすると、自立心を持って他国と対等に渡り合おうとする者が身内にいることが、恐ろしくて仕方ないのです。戦うという発想が無いので、相手の機嫌を損ねることが「ご主人様から連帯責任として罰を受ける」に直結してしまいますから。  普通は、対等の付き合いをしていれば利害が対立することだってあるのですが、そのような人間関係を理解できないのです。

kyoikyoi
質問者

お礼

ありがとうございます。 奴隷精神ですか。一見、過激な意見のように見えて、確かに、なるほど、と思わせるところがあり参考になりました。

  • alpha123
  • ベストアンサー率35% (1721/4875)
回答No.7

連合軍側には1943年までは長距離攻撃能力なかったから、日本人が被害受けたのなんて中国やアジアに迷惑かけたのに比べれば軽いものです。 1944年にものんびりしたものでしたが(昭和19年ね)、10月から翌年3月までの爆撃でめぼしい都市は燃えました。木と紙で出来た国攻撃するには絶好のタイミングです。最小の爆弾で最大の効果。 これでも京都や新潟や小倉のように燃えない都市もありましたがそれは新型の効果測定用(^^) 帝都の繁栄の広島長崎はむごいことになって住民はアジアの人々と同じ思いしました。 東京も大阪も含め自業自得です。 映画「蛍の墓」で死体焼く煙の後ろで金持ちの娘が走り回っていますが、あんなものです。 被害受けなかった人は反省せず、被害受けてやっと「もうこりごり」 この感情は平和国家日本には役立ちました。 それでやっといまの水準保っています(^^)

kyoikyoi
質問者

お礼

ありがとうございます。 う~ん。 何を仰ろうとしているのかよくわかりませんでした。 ごめんなさい。

  • tousannzu
  • ベストアンサー率26% (15/57)
回答No.6

本当に空襲という体験をすれば「あんな思いは二度としたくない」と当然になるでしょう。 そこから「もう戦争はコリゴリ」となるんでしょうし、それは自然な「願い」だと思います。 一般的にはようするにそういう事なのでは? ただ、相手が教師だったりする場合には事はそんなに単純ではなく色々な組織の意向を反映しているのかもしれませんね。。 ただ、冷静に考えてみると『空襲(戦時)体験談』というのもけっこう怪しいのも中にはありますよね。。 「空襲の時にああだった、こうだった」「戦争中の世の中はこんなにつらかった」という話を延々と聞かされて、あとから考えてみると昭和20年にその人は3、4歳だった計算・・とか案外あったりします(汗) (3歳児がそこまで覚えてるかぁ~?とツッコミをヒッソリと入れたりします・・・) 戦争体験者の体験談を軽視する訳ではないけれどこうなるともうほとんど「すり込み」みたいなものであとから植えつけられたイメージを体験したような気になってしまっているのかなと思います。。 この場合には「空襲体験」が「平和主義」にさせるという訳ではなくて、「平和主義」がまずありきでその思いが「空襲体験談」を脚色させるという事なんじゃないかと思います。

kyoikyoi
質問者

お礼

ありがとうございます。 >「平和主義」がまずありきでその思いが「空襲体験談」を脚色させるという事なんじゃないかと思います。 なるほど。確かにそういう面もあると思いました。勉強になりました。

回答No.5

戦争の悲惨さを空襲の体験談から教えたかったんです(多分)。 空襲って無差別に一般人を殺戮する行為!これが戦争の現実です。 kyoikyoiさんの回答は先生が期待した回答ではなかった!でも先生の態度は間違い!色々な意見があって当然です。 現在の世界情勢を観る限りまだまだ武装放棄は理想である事ぐらい明らかです。 少なくても自国を守れなければ、自主独立国とは呼ばれないでしょう。いつまでもアメリカが守ってくれると信じますか?早く自立しないとアメリカに守られた今の平和はとても心配です。

kyoikyoi
質問者

お礼

ありがとうございます。 下の方のお礼にも書きましたが、当時の私には戦争の悲惨さは十分伝わったのですが、その先が「負ける戦争は繰り返しては成らない」という結論になってしまいまして。この流れからいえば、「早く自立しないとアメリカに守られた今の平和はとても心配です。」というご意見に賛成です。

noname#22222
noname#22222
回答No.4

質問者は、非常に、判りにくい。 表現の仕方、言葉使いを表面的になぞっていけば、不謹慎な発言のようにも思える。 しかし、「空襲体験談に集中しがちな平和教育の限界性」を強力に批判しているようでもある。 一般的な戦争の悲惨さを教えることは、火事の悲惨さを教えるに等しい。 その悲惨へとひた走った歴史的経緯や戦争そのものの本質的な性格こそ問題ではないか? そういう問いかけのようでもある。 「バカ丸出しの質問」と言うが、果たして、そうであろうか? 世間を斜に構えて怒りに満ちた眼差しで見てる若者のように思ったのは、私の錯覚であろうか? 質問に答えれば、「空襲体験談」も伝え方次第と思う。

kyoikyoi
質問者

お礼

ありがとうございます。 大変失礼しました。空襲体験者の方にとっては不謹慎な質問だったと思います。この場を借りてお詫びいたします。 >歴史的経緯や戦争そのものの本質的な性格こそ問題ではないか? 仰るとおりだと思います。平和教育では、そこが最も大事な部分なのだと思います。 私の場合、空襲体験談から戦争の悲惨さは十分伝わったのですが、「負けなければ良いのだ」という結論になってしまいまして。最も大事な部分が伝わってなかったんですね。アホな子供です。