#1の方も書かれているとおり、選手としては無名のようですね。
1986年にPSVアイントホーフェン(オランダ)の監督に就任し、国内リーグ3連覇、チャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)でも優勝しています。
その後フェネルバフチェ(トルコ)とバレンシア(スペイン)で監督を歴任した後、1995年からオランダ代表監督に就任。1998年ワールドカップフランス大会では、後に欧州を席巻した4-2-3-1のシステムを考案し、ベスト4に進出しました。
この時、オランダは韓国と対戦し、韓国は格上のオランダに無謀とも思える撃ち合いで応戦し、5-0の惨敗。これで、韓国サッカー協会の目に留まったようです。ヒディンクは後に「韓国の弱点は5分で全て分かった」と言っているのを読んだことがあります。
このエピソードからもわかるように、相当な戦術家であり、かつ試合中に流れを読んで、的確に選手を投入し、戦況を一変させてしまうなど手腕には定評があります。
フランス大会終了後、あのレアル・マドリード(スペイン)の監督に就任。トヨタカップは取りましたが、リーグ優勝できず、途中解任されていますね。
2001年に韓国代表に就任。当初は結果が出ず、また恋人を連れて代表合宿に現れるなどオランダ人らしい奔放な面もあって、韓国国内では猛反発にあっていました。この頃ヒディンクは結果よりテストとフィジカル強化を重視していたそうです。しかし、2002年ワールドカップ日韓大会の直前には練習試合でフランスを破るなど、結果を出し始め、本大会でベスト4に進出しました。
その後すぐに、PSVの監督に復帰。リーグでも優勝し、チャンピオンズリーグでもミランをあと一歩まで追い詰めるなど、相変わらず結果を出しているようです。
彼が韓国代表に就任したと聞いた時には、なぜ韓国がヒディンクで日本はトルシエなのか?と納得がいきませんでしたし、新監督がジーコに決まったときも、ジーコにあんな高額の年俸を払うならヒディンククラスの大物を招聘できるのではないか?と、また納得できませんでしたね。
お礼
こんなに詳しく説明して頂きありがとうございます。