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幼稚園や保育園は送り迎えするもの
昔の絵本を読む機会がありました。40年くらい前の。幼稚園か保育園に通っている子が一人で帰ってます。今なら当然誰か迎えに行きますよね。昔はそうだったのか。そうならば現在はなぜそうなったのか。昔からおかしな犯罪はあったと思います。推測ではなく専門職の経験のある方のお話をお聞きしたいのですが
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私、40代の妊婦です。ダンナも40代後半です。 ダンナは幼稚園の時、子供だけで帰っていたそうです。まさにちょうど40年前です。当時のダンナの実家はものすごい田舎というわけではなく、地方都市近郊の新興住宅街でした。山を切り開いてつくった造成地で相当アップダウンのある遠い道のりを友達と歩いて帰っていたそうです。 誰もそれがおかしいとは思っていなかったようです。むしろ、自分で歩けるぐらいの子になんで迎えがいるのかって感覚だったみたいです(義母によると)。 首都圏に住んでいた私と2つ下の妹は保育園に行ってましたが、基本的には父か母が送り迎えしていました。 でも、私が小学生になった頃には時々、保育園に妹を迎えに行って連れて帰っていました。 どちらも今なら考えられないことです。でも、「昔は」本当にそうだったのです。ほんの30年くらい前です。(私のこども時代は「昔」なんだと思うとちょっと複雑ですが) また、「はじめてのおつかい」という有名な絵本を読んだことありますか?30年くらい前の絵本ですが、今でも名作として、読み継がれているものです。主人公の「みいちゃん」は4歳か5歳くらいですが、下に赤ちゃんがうまれ、お母さんが忙しいので、はじめてひとりでおつかいに出る、という話です(といっても、家からほんの数百メートルのお店ですけど)。これも、今なら考えられないことです。 小学校に行ってない子供がひとりで外出するのは危ないっていう感じになったのはここ20年くらいではないでしょうか?質問者さんはお若い方なのでしょう。 都会と地方ではまたずれがあると思いますし。 もちろん、昔だっておかしな犯罪はあったでしょう。 でも、数はずっと少なかったし、基本的に子供には子供の社会があって、歩けるぐらいの子なら、親抜きで家のまわりに出ているのは珍しくなかったです(首都圏の住宅街で育った私の記憶でもそうですから地方ならなおさら)。 都会では幼稚園や保育園の送り迎えぐらいはやはり保護者が行っていたでしょうが、田舎なら、そこには「見知らぬ人」は原則としていなかったんですから、道さえわかるのなら、子供だけで歩くのも危険も何もなかったでしょう。今のように、近所に名前もしらない人がどんどん引っ越してくるような世の中じゃないですから(全員が知り合いって、今なら相当うっとおしいですけどね)。 そのかわり、交通事故にあったり、川や池にはまっておぼれたり、といった事故は多かったですよね。でも、それもしょうがないって感じで、今のように「危険を放置していた行政の責任だ」とか「教師がちゃんと通学路に立ってみはっていろ」とか「あらゆる危険をチェックしておくこと」とか、何がなんでも子供を守ろうっていう風ではありませんでした。あんまり子供を大事にしてなかったといえば、実際そうでした。子供はそのへんにうじゃうじゃいるもんで、別に王子様やお姫さまじゃないって感じがまだまだ残っていた頃の牧歌的な話です。
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#3さんの話を、読んで、再回答です。言いたいことは、決して、小さい子ですから、全く、園で、さようならで、一人で帰ってしまうということではなかったですが、実際、近くの私鉄の駅まで送って、ホームから保育士が電車に乗せて、それでバイバイって感じもありましたし、その当時は自動改札では、ないので、改札の駅員さんが、乗るとき、降りるとき、今日は、**ちゃんは、風邪で、休みだよとか、教えてくれたり、してました。 また、私鉄の線路の向うから、渡って通園してくる子もたくさんいました しかも、線路は、両側、柵がなくて、どこを、渡ってもOKという状態です。でも、途中の公園まで言って、小学校の近所のお兄ちゃんたちが、声かけてつれていったりとか、線路よりのお店のおばあちゃんが、線路の上でそれこそ、石ならべをして遊んでいると、注意してくれたり、というのも、ありました。幼稚園だから、営業のため、バスを入れたと書いてありますが、当時は幼稚園とか保育所とか、関係なく、営業サービスとして、バスを導入したのは事実です。僕が、最初に乗った車は、今で行くと、商用車のワゴン車の荷台に、ござをひいて、10人以上乗せてました。たくさん乗っているうちは、おしくらまんじゅうで、倒れないのですが、人が少なくなると、ござの上を転がっていました。バスらしきものの最初は、大きさでいくと、今のハイエースくらいの大きさですよ。そこへ、幼稚園で使う、幼児用のイスをネジで止めて、乗ってましたね。すべて、当時の警察官は、何もいいませんでしたが、今では、定員オーバーで大変な事件ですよね。 あと、先生達が手分けして、ブロックごとの集合場所まで、迎えにいく、連れて帰るというのは、普通にありました。寝坊していると、何人かの園児が**ちゃん、まーだ?って呼びにきて、母親がちょっとまっててと言うときと、先に行っててと言うときなど、いろいろでした。帰りは、大抵、小学校の子ども達と探検ごっことか、かくれんぼとか、1時間以上遊んでましたので、親が、いいかげんご飯にするから帰っておいで、と集合場所に、探しにくるのは、しょっちゅうありましたし、保育時間中、脱走して、勝手に家まで、一人で歩いてかえるなんて、よくあり、何人かの先生で、探しまわって、逮捕?して園へ連れてきたり、家へ帰したりと、ありましたし、小売店が、適当な場所にあり、やおやのおじさんに、**ちゃん、ここ歩いて行った?って聞くと、さっき、向うへ歩いていったよって、足跡が地域でバレバレでした。かなり危険な遊びを上級生としてましたし、つたの皮を編んで、10mくらいの木の上からぶら下げて、ターザンごっことか、自分の背より高いすすきの群生のなかの秘密基地作りとか、がけ登りとか、途中の沼とか池とかで、げんごろう、たがめ、かえるは採るし、ばった、しょうりょうばった、いなご、とんぼ、やご、何でも、つかまえてましたし。。。 ぜんぜん、環境がちがいますね。 とにかく、どこどこの坊主は、今日、どこで、どんな悪さをしたか、地域でばればれでしたし、それを、特に注意する雰囲気もなく、帰れないで、一人途中で泣いている子を、その辺のおばさんが連れてきたり。。。 地域で、あそんでましたし、家に帰る前に友達の家で遊んで道草なんてしょっちゅうでした。
お礼
安全と経験と両立する難しさ悩みますね。参考になりました、ありがとうございます。
- daisukichopper
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30数年前に幼稚園児でした。 大阪市内(といっても中心地ではないです)に住んでいましたが、家庭の方針で小学校の校区外の幼稚園に通っていました。となりの小学校の校区の一番遠いはずれにある幼稚園まで。 当時は通園バスなどはなく、帰りは同じ方向の園児が先生に引率されて並んで歩いて帰っていました。 途中でひとり、またひとりとだんだん少なくなってきます。当然私が最後になるのですが、途中で片側2車線の府道の横断歩道を渡ります。 横断歩道の信号が青に変わったところで、先生に「さようなら」の挨拶をし、一人で横断歩道を渡ります。 わたり終えてふりかえると先生は手を振って園に戻っていきます。 ここまで子供の足でおよそ20分。ここから家までは25分くらい。もちろん毎日ひとりで歩いていました。 幼稚園児がひとりで25分も歩いて帰るなんて今では考えられませんよね。でもわたしはこの時間が楽しかった!寄り道なんて当たりまえ。道に沿ってながれている川で遊んで帰ったりしました。帰宅予定時間を1時間も2時間も越えていることはザラにありました。 朝の登園は母が車で送っていました。当時、免許をもっている母親は珍しい時代です。 母は仕事していたわけじゃないので、じゃあ帰りも車で迎えに来てくれたらよかったのに!って今になってよく思いますが・・・ 最近このことを母と話をしました。 母曰く、当時は自分で帰ってくるのが当たり前の時代だった、今のように車の交通量が多いわけでもなく交通事故にあうなんて考えていなかった、子供をねらった犯罪なんて金持ちの身代金目的の誘拐くらいだった、住宅地だったけど人通りがとくに少ないわけではなかったし結構地域で子供を見守っていた雰囲気があった・・ので、帰りは迎えに行かなかったとのこと。 おかげで私はたくましい子供に育っていました。 小学生になった頃には、ひとりで阪急電車に平気にのってましたし(阪急の最寄り駅まで歩いて30分くらいかかった)、市バスに乗って梅田までひとりでおつかいに行ったこともあります。 今なら絶対通園バスですよね、こんな遠い距離。現在高校生の姪が幼稚園に通っていた頃には、もう通園バスがありました。 通園バスですが、園児獲得のために私立の幼稚園が取り入れたと聞いたことがあります。 専門職の経験はないので、当時はこんな感じでしたというお答えだけになります。
- aiai0331
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30年以上前、地方の幼稚園に通っていましたが、親の送り迎えはありませんでした。大人の足で徒歩10分ほどの距離を、近所の友達や兄弟と一緒に、子供だけで登園していました。友達が先に行ってしまい、泣きながら一人で登園した思い出もあります。帰りは先生が同じ方向の子供たちを引率して家の近くまで送ってくれましたが、先生と別れてから家までは一人でした。参観日など親が幼稚園に来る日だけ、母と一緒に帰れるのが楽しみでした。 当時は遊ぶときも、幼稚園に行くぐらいの歳になれば、親の付き添いなしで子供だけで遊んでいました。たいてい家のまわりで遊んでいましたが、大きい子にくっついて少し離れたところまで行くこともありました。 友達の家に行くときも、親が約束をとりつけるなんてことはなく、勝手に「○○ちゃ~ん、あーそびましょ~」と遊びに行ってました。 一人でおつかいにも、普通に行っていました。 子供だけで留守番することもありました。 基本的に、今よりもかなりほったらかしだったと思います。 でも、今の環境では、3歳の息子を一人で外に出すことなんて絶対できないし、小学生になっても危険な気がします。 いつからどういう風に変化していったのか、私も知りたいです。
絵本の世界は、現実とは違うことが、多いですよ。 あくまで、絵本としての、ストーリーとして、読んでください。 昔も今も、年齢が低いので、迎えにいくという態度は、同じです。ただ、昔は、園が終わって一斉時間に帰るというより、ばらばらでしたり、近所のお母さんが、一緒に連れて行ったりとか、おばあさんが迎えにきたりと、かなり多様ですし、一斉でもなかったです。また、今のように、スクールバスも発達していませんでしたしね。迎えにくるまで、保育室で管理するような、固い感じでなく、迎えにきたら、OOちゃんは、となりの公園で遊んでいるから、と言って、園に置きっぱなしのかばんを持ちながら、公園に迎えにいったりと、こんなに、ピリピリした空気は、無かったですね。知っているのは、過去30年間のみで、それ以前は、知りません。
お礼
ありがとうございます。少子化のことや最近の犯罪について考えていた時に単純に子ども数が少ない現在のほうが目は届いているのではと考えたのが始まりです。参考にさせていただきます。