想像力です。自分の身の回りに起きてないことでも想像して、その想像を信じられるかどうか。
周りに流されないで、自分の中の想像力を信じて信念を貫けるかどうか。
日本人はあまりにも現実を見すぎです。見すぎて現実に負けてしまってます。白旗揚げっぱなしです。政治も現実に流されて適切なのか良くわからない方向に進んでいる気がします。小泉は少し信念あるから少しは違うのかなと思ってるんですが。
もっと新しい可能性を模索すべきです。夢をなくしすぎです。夢が無かったら人間楽しくなんか生きていけないんです。ただ生きてるだけでいいわけが無いです。
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今の日本の性格傾向として、その場の感覚だけで生きて、超がつくほど現実に埋没し、趣味や享楽に逃げる傾向にあります。その場を良く見ている。自分の心と現実のバランスをとるのが上手い。ただしそれはその時だけの一時しのぎの場合が多い。これが悪い方向に進めば、その場が落ち着けばそれでいいと思っている。嫌なことは全くやらない。これは人への思いやりを欠くことになるし、自分から何もやらないことになります。一時しのいでも後で問題が発生する可能性は十分あります。そういうことを全く考えない。自分の身の回りのことばかり気にして、無駄なことを考えない。無駄なことを考えないからいつまでたっても当たり前のことしか言えない。結局新しい打開の道をみすみす見逃している。感覚は大事な情報の源ですが、それに負けてしまっては元も子もないです。自分が本当にしたいことを成し遂げるには感覚をある程度無視する必要があります。そこから現実の打破は始まるのであり、それこそわれわれが本当に求めるべきものです。映画や自分の趣味などに埋没して現実からただ逃げているだけでは駄目です。映画やそのほかの趣味とは生きる勇気や元気をもらうものです。逃げ場じゃないです。知らないことだらけでも想像力を働かせて実際に体験することです。火の中に飛び込まなければ栗は拾えません。安全を重視しすぎればその安全の虜になり身動きも取れなくなります。家の上に隕石が迫っているのに家の中に閉じこもって怖がっているようなものです。多少の危険があっても、嫌なことがあっても非の中に飛び込まないといけません。そして新しい知恵を獲得すれば自分の手を出せる領域が広がるのです。外国の人はよく言うそうですよ。「日本人はびくびくしすぎだ」と。別に外国人の家来になってるわけじゃなくて、同じ人間がそういうことを言っているということはそれなりの理由があると言うことですよ。別に外国人だって頭いいわけじゃないけど、だからといって馬鹿じゃないんですから。
証拠も無いようなこと書いているように感じたかもしれませんけど、今日本に必要なのは証拠のある論理ではなく証拠なんか無くたって確かなものです。それは人の「変えたい思い」です。
づらづらと書きたいこと書きましたが、私が言いたいのは今だけじゃなくて未来への延長としての現在と言うのも考えるべきだと言うことです。
お礼
そうですよね。やっぱり変わらなくては・・・。 長々とありがとうございます。