日本人は今も昔も受動的ですよ。
ヨーロッパやアジアの大陸のように、様々な人種・民族・文化が存在していた地域では、極端に言えば
自分から行動を起こさないと(つまり能動的)、周りから取り残され、自分たち民族の滅亡と言う危険性が
あったと思うのです。
日本と同じ東アジアの韓国もそうです。ルーツをたどれば韓国・朝鮮と日本とは同じ民族(ということは
欧米の学者の間では当然の共通認識だとか)ですが、彼らのほうがよっぽど能動的です。
良きにつけ悪しきにつけ。(悪影響もあるってことです)
自分からどんどん相手に入ってきますし、日本人だったら1歩も2歩も引き下がるところを、彼らは逆に
3歩も4歩も出て行きます。 地理的・歴史的な要因の違いでしょうね、日本との。
有史以来、四百数十回も外国から攻め入られたとか言っていますから、少なくとも日本人よりは外に目を
向けざるを得なかったんでしょう。
自国の真の繁栄のためには『能動的行動』が重要だということを言いたいのですが、昔の日本でそんな
ことをしたら犯罪者扱いになったじゃないですか。
つまりそれは、いかに日本(人)が『受動的行動と言う名のぬるま湯』を心地よく思っていたかということの
表われだと思います。受動的に、お上から与えられるのを待っていれば安泰だ、みたいな。
それをひっくり返すやつは、社会を乱す悪者だ、てな感じじゃないですか?
今だって状況はそう変わらないですよ。地方と言う固くて狭い枠の中にとどまっているだけの人は、まさに
無知な『井戸の中のカワズ』でしかないじゃないですか。
都会に出て、都会と言う外との窓口と接して、さらに外に飛び出したい!とでも言おうものなら、すぐに
保守的な臆病者たちから“やめとけ”と止められる。
何か新しいことを始めようとすれば、白い目で見られる。
“私たちの、平凡で代わり映えしない日常生活をひっかきまわすな”って。
私はそんな制止を無視しましたね。周りの人間たちが受動的=日和見主義で無責任なのが許せなかった
と言うか、それを軽蔑して冷ややかに見ていたと言うか、そんな連中の言うことなんて何の意味も価値もない、
って思っていたからです。
で、私も外に飛び出しました。今、外から戻ってきて1年半経ちますが、昔の自分と比べたらだいぶ能動的
になったと思います。でもまだまだ(修行が)足りないですよ。
これからもガンガン行動を起こすつもりです、能動的になるべく。
(つまりは自分の生きざまや行動について、すべて自分で責任を持てるようになりたい、ということです。
それをしない卑怯者が受動的人間ですよ)
お礼
なるほと,わかりました 誠にありがとうございました,参考になりました