審判の判定の是非。
イチロー選手の大リーグでの大活躍により,今まで野球に興味がなかった人達もBS放送に釘付けになっているようです。
以前から疑問に思っていたのですが,審判の判定はどうして「絶対」なのでしょう?。人間だから判定を間違えるのは当たり前。微妙な時間差は特に・・。どうみてもストライクっぽいコースをボールと判定したり,またその逆も。
審判は絶対であるからたとえ間違えてもそれに従う・・。その発想ってキリスト教圏の考え方と言うより,どちらかと言うと東洋的発想のように思うのですが。
それとこれだけ電子機器が発達しているのですから,判定を機械に任せる事は技術的には可能なのではないか・・と思います。例えばホームベース上に赤外線センサーを張り巡らせて,その中を通過したボールをストライク・・と機械に判定させれば間違いはなくなると思うし,そのほうがすっきりします。
試合で用いる事は出来なくても,審判がストライクゾーンを判定する練習の手助けぐらいにはなると思うのですが・・。
なぜそれにこだわるのかと申しますと,バッターが自分がストライクだと思った玉をボールと判定されたら知らん振りをしているのに,逆にボールと思った玉をストライク!・・と判定されたら猛然と抗議するでしょ?。
自分に都合の悪い間違った判定には抗議するのに,自分に都合の良い間違った判定には抗議をしない・・。
審判が間違えた事に抗議するなら,自分に都合が悪かろうがするべきである。
そうじゃないと公正さを欠くし,子供にもあまり良い影響を与えないんじゃないかしら?。見つからなければ・・あるいは指摘されなければ間違った事も許される。そんな拡大解釈をする遠因になっているように,今の若い人たちを見ていると思います。少し被害妄想的ではありますが,野球と言う物が日本人がそれまで持っていた価値観を多少なりとも変えた・・と思うのは私だけかしら?。