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「先生」と呼ばれる職について
教師、医者、政治家、評論家、色々居ますね。 名の通り「先に生まれた」人生の先輩という意味なのでしょうか。 私は職がそうなのだから「先生」と呼ぶのではなく その人からにじみ出るパーソナリティー、人間性が 「先生」と呼ばすのだと思っています。 こんなエピソードがありました、高校生の頃私は ウチが貧しく(笑)柔道着を買う金もなくおじの 古着を貰って体育の授業に出たところ教師が「なんや、古着か、 柔道着くらい買えよ、臭いな」 といったところで私はとてもがっくりきました。 そんなこんなで20数年経ち、息子の入学式で エエ服着て晴れがましい姿を見て私は無性にあの頃の 記憶が甦り、(しつこいのかも知れませんがトラウマになってたんでしょう) あの時の教師と連絡をとって「今ならどう思いますか? 親になって子供がそんなこと言われたら許せないんですが」 と問いかけました、あの頃20代、今は50代の教師は 素直に詫びてくれました。 認めてくれたことによって長年私の中で抱いていた 「教師」への不信感が消えていきました。 人を教える、道を説く職業は大変と思いますしミスも あろうかと思いますが、当事者の先生方は教え子に 対して素直に自らのミスを認められますか? これは会社の上司が部下に、親御さんが子供にでも 結構です、お教えください。
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質問者さんはとてもいい経験をされましたね。私もショックなことがありました。それ以来教師不信です。 小学校低学年の頃でした。私は親友といつもの調子でふざけて「お前なんて○○」「あんたこそ××」なんて悪口を言い合ってました。ところがその親友が日記に「Alikoに○○と言われて傷ついた」と書いたんです。担任は若い女の先生で、いじめか何かと思ったのか、突然HRにその日記のコピーを配り「Alikoの言ったことをどう思いますか?」と、みんなに問いました。当然、悪口ですからみんな言います。「悪いと思います」「ひどい」「謝ってください」最後はみんなから「謝れ!」コール。私は親友から裏切られた気持ちと、親友が先に言ったのに自分の言い分は聞いてもらえないのかという気持ちと、みんなから責められたショックでその場で泣き伏すしかありませんでした。みんなからは「これだけ言っても謝らないなんて強情なヤツ」とそれから無視されました。逆に先生は、クラスの悪者をやっつけたとして人気者になりました。 事が起こってから先生もようやく自分のしたことが分かったようで、いつも申し訳なさそうな顔をしてこっちを見たり、私が仲間はずれにされていると「こっちにおいで」と言ったりしましたが、他の子に「先生、あんなヤツほっときなよ」と言われると、人気者の座を降りたくなかったのか、それ以上は言ってきませんでした。 私はその先生を軽蔑し、それ以来話すことはありませんでしたが、今会うことができるなら反省しているか聞いてみたいです。反省してよい先生になってくれていたなら、自分の体験も無駄じゃなかったと思えるのですが。 こんな私も「先生」と呼ばれる立場になりました。 この体験がなければ先生の道を選んだかどうかは分かりませんが、自分は生徒を一人の人間として尊重することだけは心がけています。友達にはヒドイ言葉を言ったりしませんし、お互い言いたいことを言いますよね。生徒も私もお互い尊重しながら、言いたいことを言う友達のような関係です。私は、そこに上下関係があると、すれ違いが起こるような気がします。 ですが、自分が先生になって分かったことは、親や生徒の方から常に自分が「上」として見られることです。その期待を裏切らないようにしないと信頼関係が崩れることもあります。私も自分が教える分野では「上」でいなければと思います。例えば、一度教えたことが間違っていても謝りません。理由をつけて、あの時はこうだったけど今はこうと無理やりこじつけます(笑)。ですが、人間関係の部分で「上」にいる必要はないと思います。人間的に間違いをおかせば謝ります。特に経験のない先生は、その辺りを勘違いしたり、奢ってしまうことが多いように思います。
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- erkserve
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大学の先生の場合ですが、 誰でも認める大先生がミスを認めると尊敬されます。 しかし、何かの都合でたまたま大学の教員になったような人が間違いを認めると学生からバカにされるでしょうね。 医師の場合には、ミスを認めると損害賠償請求につながりますから、めったにあやまらないんじゃないですか。 教師とか医者には、私の知っている限り、人格破綻者が結構大勢います。 ミスを素直に認めるかどうかなんて問題ではなくて、はやく「先生」と呼ばれる職を退いてくれ、という感じのことが結構あります。 自分の子に対しては、つい八つ当たりで怒ったときとか、勘違いして叱ったときもありますが、後で包み隠さず、打ち明けると、わかってくれるようです。自分には当てはまらなかったのだけれども、どういうことが悪いことなのか、親は子にどう育って欲しいのかが、尚更よくわかるようです。幼稚園生の頃からそうでしたよ。
お礼
erkserve様、回答有り難うございました! 医師の場合は確かにそうですね、「白い巨塔」のように医事裁判で原告側が 勝訴するなんてまだレア・ケースでしょう。 「子は親の鏡」とは昔の人はよく言ったものです、私も息子見てると 自らの子供時代とそっくりで嫌になります。
補足
皆様、内容深い回答有り難うございました。 「先生」と呼ばれる仕事、子供達の記憶に残っていく 存在だけに大変な仕事かとも思いますし、 また「先生」という名が先行してアグラかいてしまう 人が居るのも然りのようです。 個々の皆様、それぞれ長文になられてよく読ませていただきました、 これからは子供達の時代、No.3様のように良い師と 巡りあって欲しいものです。 では失礼します。
- otsukare30
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良い問題提起だと思います。 あくまでも私見で、しかも学校の「教師」という職業に的を絞って 意見を述べさせて頂きます。 私は今の学校の「教師」という職業自体に、良い印象を持ちません。 もちろん教育に燃え、本質的に子供も好きで教師という職業を 目指し、教師になった方は尊敬できるし、本当にすばらしい方 が多いと思います。 しかし、経済的な安定、社会的地位(見栄)、勤務実態 などに魅力を感じ、教師になる方もまた多いのではないかと思います。 特にそういう人に多いのではないかと思うのが >「なんや、古着か、 柔道着くらい買えよ、臭いな」 などと平気で子供に発言してしまう人間として「ダメ」な人です。 教師という職業につく為には、他の先生職と比べて楽です。 (政治家は例外)大学を出ただけ、たいして難しい試験に合格しなければ いけないわけではない。 なのに1年目から人を教える。 とくに小・中学校など人間の人格形成にとても大事な時期に このような社会経験も全くなく、大した挫折も味わっていない 人が教師として人を教える。 教師のとりまきの人間(保護者や身内など)も教師=先生として はれものに触るような対応で先生・先生ともてはやし、 質問者様のように教師をとがめたり 叱責するような人間は普通、ほとんど現れない 結果、未熟な精神年齢のまま社会経験も無く、 閉鎖的な社会に育った人間にもかかわらず、 安定した収入と社会的地位を得、人を教えても教わることは 殆ど無いという非日常的な生活をし、鼻は天狗のようになり ゆがんだ人格となっていき・・・・ 年月と共にその人格が固まり、冒頭に申し上げましたが 人間として「ダメ!」な人が出来てしまう。 こんなことが多いのもこの業界の今の実体だと私は思います。 教師の常識は世間の非常識という言葉も良く聞きますよね? 国も日本の教師の免許を更新型にして社会経験もさせ、 資質のない者を今後排除する方針になっては来ている ようですが・・・。 それにしても・・・ こういう事をわきまえている教師はどの位いるでしょうか?疑問です。 これらのことをわきえ、世間や子供に対して 謙虚な気持ちを持つ教師は、自分がミスを犯したとき、 素直に子供や保護者に自分から詫びることが出来る人 だと思います。 なぜここまで私が熱く語っているかといると 実は実際に今いるんです・・・身内や知り合いに・・・そのダメダメ教師が。 しかもどういう訳か1人や2人ではないのです・・・。 特に身内にダメな教師がいるとつらいですよ。日々苦しんでおります。 でも質問者様がこの度、先生を諭したことについては尊敬します。 もう拍手です。なかなか言えないことですから。 こういう「先生にもの申す」方が世の中にもっと沢山でてこないと 日本はダメになる。そこまで考えてしまいます。 ところで。思い出しました。私自身の先生の発言によるトラウマは 中学生の時、ある運動部に所属していたのですが 当時顧問の先生が運動神経の良い人間が集まっていた野球部の連中に対して 「お前らこっちの部活に入ってくれよ(本気) こっちは鈍い奴が多くてダメだから!!!」 とよく言っていたとです。 ・・・それを聞く度、とても悲しい気持ちになりました しかし事実なのでその時は何も言えなかったです。 今度同窓会でこの先生に会ったら質問者様のように 先生に問いかけます。あの発言は傷つき、やる気が失せましたと。。。 今回その勇気を頂きました。ありがとうございました。 長々と失礼いたしました。
お礼
otsukare30様、回答有り難うございます。 未熟な若手社員が上司や同僚に励まされて一人前になっていく過程を 教師になぞると困るんですね、未熟な教師に教えられる子供は たまったもんじゃない。 しかし若手教師とてナメなれたらいかんと強気な言動行動 時には暴言も出る、とベクトルが下がるとと両者 悪循環になってしまいます。 私は教師ではありませんが仕事の後輩指導の時に行う 注意点として「人格まで否定しない」と「愛情を持つ」いう事です。 十人十色の人々も皆が人から好かれる人になって欲しい、その為には 厳しいこともいいますがゴハンと酒は腹いっぱい食わせます(笑)。 気障なようですが、愛があるというのは相手に気を使うということだと 思うんです、気にしない人には平気で敵視も出来ますしね。 >先生に問いかけます。 愛をもって言ってあげてください、「あの時ワシ悲しかったんやでぇ」とネ。
わたしは親です。こどもに、日ごろ、 「怒った時も おこってるって事は口で言うこと、 叩いたり大声でわめいてはいけない。 あなたがちゃんと話すならわたしもちゃんと聞く。 言いたいことがあるなら、そのとおりにはならないけど一応言ってみて。」 といっています。 それが、自分が 3歳児を叱る際に 叩いてしまったときに、 上の子と、3歳児の両方から、「叩いたらダメ!」「お口で言うんでしょ!!」と指摘されます。もっともだと思ったら、「間違ってた、ゴメン。」と謝ります。 しかってた内容は 謝ったあとに また言いますが 自分の間違ったぶんは謝りたいと思っています。 そうでないと対等に立てないと思うからです。 事情を確認せずにしかって、「それはやったのは僕じゃないよ」「あ、俺(父)」「あ、ゴメン」「ちゃんと聞いてからしかってね(子供)」「わかった、叱る前に聞くわ...」ということもありました。 が、こういう場面を見て、ほかの親御さんからは、 「わたしなら こどもに言い返させない。わたしが一番つよいもん」「優しすぎるんじゃないの?」「だから●くん(うちの子)って反抗的なんじゃないの、学校でも先生によく言い返してるよね」「叱られ慣れてないと後が大変よ」といわれることがあります。 (わたしから見たら、闇雲に反抗してるとは思いませんが、「なぜ叱るの?」と言い返すこと自体が反抗に見えるのでしょうか。先生が怒るからあやまっとこ、おとなしくしとこ、と思わせたくないので、納得できない場合はこどもが先生に、理由は聞いていいと思っています。) 正直わからないでいます。 自分は、「あ、間違ってた、すまんすまん」「あ、これよりも、(子供が言うように)そうしたほうがよさそうだな」という先生を尊敬します。 ただ それが絶対にいいとか誰しもそうあるべきとかは思わず 迷っているところです。ぎゃくに、先輩のお父さんお母さんに聞いてみたいです。 絶対におとなが正しいというべきなのか、 おとなが子供に謝ることが おとなの威厳失墜や こどもを付け上がらせて反抗的にしてしまう原因なのか?と。
お礼
modama様、早速の回答有り難うございます。 子供と対峙してて私も勉強させられます、親は最初から 親なのではなく子供に諭される部分も多いですね、 特に手をあげる場合はいつも考えさせられます。 >おとなが子供に謝ることが おとなの威厳失墜や こどもを付け上がらせて反抗的にしてしまう原因なのか?と。 これは普段、家庭で厳しく躾けられているかそうでないかでも 子供の「叱られ強さ」は学校で出ます。 敏感な先生はそこらへんコントロールして個々の対応 しておられます、これは昔の先生は上手かったですよ、 明らかに「怒られ役」の子でも間をおいて優しくして あげたり、アメとムチが上手かった(笑)! >絶対におとなが正しいというべきなのか、 間違うこともありますし、子供は逆に虚勢を張れば 不信感が芽生えるのではないでしょうか? 気にしない子と気にする子、だけどどれだけ小さい 子供でも琴線はあります、そういう時にゴメンねと 頭なでで言える先生っていうか人間でありたいですね。
お礼
Aliko111様、回答有り難うございます。 子供のときのショックはどの方にお聞きしてもかなりある みたいですね、そこらへんの機微わかるには若すぎる (精神が)先生も当然おられるでしょう、人の子ですしね。 >こんな私も「先生」と呼ばれる立場になりました。 よくぞ頑張られましたね、 「アンチ」を克服してください(笑)! また印象深いのは最後6行、「謝るべきか・・・」の部分は No.1様も迷われていた分の回答とも言えるのではないでしょうか、 どんなに小さくても頼りなくてもその子その子を 大事にしてらっしゃるのが文を読んでいてわかります、感謝でした。