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僧侶になられた方いらっしゃいますか?
僧侶になろうと思ったきっかけや、何処でどのような修行をされたのか教えて頂けませんか? あと、私は霊感がありませんが、修行すれば霊感をもったり除霊ができるようになるのでしょうか? 霊能者と言われる方は生まれながのものなのですか? ほんと質問ばかりですいません。 興味があるのですが、わからない事ばかりで^^;
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貴方のやる気を阻害していたら申し訳ないのですが、どうも純粋に仏教に関して興味をお持ちなのか?気になり再度書いています。 私の彼氏が僧侶で・・・。 私もご神仏が大好きで、以前からご神仏に使えさせていただきたいと思ってましたし、今後、随分先になるかもしれませんが、尼僧になりたいと考えているのであえて書いています、また・・・。 僧侶になるには、色々な方法がありますが、2さんのおっしゃるように、大学に入ったり、修養の場に出向く事があります。 宗派によって違いますが、紹介者というか、祖師という口利きのような指導者が必要です。兄弟子、姉弟子というようなものです。または引き受けてくださる方という事。 貴方がどのような経緯で「僧侶」に、ご興味をお持ちかは存知ません。 が、修行の厳しさだけでなく、修行を終えてからの行き先を決める事や、その後の生き方も寺の子(跡継ぎ)としての出でない場合は、行き先を探したり、身を置く場所を見つける事がとても大変な苦難(人によっては苦難で無いかな・・・喜びかもしれない・・・)の道になる事も用意されていると思ってください。 まず、念仏系の寺では霊感的なことはご法度に近いです。特に、浄土真宗。 阿弥陀様に、仏様に頼りきること、念仏で救うという教えです。 浄土宗のお数珠を見ていただければわかりますが、唯ひたすら、念仏を唱えるための数珠だまを数えるように作られています。 又、そういった宗派を開いた、開祖の生き方、得たものからの教えが色濃く出ています。法然、親鸞。 真言、天台などの密教系は霊的なことも勿論深く勉強しますが、同じに捉われがちな密教系でも、真言宗と、天台宗の中身は主にしているものものは少し違います。 霊的なこととても専門的なことを(特に真言宗)勉強しますが、だからといって収入を得るためなどにそれを軽々しく使う人も中にはいらっしゃるようですが(全部悪いとは否定はしません。)、こちらの2つの宗派でも霊力に加担した教えは善しとはされていないはずです。あくまで仏の教え、体得を主にしていると思います。又天台宗は、密教を取り入れましたが、主になっているのは「法華経」です。どちらも仏様、宇宙の真理の一部としての自分を知る事、真理に近づき成長していく事を大切にしているはずです。僧侶は決して霊感などを重んじる事は良しとはされていないはずです。 霊札など霊的なことばかりを言う所は、あまり本山からはよくは思われていないはずです。 日蓮宗は「法華経」そのものが全てという教えです。特に真言宗に敵対心を強く持っていたことから、当時、密教に勝てるものとして加持祈祷の中にパフォーマンスとして色濃く、行者系(山伏などの霊的なことを好む人たちの手法)も上手く取り入れています。 霊的なことを申される方も多いですが、そればかりでは人を導いたり救い上げる事は出来ません。基本は仏の教えを、心の学びとしてしっかり落し、又その上で「法華経」の元に仏の道を極め求める方が多いように思ってます。 曹洞宗などは禅を主にしており、作法や礼儀から心の修養、悟り、真理への気づきを智慧を求める傾向性が高い宗派だと思います。加持を取り入れているところも有ります。 臨済宗は、同じ禅宗でも曹洞宗とは又違い、頭で考える問答宗派です。法話などがとても豊富な和尚さんが多いです。以外に星回りなど(天体の動きと真理)もしっかり教学されています。他にも多々宗派はありますが。 どこで何を学びたいか、貴方がしっかり考えた上で、決められてはいかがでしょうか。 上に書いた事は100の話ではなくて私が知っている一部を連ねただけですが、ここで解っていただきたいのですが、はっきり言って霊力があるから僧侶になるとかならないとは関係が無いという事を良く考えていただけたらなぁと思います。 後僧侶になるために、学校に行く場合も各宗派などによっては色々違いますし。 勿論、修行の際は、寝泊りも修行の場で泊り込みなど(ある一定期間)しますし、食事もするわけです、共同生活ですね。僧侶になるための勉学です。 他には法衣等、仏に使える身として揃えなければならないもの(袈裟、僧侶のための制服のようなもの)にも、勿論資金も掛かります。 又、修行などでも、行の辛さだけでなくて、様々な資金が掛かるのも勿論です。 又、寺の息子などで無い場合は、得度をしてしっかり僧侶としてひとり立ちしたとき、今後の自分の行き先を探したり、縁をつけたりと結構苦労することも覚悟しておいたほうが良いでしょう。 何をきっかけに霊力が必要と言われているのか解りませんが、考えているほど甘くはないですし霊力があるからなれるという世界でないのが現実です。 霊力については、お釈迦様の時代のお話なども勉強されるといいでしょうね。お釈迦様は霊力はあるけれど、使うことはあまり良く思われていなかったそうです。 >修行すれば霊感をもったり除霊ができるようになるのでしょうか? こういうことを望まれているのならば、行者系や、山伏、そういったことを主にテーマにしている新興宗教でも、充分身につけることは出来るかもしれません。 浄霊、浄霊と良く簡単に言いますが、祓って終わるだけでは駄目なんです。 困って迷っている霊魂を祓って終わるだけでは駄目ですし。 なんでも霊のせいにするのは良くないということまでしっかりわかった人で無いと駄目ですよね。仏の道と霊力はとは又別の次元です。 それに霊は祓うものではなくて供養してあげるものです。肉体は無くても、霊は心を持っているからです。肉体が無いだけで、私達人間と同じように心の痛みは一緒なのです。 お金は掛かりますよ。やる気があるなら、しっかり蓄えたり、学資金を借りて後で返せる用意まで心得、ご準備しておかれた方がよいでしょう! ちなみに新興宗教と書きましたが、全てを否定しているわけではないです。 ただ、浄霊などと多発していうところはおかしいですし、お寺ではありえません。といって善いかもしれないくらいです。 霊感で自分は僧侶になれるか?やれるか?よりも、本当に仏の教えに対して真摯な気持ちで、学ばれたり求められてはいかがでしょうか。 まずは色々な宗派の考え方などから、学ばれてもいいと思いますよ。 (知っておいでだったら失礼します。) まか不思議なことを求められているのであれば、それはちょっと間違いだと一言お伝えしたいと思いました。言わなくても解っていて、私の考え違いならいいのですが。 仏教はそのなの通り、『仏の教え』の宗教です。 心を救う為の教えです。そこからご自分の求めているものと照らし合わせ、それでも僧侶になりたかったら一歩踏み出られてはいかがですか。 後、大切な事は、浄霊が出来る力を磨く事よりも、僧侶は信者さんたちの心の痛み悩みを聞いてあげたり、世話をさせていただいたりさせていただく仕事ですので、そういったことのほうが大切なことでは?と思います。 だと私は思ってます。 修行は私が知っている宗派では勿論山篭りをして、座禅や、瞑想、読経、布教、掃除、施し、水行、などなど色々有ると思います。 私の回りに居る人では、真理を知りたいから、という人がいます。 自分を人のために仏様の手足になりたいと願った人。 そんな感じの人が多いです。 後は跡継ぎかな。 では。
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- souun
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僧侶とは、修礼を受けて資格を認めてもらった位をしめしますが、特に資格を求めてないのなら、どこかの宗教施設に通うことが肝要です。職員として、奉仕者として、信者として、必ずしも元から宗教者である必要はありません。いろんな人々やさまざまな関係者と接することにより、自分が欲している形態が見つかると思います。 霊感者が必要なのは霊感ではなく社会常識や社会矛盾を理解すること。
お礼
わかりやすく教えて下さり有難うございます。 私自身、まだ入り口にもみたないものなので、いろんな人々と接することは大事だと思っていますし、そうした中で欲している形態をみつけていけたらと思います。 勉強になりました。
- les-min
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こんにちは。。 すみませんが民間人ですので、一部にしかお答えできませんが・・・ お寺さんと接することの多い仕事をしています。 確かに一般在家の方から僧侶になられた方も少なからずおられます。事情はさまざまですね。(ご自身で志された方もありますし、お寺にご養子に入られるためといった必要に迫られた方もあります。) たいてい、宗門系の大学へ行かれて道場に入るか、「本山」と呼ばれるようなお寺の道場に定められた期間入って修行されるか、どちらかが多いようにお見受けします。 お寺さんの修行は、いわゆる霊能力を得るためのものではありません。 宗派によってかなり異なりますので、かなり端折った話とお考えいただきたいのですが、一般にお寺さんは「本尊さまに物事が望ましい方向に進むようにお願いする人」と言って良いかと思います。 ですから、たいていのお寺さんその人は別に超能力者でも霊能力者でもありません。「本尊さまへお願いする術を習得した人」だと言えると思います。 これまた各宗派言い回しは異なるでしょうが、修行というのは、自身を仏(=真理)に近づけていき、自身が真理の中にあること、自身の中に真理があることを見出すことであって、霊感とは無縁のものだと(少なくとも自分はそのように)感じています。 個人的な見解ですが、仏式の修行というものと霊能力というものは本質的には関わりのないものだと感じています。いくつかの瞑想法を行なったことがあるのですが、いわゆる神秘体験的な経験・実感があったとしても、それは霊感というものとは異なるものだな、と感じました。 自分は、別に目に見えるものがすべてとは考えていないですし、科学万能とも思っていないですので、霊能力というのものがあるならあってかまわないとは思いますが、仏教とは本質的な関わりはあまりないものだと思いますけど。 自分の見聞きした範囲では、こういうところです。では。
お礼
貴重なご意見有難うございます。 確かに、修行と霊能力は違いますね。 大学があるとは知りませんでした。 勉強になりました。
- papapiko
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>僧侶になろうと思ったきっかけや、何処でどのような修行をされたのか教えて頂けませんか? それは人それぞですよね、大切なのは貴方は何がしたくて僧侶に憧れているかが大切なのではないでしょうか。 個人的にそう言った宗教家の方と深くたくさん関わっておりますのでなにかメッセージがと思い書きますが。 今一番迷惑されているのが、食いぶちとして楽が出来ると思ったりして僧侶になる輩が居ることです。 あなたが僧侶と言うからには、三法に帰依し、自分自身を人様のために、仏様の法の下に全てを投げ出せるお気持ちでないなら辞めて普通に働いた方がよほど修行になると思います。 修行と言っても宗派によって違いますし、男性女性でちがったりも多少あるようです。 宗派のそそれぞれの本山が殆どでしょう。 又、伝道をうけなければ僧侶にすらなれないこともあります。(祖師ですね) 僧侶は、はっきりいって、霊感などは必要ありません。 霊感は人の個性です。間違った使い方や、霊感だけで人を救っても心が改善され無ければ何の足しにもなりません。 人の人生を左右するわけですから・・・・。 >霊能者と言われる方は生まれながのものなのですか? あるきっかけや、後天的に出てくる方もいらっしゃいますが、それぞれに何か意味もあるんでしょうね。 霊感がある説かないとか、仏道には関係ないことです。 宗派によっては、霊感を用い人に教えを説くとき使う方も居ますが、お釈迦様や、仏様は念力や霊感に頼らず、 心が穏やかでいられることを説いておられるのです。 僧侶であって、霊感に頼りすぎたり、例えば別の宗派などでも、御札など霊札など見せている寺サイトなどもありますが、 あれは僧侶としてやってはならない行為なんです。 霊札は簡単に人に渡したりしてはならないはずなんです。 まず僧侶になるきっかけが自分自身甘くないかどうかよく考えられたらいいと思います。 2世、3世として僧侶になられている方の中には、ぼんぼんとして育てられて、形だけ当たり前にされ居る人もいるし、 本当に望んで他人様の心を穏やかに、又場合によっては法の下に仏様に帰依し続けたい、 悟りを深めたいなど清いお気持ちがあるのならお勧めしたいですが、 そうでないなら辞めた方が良いのではと思います。 人の行き死にを預かるお仕事だと言うことも忘れてはなりませんし、 仏様の教え一筋に生きることが出来ないなら辞めた方が良いかなぁっておもいます。 自分を向上させることは、日々の今あたわっている生活の中でもいっぱい出来るはずですし、 その点では皆平等なはずです。 興味だけでなく、しっかりお考えされ、インターネットも出来る環境のようですから、色々おしらべになられてはいかがでしょうか。 あるいは、あなたのお近くで、しっかりと人にお心をくだいている住職の方などのお勉強会に行かれるのが一番かと思います。 僧侶で霊力ばかりを言う人は本来おかしいことだとお伝えします。 宗派によっては禁じられているところもあるのですから。 大切なのはどのような中でも、相手の立場になって考えてあげたり、 辛い人悩んでいる人を仏様の教えの元、導いてあげることだと思います。 私の意見をいっぱい書いて申し訳ないですが、仏教と霊能をごちゃ混ぜにして頂きたくないので、かかせてもらいました。
お礼
二度にわたり丁寧なご意見有難うございます。 霊感的な事を書いたのは、除霊というものは、そういう力がないと出来ないものだと思っていたからなのです。すごい勘違いでした。私は霊能者になりたい訳ではないのです・・・。言葉が足りず失礼な事書いてすいませんでした。 正直難しい事はわかりません。私はかつて救われたことがあり、私も苦しんでいる方の力に少しでもなりたい!!そう思ったからです。 勉強になりました。