例えば人類の武器開発の歴史を遡って考えてみますと、槍(やり)があってそのあとに盾(たて)が作り出されたのであって、槍や剣のない世界では盾も開発され得なかったと思います。攻撃ミサイルがなければ迎撃のためのミサイルを開発する必要はなく、空爆がなければ防空壕(ごう)など作られることもなかったのです。またドロボーの全く存在しない世の中だったら、カギをつけるという発想も出てこないはずです。こうした「先の攻撃」とそれに対する「後の対策」という、攻撃と受けとの相互発展のプロセスの結果でしか達成し得ないものもある、ということをまず理解すると世の中の多くの事象が今までと違った角度で見ることができます。要するに、ある程度強力な攻撃あるいは甚大な被害に及ぶほどの攻撃を喰らわなければ、ヒトというのは防御の策を講じることはないのだ、というヒトの本質を理解してそこに攻撃を仕掛けてくる側に重要な意義を見出したのなら、日本にとっての韓国の存在の意義がこれまでとは全く違う観点から捉えることができるはずです。
攻撃=韓国(韓国の反日)の存在が無かったら、私自身今でも在日朝鮮韓国籍の人たちは日本によって強制連行されたかわいそうな人達だと疑わなかったでしょう。日本に必要なのは過去の侵略戦争に対するアジア各国への謝罪だという信念を持っていたでしょう。北朝鮮が拉致をやっていると国会で発言した西村議員はとんでもない軍国主義者で、三国人発言をした石原慎太郎都知事はなんという差別主義者なのだと非難したことでしょう。ペ様は日本中の女性をとりこにしていると疑いもせず、姜 尚中氏の穏やかな語り口にこれこそが正論だと思い込んだことでしょう。安重根は英雄だと考え、韓国の反日は日本に非があると漠然と思い込んでいたでしょう。不破哲三氏は憲法9条を固持する立派な人で、土井たか子さんは日本のサッチャーだと信じていたことでしょう。しかし度重なる執拗な韓国からのあらゆる分野での対日「攻撃」があったからこそ、それに対策を講じるべく自ら活字を漁り、広く情報を拾い、自分なりに勉強して、知力を蓄えそこから波及した洞察力や推察力、判断力を備えた少しはマトモな思考を持つに至ったからこそちゃんとした根拠を持って上記のようなことはない!と自分の頭で判断できるようになったのです。わりと多くの人々がこうした韓国の反日言動や歴史認識がどうのとやらを受けて、これと似たようなきっかけで自分なりに本を読み漁ったり考察した経験があったのではないかと考えています。つまり彼らが火をつけたのは日の丸の旗ではなく、はたして彼らの主張は正しいのか?という我々が能動的に物事の是非を検証しようと問いを発する「科学的思考」にこそ火をつけたのだと気がついたのです。
世界には無理やり外部に敵を創って国内をまとめる、などという面倒くさい政治手法がある一方で、わが国には黙っていても敵として戦闘以外のあらゆる攻撃をしかけてくる存在があるということは、国益が害される一方で同時に官民を挙げてその国益、公益、集団や個人の利益等を守る対策に打って出るという、我々自身が強力な変化を遂げるという効果も生じた、と考えられるのです。だからこそ、嫌な相手だからこそ韓国は日本の発展にとって重要な存在で、それこそが彼らと付き合う上での最大の効果=メリットなのだろうと思います。我々が「タテ」なら、彼らはド突いてくる「ヤリ」なのですから、反日の韓国は嫌だ、怖いなどと萎縮していてはもったいなく「いくらでもド突いて来い!そのおかげで日本は一層強靭になるのだ」って、むしろ迎え撃つことを楽しみにするくらいの気持ちで前向きに韓国と関わっていくべきでしょう。
シベリヤではトラやヒグマが、北米ではハイイログマやピューマがいるからオオカミは高度に組織化された集団で活動し、食物連鎖の最上段に君臨しているわけで、それらの大型獣がいなくなって更に餌が楽に確保できる環境ができてしまったら、オオカミだって時が経てばそこら辺の「ワン公」みたいになってしまうかもしれないじゃないですか。
補足
なるほど。そういう風に考えたことはなかったです。 たしかに北朝鮮という国が出てきたから国防費が増額され 私も韓国について調べるようになったと思います。 これを期に若い人たちがもっと政治に興味を持って欲しい と本気で思います。