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息子の障害についての授業
小学3年生の息子は発達がゆっくりしています。 はっきり自閉症と診断できるほど強いこだわり行動があるわけでもなく、どちらかというと学習障害に近いような感じです。しかしながら、クラスの友達も下級生と接するような態度で、親から見れば、優しくしてもらっていると感じています。 最近息子が突然「僕は自閉症なんだ」と発言したそうです。私からはまだ本人に伝えたことも無いし、自閉症とは診断されていません。 先生は、自分から障害を話して障害名だけが一人歩きしないように、息子さんの発達障害についてクラスで話しをしてみましょうか。お母さんが道徳の時間にでも話してくださってもけっこうですよ。」と提案をいただきました。 そのときは、良い考えだと思いましたが、親でさえ勉強中の「発達障害」について三年生が理解ができるのか、興味本位になってしまわないか、かえって息子が特別視されてしまうのではないか?等、授業のやり方について色々考えています。 小学3年生は、「自分が何者なのか」という はっきりした意識も未発達ななかで、他人を理解しよう、ということがどれくらい伝わるのか未知数です。 「個性について」という授業で皆自分の持つ特性について考える中で他人との共通点、違う点、について 考える中で、色々な個性があること、共存することが 平和を生むことについて話す方向がいいのか悩みます。 授業をやって障害についてはなすべきなのでしょうか?今、自然に学校生活を送っているので、そのまま様子を見ても良いのでしょうか?学年があがるにつれ、理解が必要になってきますが、早めのほうがいいのでしょうか? やるとしたら、どこにポイントをしぼったらいいでしょうか?
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>授業をやって障害についてはなすべきなのでしょうか?今、自然に学校生活を送っているので、そのまま様子を見ても良いのでしょうか?学年があがるにつれ、理解が必要になってきますが、早めのほうがいいのでしょうか? 僅かな経験と安易な発想だけで「やった方がいいですよ」とは絶対に言えません。 自閉症とははっきり言えないが、何らかの発達障害はあるということだけは分かっているのですか? 診断名がはっきりしないのに子供達に理解させることが本当に出来るでしょうか? 曖昧な事柄なら、尚更子供達を混乱させてしまうのではないかと危惧します。 しかしこの点がはっきりしているなら、むしろお話された方がお子さんにとっても、周りの保護者にとっても楽になると思います。 恐らく他の子供達にとっては殆ど何も変わらないと思います。質問内容から、そのあたりは既に上手く教育出来つつあると判断したからです。 担任と学校の取り組みは一応上手くいっているのではないかと思います。 >小学3年生は、「自分が何者なのか」というはっきりした意識も未発達ななかで、他人を理解しよう、ということがどれくらい伝わるのか未知数です この部分に関してはそれ程心配する必要はないと思われます。 自己の認識の方が他者の認識より遥かに難しい・・・それは大人にとっても同じ事が言えます。 しかしそれは同時に、「どこまで行っても他者を我が事のように認識することは不可能である」ということを物語っています。 従って折角一生懸命話されたとしても、その大部分が忘れ去られ、そして何事も無かったかのように過ぎていく可能性を秘めているということは肝に銘じておかなければなりません。 >最近息子が突然「僕は自閉症なんだ」と発言したそうです この点が問題です。 まだ断定されていないにもかかわらず、何故お子さんは「自閉症」という言葉を発したのでしょう? もし家庭内や医療機関等での話し合いを偶然横で聞いておられたのでしたら、配慮が足りなかったとしか言い様がありません。 もしお友達の中からその様な言葉が出てきての発言だとすれば、他の保護者の言葉が伝わってしまったのでしょうか・・・。 そうだとすれば、素人目で見ても明らかに自閉症の傾向があるということですので、この場合はやはり正しい理解を仰ぐためにお話されることも選択肢の一つだと考えます。 しかしそう考える一方で、根拠の無いことを子供に伝える愚かな保護者などを相手にする必要があるのか?という疑問も感じます。 信頼のおける方にだけ事実を伝えておく、という選択肢もありますよね。 個人的な意見としては、「障害がはっきりしていない今の段階で、特別な対応は必要無いのではないか?」と思えます。 今後の予測はついていますか? 今現在学校側から個別学級への転籍の話はあるのでしょうか? 明らかにLDであったお子さんが高学年で他の子供達と変わりない状況まで落ち着いたのを知っています。 ただ、状況が好転(個別学級から普通学級へ転籍)してからすぐに引っ越されました。 恐らくその中ではいつまで経っても過去を引きずらなければならないことを、誰よりも親御さんが一番良く理解されていたからでしょう。 今後も尚今の状況が続く、もしくはもう少し発達に差が出てくることが予想されるのでしたら言う方が良いとも思いますが、そうでないのでしたら先々のことまで考えられた上で判断されるべきです。 うちの息子はADDの疑いがあります。小4の時点で本人と話し合いをし、本人の意向で診断は受けずにきた為、断言は出来ません。 高学年になってから徐々に好転し、中学生の現在は生活面、学習面共に他の多くの子供達より優れています。 しかし時々驚くほど大きなヘマをやります(笑) 4年生くらいまでは「不注意」が並大抵ではなかった為、本人の意図しない失敗から、同級生やその保護者から散々陰口を叩かれました。 世の中は、弱いと“分かっている”者には優しく、そうでない者に対しては厳しい。 「いっそのこと受診して診断を下され、皆の前で『息子には障害があります』と言おうか?」と悩んだこともありました。 しかし今では「あの時そうしていなくて良かった」と心からそう思っています。 もしあの時言っておれば、息子は今でも、そのしがらみから抜け出せずにいたことでしょう。 もしも、少しでも、好転する見込みがあるのなら明言しない方が良いと考えるのはその為でもあります。 表現は悪いのですが、シミを付けるのは簡単ですが、シミを抜くのは本当に大変です。 >「個性について」という授業で皆自分の持つ特性について考える中で他人との共通点、違う点、について 考える中で、色々な個性があること、共存することが 平和を生むことについて話す方向がいいのか悩みます 最後の「共存することが平和を生む」ということを質問者様のお立場で言及されるのは、あまり好ましいとは思えません。 その部分を見出すのは子供達自身でなければなりません。そしてそれを導くのは、今後もクラスを運営していく教員の仕事です。 保護者としての立場を貫き、理解を仰ぎ、そこから先は教員に委ねるべきです。 質問者様が仰るべきことは、現在のお子さんの状況と、苦手な事柄や何か事が起こった時の対応の仕方のみでよいと思います。 それを受ける形で教員が授業に持ち込むのが最良の方法だと考えます。 >クラスの友達も下級生と接するような態度で、親から見れば、優しくしてもらっていると感じています 最近の子供達は悪く言われがちですが、実際は優しい子供が多いんですよね。悪い部分だけがクローズアップされて、素晴らしい部分が意外と知られていないのが残念でなりません。 先程書いた中学生の息子も丁度同じ頃にLDのお子さんと同級でしたが、いつも「○○君ってかわいいから好き」と言っておりました。 親としては、同級の子に対して「かわいい」という表現が適切かどうかで散々悩みました。しかし語彙の少ない子供にとっては、それが唯一上手く表現できる言葉なのです。 背が低い子供に対しても「かわいい」と言うのですよ。『障害』という特別な枠では見ていないのです。 子供達は大人が思うほどの偏見は持っていない。それが適切かどうかと悩んでいた自分の方こそ偏見を持っていたのだと知らされました。 子供達から教えられることの方が多いですね。 長くなりましたが、お子さんにとっては将来をも左右することです。 他人がどうこう言える問題ではありませんから、ご家族でじっくりお考えになって下さい。 そして学級で話をされるのであれば、まずは事前に息子さんとしっかりと話し合いの場を持たれることです。 もしも息子さんがご自分の状況をいまひとつ理解できないようであれば、その時期が来るののを待ったほうが良いでしょう。 クラスで話しをするかどうかも息子さんの意見を尊重してあげて下さい。 実際に闘っているのは、そしてこれからも闘っていくのは、あなたではなく、お子さん自身なのですから。
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- feefee_lou
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6年生の高機能自閉症の息子がいます。 息子の場合、本人は特に「自閉症である」という自覚はありません。自分が他の子とはちょっと違う、という認識はあるようですが。 クラスの子たちに「この子は自閉症(あるいは発達障害)」とカムアウトもしていません。でも、保護者会では親を相手に自閉症である旨説明していますので、子どもにそのことを話している親もいるかもしれません。 ただ、6年間ずっと同じ学校で過ごしてきて、うちの息子が普通とはちょっと違うこと、ある分野では配慮が必要であること(たとえば班活動では「できることを、しっかり説明をして割り当てる」など)、言葉によるコミュニケーションが取りにくいことなどを、みんなわかってくれています。そのうえで、うまく息子とつき合ってくれているようです。 わざわざ説明をしなくても、高学年にもなればみんな自然にわかってくれると思いますよ。 ただ、集団行動でどうしてもみんなと同じ行動を取れないとき、「みんな本当は嫌だと思っていてもやっているのに、なぜあの子だけはいいの」という「ひいきはずるい」感覚で見られることもあります。それが高じていじめなどに発展しそうなムードなら、先生を通じで、子どもたちに分かる言葉で、話してもらっても良いかもしれません。 以上はあくまでも、うちの息子のケースです。 質問者様のお子さまの場合、自分で「自閉症だ」と話している、とのことですが、自分で自閉症と自覚するようなできごとがあったのでしょうか。また、自閉症というものをしっかり理解した上での発言なのでしょうか。クラスの子たちにそういう発言をしている以上、「自閉症とは何か」ということを、やはり一度説明する必要があるかもしれません。説明のないままだと、わけのわからない「自閉症」が、意味を間違って取られたまま一人歩きする可能性もあります。 そういった内容を三年生に話してみて、ちゃんと納得して接してくれる子もいるでしょうし、そうでない子もいるでしょう。でも、今の小学生は金子みすずの「みんなちがって、みんないい」を教わっています。「他と違う」ことを許し、認め合うことのできる子がたくさんいるから、うちの息子はみんなの中でやってこれたのだと、私は思っています。 とりとめのない回答ですみません。少しでも何かご参考になれば幸いです。
お礼
お返事ありがとうございました。 「自閉症」とは本当に言葉だけだと「ひきこもり?」「引っ込み思案?」という認識のかたも たくさんいますし、本当に自閉症の実態について理解をしてもらうことは、教育関係者にでさえ、 難しく感じることがあります。 息子に「先生に、「ぼく、障害があるんだ。自閉症なんだ」って言ったの?」と聞くと、 「それは、たっちゃんのことなんだ」と、うちにある、絵本、「たっちゃんぼくがきらいなの?」という 自閉症の子供に関する絵本の内容を自分に置き換えてなんとなく言っただけのようでした。(汗) 息子はよくこの手の言葉遊び?というか意味があいまいなまま、「ママ、僕、目が妊娠したんだ」とか 現実には無かった出来事と、漫画の内容を組み合わせて作り話(本人はうそをつく気ではなく楽しんでいるだけ) びっくりするような事を言う意事があります。 今回はかなり紛らわしく、びっくりしました。 先生にもそのことはお伝えし、今回は様子見ということになりそうです。 >わざわざ説明をしなくても、高学年にもなればみんな自然にわかってくれると思いますよ。 そのとおりだと思いました。 せっかく一部の子以外には自然に受け入れえもらえているのであえて異端児扱いをする必要は 無いのだと思いました。 金子みすずの、「みんなちがってみんないい」というフレーズはとてもいいですね。 本当にありがとうございました。
>授業をやって障害についてはなすべきなのでしょうか?今、自然に学校生活を送っているので、そのまま様子を見ても良いのでしょうか?学年があがるにつれ、理解が必要になってきますが、早めのほうがいいのでしょうか? 授業を行うには、「具体物を見せる・使う」「児童に考えさせる」「体験的な活動をさせる」という観点から、展開を考えてみてはいかがでしょうか?? (1)具体物を見せる・使う 授業では、児童が生活の中で見たことがあるものを使うのです。例えば、点字ブロックを使ったり、車椅子を使ったり、と色々とあると思います。 外に出掛けたときに、子どもたちは必ず見ているはずです。なので、難しい内容ではないと思いますよ。法律で「障害とは…」って話すと大人でも難しいですが、この世の中には障害を抱えて生きている人たちも、私たちと同じようにこの町で暮らしていることを自覚させることが大切だと思いますよ。 「発達障害」という言葉よりも、「障害」という言葉で説明をし、その障害には色々なものがあるんだよ、って説明してみてください。 (2)児童に考えさせる 具体物を見せてあるいは触らせて、児童たちに「これは何のために使うのかな?」と質問をして考えさせるようにして下さい。答えを出すのは大人ではなく子どもたちに出させるということが重要です。 「そういえば、うちのお祖父ちゃんが足が悪くて車椅子に乗っているよ」とか「点字ブロックの上を、ずっと歩いている人を見かけたよ。お母さんに聞いたら、目が不自由な人なんだよって言ってた」なんて、児童から答えが出てくるかもしれませんね。 (3)体験的活動をさせる。 安全を十分に確保しながら、児童に目隠しをさせて歩かせ、あることに気付かせてください。それは、障害者の気持ちです。 おそらく児童は実際に体験することによって、目が見えないことへの恐怖・不安・自分がどこにいるのかも分からない、など普通に生活していては味わえない感情を抱くことになるでしょう。 体験活動によって、実感したことがそのまま児童たちの理解につながります。言葉で説明してもなかなか理解できないことでも、児童が実際に活動を行うことで体感できますから効果的です。 「障害」のことを教えるのに難しい言葉なんていらないんです。「障害」というものを、素直に見せ、体験させ、そして考えさせることが大切だと思います。 参考になるか分かりませんが、アドレスを書いておきます。 http://www1.ocn.ne.jp/~mikataes/html/2tenji1.htm
お礼
ご回答ありがとうございました。 身体障害等の場合は、具体的に困る場面を提示しやすいので 子供たちにも理解というか、説明はしやすいかもしれませんね。 私が勤める福祉作業所でも、小学校に出張ボランティアで 脳性まひの利用者の方が総合の時間を使って、まずは、障害のある人の 存在を認識してもらうというレベルから授業を行っています。 言語障害のあるかたなので、「何をいっているでしょー!」クイズなど、 自ら企画し、子供たちも最初はおっかなびっくりですが、 最後には慣れて(これが結構大事なのです)理解というより、 まさに、なんとなく慣れた。という感じになっていきます。 ご回答の内容をぜひ参考にさせていただきたく思いました。 自閉症の場合は症状の範囲も広いので重度から軽度まで 悩みの種類もさまざまです。 重ければ重いなりの、軽ければ、社会適応のちょっとしたズレに・・・。 なかなか、説明も理解も難しいところです。 親ですら、「なんで!こんなことするの??」と 度肝をぬかれるくらいですから・・・(笑) ご回答ありがとうございまhsた。
- elizabeth-mg
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私はぜひお母さんが道徳のときにお話なさったらよいのではないかと思います。 もしくは、懇意にしている障害に詳しい先生などがいらっしゃれば講師をお招きするというのも良いのではないかと思います。 どちらにしても、私は「授業参観日」に「お母さんたちにも聞いてもらう」ことがよいのではないかと思います。 というのも、3年生ですから授業の内容がある程度理解できて子供なりに納得して家に帰って親御さんに話すと思うんです。 でも、そのときお母さんたちに正しい知識がなかったばかりに・・・・ということも考えられるからです。 私の友人で、長男と次女が自閉症を持ったお母さんがいます。次女と私の長男が同級生で、lundcityさんと同じような相談をうけ、私はみんなにどういうことがいやだとか、何が苦手だとか知ってもらうことによって、○○ちゃんが快適な学校生活を送れるならやってみたら?ということで話が進み、保護者も一緒に彼女の話を聞きました。 彼女も「自分も今勉強中ですが・・・・」と話してくれましたが、とてもすばらしいスピーチで感動して、それを子供とともに話すことができてよい機会になったと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 子供を通して感じることは、やはり、親御さんが多様な個性に対して 寛容なタイプの家庭のお子さんは、やはり息子に対して、自然な態度で 困ったときも自然に助けてくれています。 地域柄なども多少はあるかと思いますが、elizabeth-mgさんのような お母様たちが本当に救いになります。 今回は授業の件はちょっと様子見にしようと思いますが、 保護者の方からの貴重なご意見として、今後もしやることになったとき 参考になります。 ありがとうございました。
- yubuccho
- ベストアンサー率8% (126/1550)
質問の答えにはなっていませんが。 息子のクラスに多動の子と発育が遅いのもあってお友達に暴力や暴言を向けてしまうという2人の子供さんがいらっしゃいます。 今学校のクラスの役員をしているのですが、クラスの保護者会の時に担任の先生からその2人の子供さんの親御さんから子供さんについて説明してもらってください、と言われました。それで、いきなりはその方たちも発言しづらいので日頃家庭での子供さんの様子を他のお母さんに話して頂く中に混ざってお話していただきました。 息子達はまだ1年生ということもあり、なかなか理解できないところがあるようなので、そのお友達がちゃんとしなかったり暴れたりすることに対して悪を感じているようでした。お母さんから説明を聞いていたので、子供に何とか分かりやすく話が出来たと思います。子供たちには先生が話しをしていたので、多少の理解はあったと思いますが・・・。
お礼
ご回答ありがとうございました。 クラスにいると最初は「何?この子?どういう育て方するとこうなっちゃうの!?」と びっくりしますよね・・。 問題行動がはっきりしている場合、特に一年生の段階でを求めるのは クラスのためにもいいことかもしれないですよね。 その子がむやみに嫌われたりしかられたりしないですむ分発達も阻害されず 順調によい方向に伸びていくでしょうし、ほかの子供たちは、大変なこともあるでしょうが、 話し合う機会や考える機会も増えて経験をつむことなるかもしれません。 ほかの学校の様子を知ることが出来て、感謝いたします。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私が一日じっくり考えて整頓した答えを後押ししてくれました。 本当にそのとおり、ひとつも間違いないお答えです。 息子が自閉症発言をしたことは、前の方のお礼にも書かせていただきましたが、 単に読んだ絵本の内容を勝手に自分のことに置き換えて発言してみただけのようでした。 本人に念のため「なにか障害があるの?」と聞くと、「僕は無いよ」とけろっとしたかおでした。 本の内容と現実の出来事を混ぜてしまうあたりも、ちょっと問題ありなのですが。。。 どちらにしても、この先、伸びていく可能性があるのに、そして せっかく皆になんとなく馴染んでいるのに、あえて「この子はちょっと違います」 といってしまうのは、熟慮なしにやって良いことではないですよね。。。 親としては、やはり世間に「何あの子?何、あの親?」と思われたくない弱さもあり いっそ話してしまって楽になりたいようなきもちになることもありますが、 ここは、子供のため、じっくり、慎重に行きたいと思います。 今回は先生にも、いきさつを話し、様子を見るという話をしました。 またどうしても必要な事態になったら、今回のご回答を参考に またじっくり考えたいと思います。 本当にすばらしいご意見で、やはり、発達障害を持つ子供の親御さんは (自分もですが)色々考える機会が子供に与えられているんだなー。と 妙に感心しました。 大変な分、自分も多方面から色々考えなくてはけない状況になり、 毎日が勉強です。 ありがとうございました。