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なぜ、ヒトは“付き合う”ことにこだわるんでしょうか?
「結婚」という制度は、恋愛結婚が増えた現代となってはいささか美化され、偶像化された感がありますが、社会秩序の維持や打算的・利害を含めた男女間の結びつきという部分が、少なからずあると思います。 しかし、ヒトはそれ以前から“付き合う”ことで、それに似た様な関係を結びます。お互いの自由を拘束し、見合った関係性を期待します。結婚を前提とした、演習ということも考えられますが、実際にヒトはそれほど相手を常に結婚対象としているようには見えず(実際、しているのでしょうか?)、なぜ「結婚」前から“付き合う”ことでお互いを枠内に収めようとするのか不可解です。 ヒトは、寂しいから“付き合う”のでしょうか?愛されてるという確証が欲しいから、そのような規定を設けるのでしょうか?あるいは、そうでもしないと、本当に人を愛してると実感することさえ困難なのでしょうか?普遍的な答えはないと思いますので、個人的な意見でもかまいません。気になったので、質問してみました。
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お礼
ご高察ありがとうございます。 おっしゃる通り、“付き合う”というのは与えられただけの概念に過ぎないのだと思います。ですから、セックスのためだけに“付き合う”なんて、一種ばかげたようなことが起こるのだと思いますが、それも言ってしまえば、好きな言葉ではありませんが、必要悪だなどと人間は思っているのかもしれません。でも、大切なことは、自分自身が概念を弄ぶというか、自分というふるいにかけて用いないならば、それを逆手にとられるということもあるということではないかと考えました。逆に、それを洞察する力を持つ者は、逆手にとって人を欺くこともできるというのも、然りです。大変面白かったです。ありがとうございました。