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「プライド」や「意地」は必要だと思いますか?
最近思うのですが、プライドや意地などはない方が生きていく上でよっぽど楽だし、損をしないで生きられるなと思えてくるのですが… これって逃げですかね? 一般の人の意見が聞きたいです。
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どなたかの意見にありましたが 高卒の方が大卒よりプライドが高いって ことはあります。女性でも容姿の劣る人の 方が容姿の良い人よりプライドが高いんです。 なぜかというと、褒められるということが 少ないので、人間に余裕がなくなり プライドだけが肥大化するからです。 「なにくそ」という意識が強くそれが プライドに育っていくのです。 そしてそのように培われたプライドは 人を攻撃するという方向にいきがちです。 陽の当たらない道を歩くとそうなります。 だからプライド云々言う前に 目的に向かって素直に謙虚に努力することが 大切でしょうね。
- aozola
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そうですね、微妙な話ですね、他の方が言われてましたが、劣等感がプライドや意地になってたら、害ですよね、そうでなくて、どうしてもこうだという事が、プライドや意地になっていれば、それは悪いことではないですし、まあ何というか、弱いことをひっくり返して、強くなるんじゃなくて、もっと落ち着いた観点というか、人としての姿勢というか、そういうものだったらいいプライド、いい意地だと思います、二つあるような気がしますね、プライドや意地というものは。
- domaine-espoir
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こんにちは。 意地とプライドはどこか似ているようで似てないのかなと おもうことがあります。 意地は火花のようなもの、とても動的で、 基本的には追い込み型のもの。 プライドはその人その人の芯のようなものだけれど コンクリートのようなどこをとってもがっちりとした固まりではなくて、 ある面では他に開放的・改良的なもの、 全体的にはおだやかな静的なもの。 答えになっていないのかもしれませんが、 なんか、質問内容にあることを考えることって、 自分から逃げてはいない証拠だと感じます。 そうして自分のなかから出てくるものや拾い上げるものって、 ふむ自分らしいなと感じられる場合もあるとおもいます。
- kanpati
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必要だと思います。 自分はあまり表に出さないように心がけているつもりですが、その為だけに密かに努力したり勉強したりしています。 自己満足ですね…
- 8942
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社会の中に「プライド」や「意地」を持たない人が少しくらいいるのは 別に不思議な事ではないし、人それぞれの生き方だからとやかく言えないかも知れないけど、 今の日本ここまで発展したのは、まさに意地とプライドで 生きてきた人たちが残していった有形無形の財産のおかげです。 あまり意地もプライドもない人たちの人口比率が増えるとと この国の存亡の危機でしょうね。 >これって逃げですかね? 一概に逃げとは言えないと思いますが、そういう人は増えて欲しくないです。日本のために、 絶滅も那賀っているわけではないですが・・・
- plansh
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私はいつもプライドを持っています 自信の無い人生なんて、思っても考えられません。 プライドを持つ事は私の信条でもあり、その反面 何でも 自分にプレッシャーをかけています 現代からみると笑う人もいるでしょうが 男子たるもの プライドを持って プレッシャーを掛けなければ、駄目だと社員や皆に言ってます 同じ生きてゆくのならば そこできっと何かが掴めると思っています ごめんなさい、、、反論になってしまいました 人それぞれ生き方があるでしょうからね
- chairwarmer
- ベストアンサー率41% (163/393)
プライドや意地、更にはそれらを産み出す価値観などもすべて含めて その人の個性、つまりは「自分らしさ」なんだと思います。 判断・行動の基準が何から何まで自分と同じ人なんて世の中にいるはずありません。 みんな何かしら「自分なりの考え方」「自分なりの基準」があるものです。 プライドや意地ってのは、そうした基準の一つじゃないでしょうか。 程度の違いこそあれ、そうした自分なりの基準は個性の一部なので 捨てたりなくしたりできるものではないと思います。 他の方もおっしゃるように 「俺はプライドや意地なんか持たずに気楽に生きるんだ」 というのも一種のプライドだと言えるでしょうしね。 ただ、基準の違う他人の意見とぶつかった時や、自分の基準を押し通す事で 周囲に迷惑がかかりそうな時などは、ある程度妥協して周りの基準に合わせる事も必要でしょう。 人生経験をつんでいく中で、そうした事を学んでいけばいいんじゃないでしょうか。
プライドや意地というのは、あったほうがいいかどうかというようなものではなくて、欲しくもないのにどうしても捨てきれなかったり、欲しいと思ってもそれがもてなかったりするものでしょう。自分でどうにもできないものだと思います。 ただ、思うのですが、世の中には「ニセモノのプライド」や「ニセモノの意地」というのが幅を利かせているように思えます。本当のプライトというのは、おそらくあってもそれが何かの邪魔になるようなことはないでしょう。もしプライドが邪魔をして何かの支障が起こるなら、それはまがい物のプライドなのだと思います。 よく、自分から「オレのプライドが・・」とか「オレにも意地が・・」とかいいますよね。私は、「自分で口にするプライドや意地はすべてニセモノである」と思っています。プライドとは、他人が自分に向けていう言葉です。「君は、プライドを持っているね」と。自分から「私はプライドを持っています」などという言葉ではありません。そんなことをいう人間は、その時点でプライドがありません(笑)。 プライドとか意地という言葉は、実は本当は別のものをうまくオブラートのようにくるむのに使われます。例えば、ただ億劫だったり面倒くさかったり怠け者だったりして何かをしたくないだけなのに「プライドがあるからできない」というような人がいますね。そういう、ものごとをうまくごまかすのにプライドや意地という言葉はよくつかわれます。 質問者さんの考えるプライドや意地は、本物でしょうか?? それとも、ニセモノ??
- hoshimineko
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仕事に関しては、妙なプライドは邪魔。 ある仕事を期日内にやり遂げるという意地は有用。 仕事以外では、意地を張ることによって不利益が生じるような場合には、意地は不要。プライドが他人を傷つけるようなことがあれば、プライドは有害。 ・・・だと、私は思います。
- midori5
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自分らしさ、 が一番^^ 意地は、頑張るときに使えばよいのだし、 プライドは、正念場に立ったとき(自分が決断しなくてはならないとき等)良い意味で自分らしさ、を本当に出せることだと思っています。 実はかなり勇気が必要で難しいことと思います。