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鬱病の友達を受け入れられない
友達が激務に耐えられず鬱病になりました。 現在は仕事を辞め、実家で両親と同居しています。 「毎日楽器を弾いたり、裁縫をしたり、本を読んだりして 苦痛な1日をやっとの思いでやり過ごしている。 できるなら死にたい。いつか会いたいよ。」 とメールはくれるのですが 私にはどうしてもその友達の状況を心から心配し、 励ますことができません。 私だって仕事がしんどかった時期、 必死に出勤の準備をしたものの、どうしてもドアを開けることができず 玄関に立ち尽くして泣いた朝があります。 朝、ベッドの上で目が覚めて 今日がまた始まってしまったことが悲しくて 涙がこぼれた日々もあります。 誰にも会いたくない、何もしたくない、 それでも働かなければ周囲に迷惑をかけるから 必死に会社に出勤し、誰にも依存せずに一人で暮らしていると 友達が甘えているようにしか思えないんです。 誰かが助けてくれるから仕事を辞められる、 庇護してくれる人がいるから家で好きなことをしていられる 私のようにそんな余裕もなければ、 鬱病になんて、なりたくてもなれないと思ってしまう。 『鬱病は病気なんだ』 『怠けている訳じゃないのに社会から誤解されてかわいそうだ』 そんな広告や情報を見る度に 友達を受け入れられない自分が責められているようで辛いです。 鬱病の人は甘えていると憤ってしまうのは人として間違っていますか? 私の心が狭すぎるのでしょうか。
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#3の者です。再度失礼します。 「遊びに行こう」と言ってくるということは、きっと質問者様はご友人に随分信頼されているのですね。 鬱の自分でも、受け入れてくれるだろうと感じているのかもしれません。 「助けてあげよう」とは思わないほうがいいかな、と思います。 鬱になった当本人の私が言うのは変な感じですが、鬱病の人と接するのは、とても重いことだと思います。 私も自分以外の鬱病患者の知り合いもいましたが、「死にたい、(腕を)切りたい」などと言われると、なにを言っていいかわからず、ひどく疲れました。 「なにいってるの、私に頼らないでがんばってよ。迷惑かけないでよ」と、口にはしないけれど思ったりもしました。 それを、「愛情がない」と言われてしまえば、確かにそうなのですがつらいものがあります。 鬱病の本人は、つらいです。でも、それを支えようとすれば、その人もまたつらいです。 悲しみや苦しみが、伝染してしまうとよくないです。 なので、遊びに行こうと思えるときに、行けばいいとおもいます。 対応にも気をつかうと思いますし、ネガティブなことを言われて「私だってつらいのに」という気分に、思わずなってしまうこともあるかと思います。 ただ、「私もつらい」発言は、「がんばって」と同じくらいタブーです;; 普通なら「共感」は大事なんですけど、こういう場合は、鬱の人は「私のほうがつらい!!!」と思ってしまったりするからです。 あえてなにかしてあげるなら、話をただ聞いてあげることだと思います。 「そっか、つらいんだね」など、簡単な相槌でも心が安らぐものです。 私は今でも、鬱が治った頃のことを覚えています。 いつも歩いていた道で、ずっと咲いていたはずの花が、急に目に飛び込んできました。 鮮やかな黄色、ピンク・・・そして目を上にうつしたら、もう何年も忘れていたような、美しい青色の空が広がっていました。 そこにあったはずなのに見えなかった「あたりまえ」の物が急に見えたときの感動は、素晴らしいものでした。 質問者様のご友人も、いつかこんな日がくると信じて、待っていてあげてください。 二回も長々とすみませんでした;;それでは。
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- sol_06
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ん~、励ます必要なんかないです。 病気なんだから、励ましようがないですよね。 頭痛で苦しんでる人に向かって「頑張って!」なんて 言わないですよね。 「私も毎日仕事大変よー。ともかくお大事に。 また会えたら(お茶できたら)いいね。」 程度のメールでいいと思います。返信するならね。 っていうか、その人は本当にお友達ですか? 前の同僚なだけとかじゃなくて? うつ病はなりたくてなれるもんじゃないです。 あなたがもし、まだ“うつ”に限らず、健康を損なわずに 生活できているのなら、どうぞその“健康”を大事にしてください。 病気になってしまったら、もとの健康を回復するには 想像しがたい、時間と費用、諸々を要します。 費用はともかく、失ってしまった時間は取り返しがつきません(ホント年単位で時間がかかります)。 好きでなった病気じゃないのに。 逃げて病気になったわけではありません。 日ごろの行いが悪くて病気になったのでもないです(笑) なので、残念ながらあなたが「なってみたい」と思っても“うつ”にはなれません。が、なりたくないのになってしまう可能性はあります。 “気合”でどうこうなるものではないですよ。 「人として間違ってる」のではなく「認識が間違っている」のです。 受け入れられないものを無理に理解しなくてもいいと思いますよ。 もし、その人が友達で、これからも友達でいたい人なんだったら、あなたに余裕ができるまで、時間を置いても大丈夫じゃないでしょうか。
お礼
いつも「こんな気持ちだけどこんなことして頑張ってるよ」 「こんなに辛いけどなんとか頑張ってるよ」って 彼女がメールをくれるんです。 頼られてる、必要とされてるのに励ませない・・・って。 もう7年来の友達です。 故郷も一緒、遠方に進学した大学も同じ。 とても優秀で魅力的な子だったので 今の彼女の現状を、私自身もとても残念に思っています。 同じ状況でも鬱病にかかる人とかからない人がいますよね? もっと言えば、鬱病にかかった人より厳しい状況でも 病気にならずに頑張れる人も。 そのことが私の認識を間違わせていたのかもしれません。 丁度良い距離感でお互い大事な友達のままでいられたらと思います。 ご回答ありがとうございました。
- 333999
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やっぱり鬱は病で、家で一見甘えている様に見える友達も、今は とても苦しんでいるんだと思います。 社会に順応出来ない自分を責めたり、色々葛藤しているんじゃないでしょうか? 仕事が辛くても頑張る人、投げ出す人、病気になる人・・・ 色々な人がいてそれぞれに理由や心境や状況があるから 受け入れたり心配出来ない気持ちは分かるけど、 誰が一番辛いとかは分からない事だからそっと見守ってあげて欲しいです。 励ませない程きっと質問者さんも、毎日が戦いで苦しいのかも しれないですね。
お礼
彼女を取り巻く他の友人達も みんな社会人として頑張りながら彼女を理解して支えているんです。 自分だけがそう思えない、余裕がないことが苦しかったのかもしれません。 >励ませない程きっと質問者さんも、 >毎日が戦いで苦しいのかもしれないですね。 こう言って頂けてとても救われた気がしました。 精神は強い方がいい、成績はいい方がいい、他人に負けるな、自分に負けるな ずっとそう思って生きてきたんです。 でも、みんながみんなそう思えるわけでもなく その価値観が絶対ではないんですね、きっと。 アドバイスありがとうごさいました。
- adaypajimy
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病気になる人間は、その人自身の耐性のなさも問題かもしれませんが、病気になるのはその人がすべて悪いわけではありません。 生活がかかっていようが、頭はおかしくなります。頭がおかしくなったという表現は失礼かと思いますが、体のある部分がおかしくなって、日常生活をおくれなくなったならば休養して薬を飲む必要があるでしょう。 貴方は相手が会いたいという好意があり、心的に信用されている人間であるのだから、受け入れてあげるべきではないですか。健全な者以外は社会は排除すべきであるといった思想をお持ちで無い限りは。 誰だって、自分の辛さは自分にしかわかりませんし、辛さは自分がもっとも了解しているところだから、周囲をみれば誰よりも自分が誰よりも強く感じているのではないかと思いがちですが、自分の基準で相手の心の状況を軽んじるのはよくないですよ。死に瀕する病気です。 胸中「うぜー」と思っても、どーんと構えられるくらい強い心が貴方にはあるはずだから、その心に誇りを持ってください。泣きながら立ち上がれる者と、笑いながら休んでいる者という判断だけで、心のキャパシティを計ることはできません。 ぜひ、その方をうけいれてあげてください。
お礼
「会いたい」と求められているのに 「私だって誰かが食べさせてくれるんなら 会社なんて辞めたいぐらいしんどい! 休日にあなたに会う気力すらない!」と思ってしまう 自分の容量の少なさに落ち込んでいるのもあるんです。 せっかく必要としてくれているのに。 友達なのに。 もしかしたら不必要にマジメで いろんなことを考えすぎなのかもしれないと思いました。 彼女が病気なのは一つの現実、 私がしんどいのも一つの現実、 それを比較対照させること自体が間違っているのかも。 アドバイスありがとうございます。頑張ります。
- coverfly
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鬱病は殆んど一般の人たちには理解して頂けません。 私も経験者ですがその躁鬱状態の時は自分はまともな生活と人生観で生きていると信じていました。 不眠症や感情の不安な状態など今考えると「よくまともに仕事をして生きていた」と自分で自分を疑う事もしばし有ります。 私なりの解決方法はトラウマの解消なんだと思います。 鬱状態の友人との解決方法はこれから事を話すしかないと思います。 過去の事は水に流して今後の将来だけを話すように心掛けるしかなと思います。 友人にとって過去はトラウマの原因でしかないのですからあなたが今現在躁状態なのかも知れません。 あなたはあなた、友人は友人でしかないのですから。 もし今、あなたが友人に会って話す機会があってイラ付くなら会わないでメル友くらいの距離で会話をされるしか無いと思います。 友人は良いのも悪いのも居ることで自分の為になる事も有ります。 病に倒れて友人を越えてあなた自身が自分の仕事に勝って下さい。 欝は時間と暇で症状が改善できるものですから気長に相手の症状を見守って下さい。 時が過ぎ去った時に双方が笑い話に出来る時代が来る事を信じて下さい。 幾分、判り難い回答ですが、友人は大切なものです。 参考までに。
お礼
>もし今、あなたが友人に会って話す機会があってイラ付くなら >会わないでメル友くらいの距離で会話をされるしか無いと思います。 私も今はその方が良さそうだと思っています。 「会いたいよ。」「連絡してね。」と言われるたびに 素直に会いたいと思えない自分が後ろめたい。 でも、また元気で才能豊かな彼女に戻って欲しいと そう心から思っているのも事実で、いつもその狭間で葛藤しています。 私も自分のことで精一杯なので、お互いもう少し余裕ができるまで 無理をせずに友人でいようと思います。 ありがとうございました。
こんばんは。 鬱病は甘えではない(一部除く)ですが、あなたがそう思ってしまうのは、しょうがないことだと思います。 鬱病の苦しみは、なってみないと、本当にわからないものです。 私も過去に鬱病を患ったことがあります。本当に様々な原因が絡み合ってそういう状態になってしまったのですが、なにもやる気が起きず、テレビを見てもまったくおもしろくなく、笑い方すらわからなくなりました。 人間誰しも、ものすごくつらいときや、落ち込んで仕方がないとき、ひどくいらだつとき、なにもかも嫌になるときがあると思います。 しかし、想像はつかないと思いますが(つかなくて当然です、それは責められることではありません)、そういうものとは「別格」です。 愛する人への失恋直後の苦しみが、毎日毎日、朝から晩まで、何年間も続くようなものだといえばちょっとはわかりやすいでしょうか? しかし、失礼かもしれませんが、その相談者様のご友人は、若干軽めの鬱病だと思います。 私の場合は楽器をひくことはおろか、本(活字)を読むことすらできませんでした。 もっと重い人は、お風呂にすら入れないようです。 ですので、質問者様が「甘えている」と思えてしまうのも、無理はないのかもしれません。 精神病は定義がわりと曖昧で、それこそ病気なのか性格なのか甘えなのか、区別がつかないときも多々あると思います。 あなたは、理解できない自分を責める必要はありませんが、もしその気があれば鬱病などの関連書籍を読んでみるといいかもしれません。 長文失礼致しました。
お礼
実際に鬱病と闘ったことのある方にアドバイスを頂けて嬉しいです。 彼女、毎日全然違うことをやっているんです。 花の種を蒔いたり、カーテンを作ったり、散歩に行ったり。 しょっちゅう仕事を休みたくなる私には羨ましく思えたり 理解しようとしても全然イメージが掴めなくて・・・。 でも、『失恋直後の悲しみが延々と』というイメージで 少し友人の苦しみがわかったような気がしました。 楽しいことなんて一つも思い出せなくて 目に映るもの全てが無意味で無色な感じなのかなって。 あと、友人の苦しみが理解できなくても おかしいことではないと言って頂けたのも気が楽になりました。 またいろいろ考えてみます。 ありがとうございました。
- yamanekotama
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幸い健康で生きている事に感謝しましょう。いつか将来貴方も病気になれば、病人の気持ち分かるでしょう・・・。一人で強く生きている!との事大間違いです。人間一人では生きて行けません。直接でなくても間接的に必ず周りの人に助けられているのです。もしその友達を受け入れられないのなら、心からの友達ではなかった!と思えます。本当の友達だったら、私の心が狭すぎる!なんて思わないはずです。~自分の親が病で倒れても平気ですか?~
お礼
そうですね・・・。 「こんなに頑張っている!」と必死に主張できるのも 体が健康だからこそだと思います。 ただ、周囲の人間が何人か鬱病になりましたが みんな仕事を休んだり辞めたりなのに 「会いたいよ。遊びに行こうよ。」って連絡をくれるんです。 そうするとやっぱり(私なんか休日に外に出る気力もないのに・・・。) と思ってしまいます。 鬱病って難しい病気ですね・・・。 もっと勉強してみます。ありがとうございました。
- nekosan61
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あなたはそんな激務の中でも鬱病にならなかった、幸せなんだと思われたほうが良いのではないでしょうか。 鬱病は、音楽を聞いても、何をしても楽しくないのです。 あなたは何か楽しい事があるのではないでしょうか? その楽しみを失ってしまったのが鬱病ではないでしょうか。誰も好きで鬱病になるわけでは無いです。 鬱病になった人を責めるのは間違っています。 鬱病の人を攻める前に、鬱病に対する知識を深めてはどうでしょうか?
お礼
友達を理解したいと思っていろいろと勉強もしたつもりなんですが・・・。 それでもやっぱり「私だって」という思いの方が強くて どうしても自分と比較してしまいます。 自分自身もいっぱいいっぱいで 友達を思い遣る余裕もないのかもしれません。 ですが「鬱病になった人を責めるのは間違っている」と はっきり断言して頂いて、自分も意識を変えなければと思いました。 ありがとうございました。
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お礼
>きっと質問者様はご友人に随分信頼されているのですね。 そうかもしれません。。。 だからこそ、100%彼女の期待に応えられていない気がして 苦しいのかなぁと思ったりもします。 >「死にたい、(腕を)切りたい」などと言われると、 >なにを言っていいかわからず、ひどく疲れました。 確かにそうなんです。 「止めなよ!みんな頑張ってるよ!」なんて普通なことは 鬱病の人に言ってはいけないし・・・。 今日、彼女とのメールの遣り取りに疲れてしまって つい「私も仕事の関係で鬱病の人とたくさん接してるよ。 この間は躁鬱の方にヒステリックに怒鳴られて辛かった。」って 送ってしまったんです。 彼女には何の関係もないのに、「辛い、死にたい」と訴えてくる彼女が ついその仕事関係者の方と重なってしまって。 最悪だと思いました。 もっと早くここで相談していたらきっと違ったのかもしれません。 でも、2度も書き込んで頂いて、気遣ってくださる方の存在に とても救われました。私も気長に頑張ります。 本当にありがとうございました。