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中国の女性とのお見合い
ど田舎に住む40台男です。失恋経験しかなくて、独身を通してきました。心配した親がしきりに結婚を勧めますが、このごろはしきりに中国人女性との見合話をもってきます。一人とは会ったのですが、まず言葉が通じない、もし結婚とかになったら仲介業者(変な話ですが)に大金を払わなくてはいけない、とかで人身売買的な行為に限りない脱力感すら感じています。それに、あとでトラブルに巻き込まれることもいやですし。 もし両親がいなくなったら一人で生活するのもいやだなと思いながらも、生活の都合や寂しいからという理由で結婚を考えるのも、結婚の動機としては不純に思えます。同性の友人は多いのですが、酒はおろか、たばこやコーヒーなどの嗜好品も体質的には受け付けないもので、社交的な場所にも縁がありません。それ以上に魅力的な人間性を培ってこなかった自分に大きな原因があるのは理解できますが、この年になるともはや結婚などは考えられないし、本心から必要を感じていません。 多分同じような立場の人は世の中に多いと思うのですが、将来の不安に妥協して親の勧めに乗るべきか、さてどうしましょ。みなさんのご意見をお聞きできれば幸いです。
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>もし両親がいなくなったら思いながらも、生活の都合や寂しいからという理由 >妥協して親の勧めに乗るべきか 私の周りには、職もきちんと持ち、収入もしっかりとあり、持ち家・・ でも独身の40歳以上の方が(男性で)沢山います。 ずっと独身、今は独身・・両方います。(ずっと独身の方が多いと思いますが) ある程度年齢が行かれた男性の一言に多いのが、「一人で生活するのもいやだな」「家のことやる人がいなくなる」 これが多いと思います。実際にそんな声も聞きます。 だから、結婚する。この意見に反対です。 少なくとも結婚相手は「家政婦ではありません」 家のことをやるひとがいない。食事の支度、洗濯、掃除・・だったら、お手伝いさんでも雇ってください。 >本心から必要を感じていません でしたら、必要を感じたときに考えてください。 必要を感じない人が、結婚をされたら・・恐らく苦痛だと思います。 他人と暮らすわけです。 生活環境が違い、土地の風習も違うかもしれません。もし、年齢が違えば、年齢差からくる考え方の相違などなど、数え上げたらきりがないほど、違います。 今まで、自由に時間や時間を空間を・・使っていた方が、結婚されるわけですから、それなりに「束縛」を感じることもあると思います。 本当に結婚に必要を感じないなら・・・辞めるべきだと思います。 失礼しました 「私は、心から愛する人と出会えないなら、孤独を選びます。 誰かがそばにいたとしても、それが愛していない人なら、 孤独は消えないからです。」 ritsu45さんに同感です。
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- whitehole
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30代の若輩者が40代の先輩に意見するのは恐縮ですが… 意志の疎通がしやすい日本人同士でも、生まれ育った家庭環境・地域などによって考え方や生活パターンが異なりますよね。ましてや言語の通じない、生活習慣も異なった外国人との結婚は、メリットよりも困難のほうが多いのではないのでしょうか? 私の友人(女)は、以前イギリス人と結婚していましたが、間もなく破綻しました。本人が外国人との結婚を夢見ていたにも関わらずです。それくらい難しいと思います。 またこれは差別と受け取られないので、慎重を要する言い方になるのですが、最近「金持ち」の日本人と形式だけの結婚をし、一族郎党を日本に呼び寄せようとする中国人が増加しているようです。特にそういった場合、中国及び日本の「裏社会構成員」が絡んでくるため、トラブルが増えているとも聞きます。 poor_Quarkさんが関わった仲介業者がそうだとは断定できませんが、その危険性はあると認識して行動されたほうがよろしいかと思われます。 むしろ「仲介業者」を用いて結婚しようとするのであれば、国内の日本人を対象とした業者を利用するほうが安全かと思います。 それから酒・タバコ・コーヒー等の嗜好品を受け付けないとのこと。したがって社交的な場所にも縁がないとおっしゃっていますが、そんなに卑下する必要はないのではないでしょうか? 例えばお茶だったら飲める、というのであれば、茶道教室に通って新しい趣味にするとか考えられないでしょうか。別に茶道に限らず、書道でも香道でも何でも良いですから「○○道」と名の付くことであれば開始年齢も関係ないですし、一生続けられることを始められれば、生活に潤いが与えられ、新しい交友関係ができ、もしかしたら結婚相手が出現するかもしれません。 以上簡単に思ったことを書き連ねましたが、無責任な言い方になり、お気に障る点があればご容赦ください。
お礼
おっしゃるとおりのトラブルは多いと聞きます。当然私はお金持ちではありませんが、そのように勝手に期待される可能性はあるでしょう。噴飯モノですが。 日本人を紹介してもらえばいいのではという話については、すでにペケをたっぷりと付けられましたのでこのような情けない話になってしまいました。でもまぁ、ほっておけばいろんな国の人とお話ができるかもしれないので楽しみにしたいと思います。 冗談はさておき、中国人の方ともよくチャットでお話させていただくのですが、こういう話をしますと、本当の中国人なら国のためにがんばるべきだろうと意見が大半です。彼らの多くは西洋に住み、パソコンを所有し英語を不自由なく操る環境にいるわけですから、なんとかして日本にはいって、などと考えている輩とは、当然ながら異質なのでしょうけどね。ですが、かの国の人全体におかしな偏見は持たないように心がけたいと思います。あちらにもいろんな人がいるはずですし。 私は、好きなスポーツ愛好者のサークルにいくつか入っています。休みのたびに真冬の荒れた海に喜んで入るような色気もなにもない集団もあります。いまのところほかのものに目を向ける余裕はありませんが、おっしゃるとおりに心がけたいと思います。ありがとうございました。
- ritsu45
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poor_Quarkさまへ。 私は、男でもない、年令も違う、結婚を勧める親もいません。 こんな私が、poor_Quarkさんの質問に回答するのは おこがましいのかもしれませんが、それでも良かったら、 意見の一つとして読んでいただければ幸いです。 まず、将来の不安に妥協して、 親御さんの勧めに乗ることはお勧めできません。 将来の不安とは漠然としてよくわからないのですが、 世の中の夫婦を見てもお分かりの通り、 「結婚すれば、将来は安泰」と言えるのでしょうか? 確かに、結婚しないことで寂しい人もいますが、 結婚したことで、とてつもなく不幸になった人もいます。 「結婚=安心」とは限らない世の中です。 みんなリスクを承知で結婚するのですから、 せめて愛している人と結婚した方がいいのではないでしょうか。 また親御さんに心配をかけたくないために 結婚をすることも、とても危ないことだと思います。 たとえば、poor_Quarkさんが妥協して結婚したとします。 すると、人生の一大事である結婚を、親が主導で決めたことになります。 40代の息子の結婚を、親が主導で決めてしまったら、 あなたの親御さんは、 「この子は、私たちがいないと危ない」 「もし私たちが死んだら、この子はどうなるんだろう」 と心配するかもしれません。 本当の親孝行は、親の勧めに従ってのぞまない結婚をすることではなく、 親御さんに、 「この子は、私たちがいなくても大丈夫」と思わせてあげることです。 親というものは、死にゆく時、必ず子供の将来を思うからです。 たとえ親が求める理想(結婚して孫を抱かせてくれるetc)を あなたが実現できなくても、あなたにはあなたなりの幸せがあり、 それはあなたのペースで、あなたの力で獲得していくから 大丈夫だと、親御さんに伝えてみてはいかがでしょうか。 もし親の勧めに従って結婚したものの、 あなたが奥さんのことをどうしても嫌になり、離婚したくなったとします。 離婚は、ただでさえ辛いものですが、 それが親の勧めで決断した結婚であった場合、 あなたの傷は、何倍も深いものとなるでしょう。 そして、傷付いたあなたを見た親御さんも、 同じように深く傷付き、悲しむでしょう。 さらには、結婚が妥協によってなされたものである場合、 最も可哀想なのは、その相手です。 もしも、poor_Quarkさんが、 「結婚するなら、本当に愛する人としたい」と願っていれば 人生は必ずそのようなプレゼントをしてくれます。 思いもかけなかった時に、思いもかけないような形で それはやってきます。 マイペースでシングルライフを楽しんでいただきたいなあ、と 私は勝手に思います。 ***** ここからは、独り言です。 私は、心から愛する人と出会えないなら、孤独を選びます。 誰かがそばにいたとしても、それが愛していない人なら、 孤独は消えないからです。
お礼
アドバイスはよく理解できます。私は思うのですが、この世は、どのような集団にせよ、社会的自我を持った人間の寄せ集めなので、ときに不条理に出会うこともあります。 そのような不条理を乗り越えることはできないにしても、ときどき腹を立てるくらいなら許されるのでは、などとと不遜にも考えますが、どうでしょう。大勢の見知らぬ人混みの中で孤独であることを、不意に知ってしまったときが、そんな瞬間なのではと思います。でも考えてみると、そのようなしかたなさは誰もがどこかに持っているからこそ、実質的な幸福を知り、それを目指すことができるのかもしれませんね。そうやってせっかく掴んだ価値観を自ら放り投げてしまうことほど自分にとって、ひいては周囲にとっても不幸なことはない、というお考えに強く賛同します。
お礼
きわめて当たり前の話ですが、幸福とは自分自身にとって実質的なものであり、その芯をわずかでもずれると意味がないと思います。お金のことや孤独から逃げたいと思う気持ちなども、かなり濃厚なモチベーションを与えるのかもしれませんが、明確に幸福の実質とは別物であることは、よく存じているつもりです。 私は孤独と自由と海と音楽をこよなく愛していますので(あー、いっぺんゆうてみたかった)しばらくは、その快い「束縛」に身をゆだねたいと思います。ありがとうございました。