おかしいか、おかしくないかについての論議はとりあえず後回しにしたいと思います。
ただ、「私は自分の子供など信じられません」について。
人は本来、自分に似た種の繁殖欲求をプログラミングされて生まれるものです。
「自分に似た存在を残したい」と思うのは「本能」なのです。
そのためにヒトに限らず、動植物はセックスをします。
生物の欲求で、繁殖以外にあと2つ大きなものがあります。
「食欲」と「睡眠欲」です。
食事も、夜眠くなって眠ることも、セックスすることも、どれも快感をともなうものです。
よってこの種の永続と生命の保全に関わる3大欲求について、満たす上で快感を伴うよう遺伝子が伝わってきているのです。
その仕組みの中で、我々人間は生きているのです。
しかし、「自分の種を残したい欲求」は本能であるにもかかわらず、
あなたの様に正反対に例外の人間がいる。
これはどういうことか?
答えは2つに1つです。
「ウン万人に1人の希に見る遺伝子の持ち主」か、
「自己愛喪失による自己種永続欲求の喪失」
このどちらかです。
世間的に見られるのは前者のほうです。
ぶっちゃけた話、「かわりもの」という見方です。
私が冒頭で「おかしいかおかしくないかは後回し」といったのは、
結局、遺伝子自体が奇特なのであれば
あくまでもそれは大多数と異なったものが生まれたにすぎない。
よって本人を責めてもどうしようもない、からです。
これがあなたにあてはまるという前提でお話をするとすれば、
「私は変わり者である」と認めたほうが、今後幸せかもしれません。
なぜなら、いまのあなたの考え方さえ、歳をとってから突然180度変わることがありうるからです。
いまここで自分の奇特性を認めておかないと、歳をとって真逆の考え方に変わったとき、生きてゆけないくらいの後悔にさい悩まされる恐れがあるからです。
「どうやら自分は他のヒトとは違うようだ。」と今のうちに自分にふさわしい思考・行動スタイルに悩んでおくのです。
それによってたとえ歳をとって、気付いたら自分に味方が居ないでひとりぼっちだった、
としても、後悔の度合いは半減されると思います。
気になるのは後者「自己愛喪失による自己種永続欲求の喪失」です。
もしあなた自身に、これに類する事象はありませんか?
後天的に自己愛を失う要因として、幼児虐待・性的虐待・いじめ・リンチ・差別…などがあげられます。
自分が本当は悲鳴をあげたいくらいにひどい目にあっていても、それが声に出せずに、自分の殻にしまいこんでいる。
じぶんが「辛い」のにそれを認められずに、ついにそんなできごとさえ健忘の対象になっている…。
このほうが事態は深刻かもしれません。
私としては後者でないことを祈ります。
まとめに、やはり周りに「おかしい」と忠告してくれる人が居る以上、
あなたはその周りの人に感謝をすべきだと思います。
自分の思考・行動パターンを客観的に意見してくれる人はいつでもいる、というのは自分の身を守れます。
人間の精神も肉体も、考えている以上にもろいものです。
いまあなたがゼッタイ、と思っていることでも、急に変わることがあるわけです。
そんなためにも、是非あなた自身、客観的に自分を見ることが出来る人間になって欲しいと祈ります。
自分同様、自分の身近な人も大切にしてください。