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考えることを知らない大学院生たち

ここ5-10年ほどの間、考えることを知らない大学院学生が急増し、多くの高等教育機関や企業で困っている現状を知っていますか。彼らは、覚える事や本に書いてあること、先生の言ったこと、親の言ったことのとおりに行動することが大事と信じているため(と育てられたため?)、自分から考えることを要求されると、どうしていいのか分からないのです。でも与えられたものはしっかりできるのです。このような人材を、考えることのできる創造的な人材に変えるにはどうしたらよいのか、20代の人はどのように考えますか?大学院はこのような人材を育成するところではありますが、事実上機能できなくなりつつあります。このままでは日本は沈没必至です。ちなみに今の文部科学省や教育機関関係の中からは、100%良い案を出す力はありません。若い人の潜在的力を信じるのみです。

みんなの回答

noname#19923
noname#19923
回答No.6

>専門知識をもって使える人を育てるのは専門学校だと思います。 それは違います。専門学校で教える「専門知識」と大学院で教える「専門知識」は全く違います(どちらが上というのではありません)。 私が言う大学院で行うべき教育とは,たとえば,現役の高校英語教師が新しい言語教育理論を学んだり,将来は証券会社系の○○総研に就職したいと考えて,最先端の経済理論や社会学を学んだり,メーカーの新製品開発に携わりたいと工学理論を学ぶ人のために行うものです。 これを専門学校に肩代わりなどさせられるわけがありません。私の言う「一昔前と違って,今は必要な知識を得るだけでも大学だけでは不十分です。」というのはそういうことです。専門学校の存在意義とは違うものです。 大体,理系では昔から学生は教授の手足であって,自分から何かテーマを考えて実験を行うなんてことはあり得ません。 >考えることを知らないのではなく、考えたくないか考えようとしないだけではなかったのでしょうか。 そういう単にお金があり,就職する気もない(できない?)「高等遊民」も明治の昔からいました。でもそうではない人もたくさんいました。それも少なからず。

daigakuin34
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございます。言われることは良くわかります。ただそのように単純に教育を分けることもできないのではないかという気がしています。専門職大学院のことかと思いますが、どれだけ意味があるのかかなり疑問があります。時間が証明すると思います。 それは別として、いずれにしても「考えることを知らないで育った人はどうすればよいのか」ということです。彼らは人一倍独創的なことをしたい(きっとできるはずだ)と思っているのです。良い解決方法があればと思います。 議論するつもりはありませんが、「大体,理系では昔から学生は教授の手足であって,自分から何かテーマを考えて実験を行うなんてことはあり得ません」というのは本当ですか。大きなテーマの中で研究するのは仕方ないにしても、その中でたとえ与えられたものであっても、興味が出てきて新しい発見やテーマを生み出してゆくのではないでしょうか。その過程で、想像能力が養われるのかと思っています。単なる手足といわれてしまうとやる気がなくなってしまいます。

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noname#19923
noname#19923
回答No.5

もはや20代ではないので,回答ではなく,アドバイスです。 現在の大学院の機能には (1) 研究者養成,(2) 専門知識の習得の二つがあります。 (1) は従来の大学院がもっていた,そして現在ももっているはずの機能です。(2) は文部科学省風に言えば,「高度な知識を持った専門的職業人の養成」という新しい機能です。 言ってみれば,なぜこうなるのかと考える人を育てるのが(従来の)大学院,活用できそうな知識を与えるのが新しく加わった大学院の仕事,ということになります。 後者を選択する人に,現象の根本にさかのぼって考えろ,というのは,酷でしょう。 たとえば,なぜ英語は SVO で,日本語は SOV なのか,と考えることは将来の研究者にとって必要なことではありますが,英語教育に携わろうという人にはあまり意味がない。 もちろん,考えなくもいいと言っているのではありませんが,考えることが違うのです。「与えられたものはしっかりできる」のであれば,それはそういう人を養成している以上,人材育成に成功しているのであって,決して教育費の無駄ではありません。 一昔前と違って,今は必要な知識を得るだけでも大学だけでは不十分です。「考える力」の不足している人を修了させるのは,昔で言えば,大学を卒業させるのと変わらないのです。 ちなみに,考える力がないのに大学院に入って,研究者を志望する人は昔から結構いました。ただ,そういう人は研究者にはなれないと言うだけです。

daigakuin34
質問者

お礼

コメントありがとうございます。大学院はやはり考えることのできる人材を育てるところで、専門知識をもって使える人を育てるのは専門学校だと思います。大学がこれに変身したり、機能する必要は基本的にはないことだと思います。 昔から、「考える力がないのに大学院に入って,研究者を志望する人は昔から結構いました」とのことですが、考えることを知らないのではなく、考えたくないか考えようとしないだけではなかったのでしょうか。

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  • yoko_18
  • ベストアンサー率30% (77/256)
回答No.4

私も2番さんの意見といっしょです。 大学1年の時、高校まで必死に暗記することで解ける問題を多く強制させてきたので大学に来て大変困りました。 学問的なディスカッションなんて大学に来るまで数えるほどしかしたことなかったし、レポートの課題が出されても自分の意見をはっきり示せず、むしろ自分でも分かってないのでレポート返却されると先生方の評価が痛かったです。 やはり、これまで考えることをさせなかった初等教育が主な原因かなと思います。 読書感想文など個人の感性ばかりを大切にして評論すること、自分の明確な意見を持つことなどの力が無い人が増えてしまっているんじゃないでしょうか。 みんな大学に来てからこのことに気づくので、大変残念ですが教育が変わらない限りこの状態は変わりそうにないですね。

daigakuin34
質問者

お礼

でも、過去の人たちも今の人と同じように受験戦争で覚えることを強要されていたと思います。覚えること事態は悪いことではないと、私は思います。また、特に昔は、議論が重視されていたとは思いません。同じ人間なのできっかけをつかめば、変われるのではと信じています。

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  • yurijp
  • ベストアンサー率21% (54/251)
回答No.3

daigakuin34さんは、実際そういう大学院生を見たのでしょうか? 私は院生をしていますが、少なくとも私の周りにそんな院生はいません。 院での研究に限って言えば、院生は学部生とは違い、常に自分で考えて創っていくことを要求されます。 誰もやれとは言ってくれません。 他の大学院はどうか知りませんが、言われたことをやっていくだけの人間では、とても厳しくてやっていけないでしょうね。 まず脱落していきますよ。 私の周りの院生は、社会に対しても、自分自身の生き方に対しても、深く考えている人が多いように思えます。 学部生との違いを言えば、就職するところをわざわざ進学してきただけに、真剣さが全然違います。 もちろん、日本人の考える力が劣っていっているのは感じます。 でもそれは社会人にも言えるのでは? 日本人全体に言えることだと思います。 「創造的な人材に変えるにはどうしたらよいのか」を考えるのはいいと思いますが、 「考えることを知らない大学院学生」と簡単にひとくくりにできるものでしょうか? 生意気な意見を申し上げてすみません。 でも、若い人たちもそこまで捨てたものではないということを知ってほしいですね。

daigakuin34
質問者

お礼

大変勇気付けられました。もちろんこのような大学院生をたくさん見てきたからこのような意見を書いたのです。しかしyuripさんの様な人材とそれをはぐくむ環境があるとすれば、本当にすばらしいことです。 しかし、東大京大を含む旧帝大でも、私の心配する人材は急増しているのは事実です。何とか食い止める方法を考える必要があると思っています。 「考えることを知らない大学院学生」と簡単にひとくくりにできるものでしょうか?とのことですが、大まかな意味での傾向を言っています。個々には違うと思います。

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noname#13872
noname#13872
回答No.2

私も大学院生の一人として非常に恥ずかしく思います。 私の周りの院生でも、記憶力は抜群で教科書の内容をよく覚えているのですが、 「なぜそうなるの?」と一歩踏み込んだ質問をするとたじたじといった人が多いです。 私は院生になってから、若しくは大学に入ってから考えろといわれてももはや遅いと思います。 小中高のテストを暗記だけで乗り越えられる今の教育制度の問題であると思います。

daigakuin34
質問者

お礼

早速ご返事ありがとうございます。もはや遅いと思われる人間が非常に多いと思いますが、その人たちを抱えている日本では、どうすればよいでしょう。教育制度で何とかなるのでしょうか。光が見えません。

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noname#75810
noname#75810
回答No.1

私の感覚だと、一般のほとんどの人は、 「与えられたことだけしか出来ない」人たちです。 しかし、そんな普通レベルの人が大学院に通っている ことは問題です。 本来、大学院は、「考えることのできる創造的な人材に変える」場所でなく、 「考えることのできる創造的な人材に活躍してもらう」場所です。 大学院の定員が多すぎて、本来大学院で学ぶべきでない 人間が多すぎることが問題だとおもいます。教育費の無駄です。

daigakuin34
質問者

お礼

全く同感です。しかし、その現実は受け入れざるを得ません。そこで日本の若者はどうしたらよいかということだと思います。これは今の団塊の世代の作った、負の遺産ともいえることだと思うのですが、解決するのは次の世代の人間になるのです。

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