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人付き合いのできない自分
私は小さいころから、人付き合いのことで悩んでいます。 遊びに誘われてついていっても、面白いと思ったことがありません。 幼少のころ、隣に住んでいた一歳年上の女の子とばかり遊んでいました。 小学校入学とともに半ば強制的に「お前は男だ。男友達と男の遊びをしろ」 といわれたこともあり今までの付き合いを全否定されて「男の子の遊びに」参加させられてきました。 私はドッジボールや野球など今までやったことのないところにむりやり参加したのですが何が面白いのかさっぱりわからず、いつもいやいや付き合っていました。当然やる気がないのでボールから逃げてばかりです。 やがて球技大会や体力テストなどのクラスで楽しむ場で、みんなで楽しんでいるところに自分だけ楽しめないでいて、雰囲気を壊さないように楽しくもないのに楽しそうな嘘をついて乗り越えてきました。 私は元から運動が苦手で話題がスポーツのことになると急に劣等感を感じてなにも言えなくなっていました。 小遣いが少し使えそうな年齢になっても、服を見に行くとかカラオケに行くとかいう遊びにぜんぜんついていけず、いまだに強いコンプレックスにやられています。 どうしようもない劣等感を抱えて、進学という口実で地方から出てきましたが今度はコンプレックスだらけの自分を隠してごく普通を装いたかったのですが今までのことがいつのまにかにじみでてしまい、「自分勝手」「人の話を聞かない」「面白くないやつ」「わけわかんないひと」などといわれているうちに、ほとんど引きこもり同然の状態で学生生活を終えました。 私は普通の付き合いができないせいか、「小学校低学年並みの感情だ」といわれます。 私は今年31歳。同期入社の人たちは立派に家庭を持っていますが、私は結婚どころか一人の友達も持てずに苦しんでいます。 アドバイスをお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
私も肥満してたこともあって、かなりターゲットにされてきたので、質問者さまと類似した強い劣等感がありました。 でも、自分でウォーキングを始めて、25kg近いダイエットに成功したんです。 で、痩せたから自信がついたということは全くないんですが、例えば、ボクサーにしても、レスラーにしても「ああ、みんな、自分みたく、毎日、毎日、地道に努力して勝ち得たポジションなんだな・・・」と、なんだか、人の苦労をシミジミと感じるようになったんです。 それまでは運動やファッション・・・等々、普通の人が普通に楽しめることから積極的に遠ざかっていたんですが、ウォーキングダイエットに成功することにより、なんというか、その「心」を理解できるようになったんです。 ですから、今は、格闘技の若い選手も大好きなんです。 「どいつもこいつもいい奴らばかりじゃないか!」って、なんか仲間意識のようなものまで湧いてきたりして・・・。 それまでは逃げてばかりいたんです。 そして逃げている自分を正当化することばかりにエネルギーを費やしていたから、そのような自分になっていたんだと気が付いたんです。 なにも運動をしろとは言いませんが、なんでもいいですから、自分の得意分野を徹底的に極めていれば、同じように頑張っている人達の「心」が理解できるようになってくると想います。 「心」が理解できれば、「心」を広げることも出来るんです。 そうすると人生が豊かになるし、みんなのことを尊敬できるようになるし、フラットな自分が誕生してくると想いますよ。 なにはともあれ、どんな道であれ、自己犠牲を厭わずに、極めるつもりで、前進あるのみです。
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カラオケはどうにも好きになれません。 自分の場合は単に、自意識過剰なんだろうと思いますが。 かつては歌ったこともあるし、今でも友達が行くといえば行くことはありますが、歌わないし、進んで行きたいとは思いません。 それで別にいいと思っています。だって努力して試してみたけど、好きになれないんだもの。 (第一、なぜ皆が皆、カラオケ好きにならなければならないのだ?) 運動については私(女です)もコンプレックスありましたが、男子だとなおさらなのかもしれませんね。 どうにか諦めました(笑) これが自分なのだ、何が悪いー、と。 運動やりたければやればいいけど。 職場では、女性と話をするよりも、男性と話をするほうが面白いです。 女の人たちがする話より男の人たちの話題のほうが楽しい。 でも人付き合いはしますよ。 友人知人は少ないけど、いなくはないし、恋人もいるし(友達も彼もマニアックなんですよこれがまた)、職場の人間関係はけっして悪くはないです。 今現在、友達とまで言える人はいないけど。 年代があがってきたので(30代前半です)、若い衆からちょっと離れていても目立つこともなく、昔より気楽です。 作家の村上春樹氏の奥様が会社員時代、一人でご飯食べたかったから皆は外食だけど自分は弁当持参にしていた、というのを何かで読んだとき、目からウロコが落ちました。 ああ、これもアリなんだ! と。 それでだいぶ楽になったというのもあります。 女性って、集まってお昼食べながら喋るのが好きな人が多いんですよ。 私はあんまり好きじゃないんです。話題に気を使ってあわせないといけないから。 (でもコーヒー屋行くとひとりで本読みながらパン食べてる女性も多いか・・・・) 人付き合いはほどほどにできるほうが絶対便利です。 でもカラオケが好きか嫌いかまで世間を基準にしていると、少数民族の人生は絶対に楽しくなりません。 子供時代は辛いですね、学校時代は。 でも大人になったら、自分のやりようでどうにかなる部分が増えます。 皆にぜんぶ合わせなくても大丈夫です。 もちろん、なるべくなら感じ良く、人に優しく接することができるほうが良いです。 でもにっこり素晴らしく笑える人の真似するのって、私にはできません(笑) せめて口で挨拶するぐらい心がけようと思ってますが、非常に愛想良く・・・と努力するのはやめました。 目標レベルを下げました。 大学教授の本とお書きになっていましたが、加藤諦三さんの本はお読みになったことありますか? ところで、「九割」の大多数より「一割」の少数派たれ、ですって。偏屈な変わり者の人々。好きですけど。 ↓
お礼
ご返答ありがとうございます。 食わず嫌いのせいか、誘ってもらった時点で拒絶のバリアもどきが作動していたのは事実です。一度試してみて、自分はどう感じたのかを正直に自分で認めてやることを怠っていました。 加藤諦三さんの本も一時期読み漁りました。自分の父親と自分との関係がちょっとばかり似ていると感じました。残念ながら事実を直視することはできましたが、自分自身を改善するエネルギーがそのときの僕にはありませんでした。 諦めることと、自分自身をこんなふうなんだなと認めることはなかなかできませんでした。アルコールに逃げてものすごい抑圧をしていました。自分を認めないことは苦しみの始まりでもあるんですね。それで自分そっくりな人をみかけるとものすごい憎しみを持ってしまうんですね。ご本人には何の関係もないのにいわれのないことこっちはしてしまうんです。 目標レベルが高すぎることも自分の間違った生き方だとも感じました。時にはステップ組んで当初の目標レベルより下げることもありなんですね。
- souziki
- ベストアンサー率24% (116/482)
ナンバー9さんに反して精神論ぽいです; ゴメンナサイっ。 貴方はとってもまじめさんだったんじゃないでしょうか。 で、頑張ってきたのかなぁ。 もしかしたら、小学校には貴方と同じように、男の子の遊びが嫌な子がいたかもしれない。 もしかしたら、貴方と同じようにスポーツテストとか嫌な子がいたかもしれない。 もしかしたら、貴方と同じように引き篭もり同然で学業を終えようとしていた人がいたかもしれない。 もしかしたら、貴方と同じように「小学校低学年並みの感情だ」といわれているひとがいるかもしれない。 もしかしたら、ですけれど。 貴方はそうやって考えてみたことがありますか? 僕は、何時だってそんなこと考えてます。 僕も運動が嫌いです。誰かと一緒は苦手です。こどもっぽいと言われます。でも友人が欲しいです。 貴方とよく似てると思いませぬか? ちょーっと周りを見渡せば、もしかしたら貴方と同じ悩みを抱えていて、誰か友人が欲しいと思っている人がいるかもしれない。 その人に、少し声をかけてみては如何でしょ。 同じ悩みを持つ人なら、わかりあえるかもしれませぬ。 もう遅いとか、言う人がいます。 そんなことないです。 そういうのはですね、テストの受けてる最中に勉強しとけばよかったー!だけの悲鳴で十分です。 あなたはスポーツが苦手だとお聞きしました。 では、貴方は何が好き? それで共通点を持つ人を探してみるのはどうだろう。 劣等感っていうのは、誰だって持ってると思う。 だって苦手なことっていっぱいあるもん。 けど、得意なコトだってきっとありますよね。 それは貴方にとってなんでしょう。 >「自分勝手」 >「人の話を聞かない」 >「面白くないやつ」 >「わけわかんないひと」 もしかしたら、貴方はちょっと運が悪くって口の悪い人たちだらけのところにつっこんじゃったのかもしれない。 自分勝手って言うのはリーダー気質。 人の話を聞かないのは、知識が豊富で話し上手。 面白くないヤツは、しっかりしててまじめな人。 わけわかんないひとっていうのは、独自の世界観を持った個性的な人。 僕はいつか誰かが後者の言葉で褒めてくれるといいな、なんて思ってます。 少し、自分勝手すぎるかな、とか。 少し、人の話を聞いていないか、ってときは、ちょっとだけ自制しようとか、こうしたらいいかな、とか。 自分で自分をみて、「あ、こうするといいかも」とか「うーん、こういうところはイイトコかもね」とかね。 冷静に判断してみませぬか? 気持ちを一新したい時は、部屋の掃除が一番よろしいです。 布団な物置はキツイですよ; 一年以上使ってないものは捨てる。 意味わかんないものは捨てる。 気持ちよく捨てる。 で、気合入れて大掃除したら、きれいになった台所でいっちょ冷やし中華でも作りませぬか。 一気に全部片づけなくてもいいんですけどね。 今日は食器。今日は台所。今日は棚の大掃除。って。 普通の付き合いが出来ない。 そんなことないって。 どこか、つきあう機会があるような場所に出かけてみては如何でしょ。 趣味のHPとかでも、誰かと出会える機会にはなりますよね。リアルでなら、行きつけのお店とか。 誰かがこっちをみたら、軽く笑ってみればいいんです。 それだけでも、十分コミュニケーション。 ホントですよー?
お礼
ご返答ありがとうございなす。 「自分と同じ気持ちの人がこのなかにいるかもしれない」、という考え方なかったです。 もしいたら・・・自分自身を許せないようにその人を潰しにかかっていってました。 どうして共に上がろうという気持ちがなかったのだろう、と思っています。 部屋の片付け、少しばかりやりました。意味のわからないものも多数ありました。住めることは住めるが、なんとなく不愉快を感じる部屋です。ちらかっています。 自分の気持ちもこのちらかった部屋と同じ状態です。 一気に片つけたくて挫折するのが毎度でしたが、今回はピンポイントでやってみます。そして気持ちよくなるまで続けてみます。
- kneissl
- ベストアンサー率30% (97/320)
精神論、良心、道徳、思いやり、プラス思考、優しさ、「頑張って」……。 これらの共通点はわかりますか? 人の救いにはならないものです。 どれも、人を救ってくれないものです。 そのくせ、誰もがそれが人を救ってくれるように言うものです。 私はあなたではありません。 ですから、あなたの気持ちを理解することはできません。 私ができるのは、自分の経験と照らし合わせて、言える単なる助言です。 判断をするのはあなたです。決断をするのもあなたです。 私はなにかを提示するだけです。それを活用するかどうかは、あなた次第です。 私の言ったことが、少しでもあなたの救いになればいい、それは私が嬉しいというよりも、人間の悲哀は解消されるべきだと思うからです。 人間の悲哀をないがしろにするから、社会の不安を助長する。ひいては、個人の精神を蝕んでしまう、こう思うからです。 これは社会貢献の意識などではありません。私自身、そういった社会の功罪を被る者としての思想です。 精神論が役に立たないことは百も承知で、精神論を言います。ただ、これは誰もが言ってるような精神論ではない、それだけは言い切れます。 「すべての既成概念を捨ててください」 時代が著しく変化して、例えば、共同体意識や社会に対する帰属意識、そんなものを持っていてはやっていけない時代が来つつある、私はそう感じています。ケータイの普及、ネット、男女平等化、終身雇用・年功序列の崩壊、個性重視の風潮……現代は人類が今まで経験したことのない時代を生きています。これははっきりいって、思想の再構築の時代です。今までのように、共同体的思想や道徳的規範、そんなものがまったく役に立たなくなった。誰もが自分自身に興味があり、「自分はなんなのか?」と問うている。自分がまず核にあって、世界はその外にあるのです。個人主義の時代です。誰も救ってはくれません。選択はすべておのれでし、その落とし前をすべて自分でつけなくてはならない、そのリスクもすべて自分で背負わなければならない時代になってきました。ただ、それがあまりにも早く先鋭化したために、多くの人間が適応できないでいる。右往左往している。一人で生きなければならないのに、その事実を認めることができないでいる。これまでの既成概念は、今後、すべて無意味になる。はっきり言って、今後はその既成概念が人を苦しめることになります。真剣に悩んで、物事を解決する時代は過去の遺物です。そうなりつつある。悩んで解決する、そんな時代ではなくなりました。なにが正しいというのは、なくなったのです。ですから、今あなたが持っている概念、すべて捨てろとは言いませんし、多分不可能でしょう。ですから、まずは疑うことから始まる。例えば「人間は一人で生きてはいけないのか?」「人付き合いをしなければならないのか?」「友人を持たなければならないのか?」これは逃げではありません。新しい概念の構築です。あなたが人付き合いを欲しているのなら、それでいい。友人が欲しいのなら、それなりの対応、克服法を考える必要がある。ただ、既成概念が必ずしも正しいということはない、それだけは理解しておいてもらいたい。既成概念を基準に考えると、ぜんぜん理解できなくなります。がんじがらめになります。本当にそうしたいかどうか、これだけはゆっくり本当に考えてください。人間は自分で本当に物事を考えているのか?私はそのように思っていますから、自分がしたいかしたくないか、それすら疑わしいですが、とにかく今できることは、したいかしたくないか、それぐらいです、頼りにできるのは。だから、そこから始める。 それであなたの行き着いた先が、友達必要説なら、それならあなたはそれで友人を選べばいい。探せばいい。簡単に言っていると思うかもしれませんが、知り合いの電話番号、知っている電話番号、片っ端からかけてください。無理ではないです。電話をかけるというのは、精神論ではありません。今までの既成概念を捨てろ、これは精神論です。ですから、無理です、と言われれば、それはありえます。でも、それができず、友達が欲しいなら、できる行動をするしかありません。具体的方策だけです、あなたの精神を軌道に乗せてくれるのは。うまくいくから、精神が良好になる。精神を良好に保とうとすれば、物事すべてがうまくいくんではない。行動・結果ありきで、精神がついてくるんです。だから、片っ端から電話をかける。それでもいてもたってもいられない場合は、誰かの家を訪ねる。他人がだめなら、親類です。仕方ありません。仕事、多分、それではできなくなるでしょうから、親類の家に寄せてもらう。とにかく、それでただ住まわせてもらうことはできませんから、家事をするなりなんなりして、友達を探す。誰かと会う。常に誰かと時間を共有する。泣き言を言ってても仕方ありません。辛いです、悲しいです、苦痛です、そんな言葉があなたを救ってくれるんではないんです。そんな言葉を言って、誰かが構ってくれたのは、過去の時代です。泣き言を言って自殺する、刑務所に入る、廃人になる、そんな人間はこれからの時代、負け組になるんです。狂ったら、狂った人間が悪い。社会に還元できない、直視したくないかもしれませんが、そういう世の中になってくるんですよ。脅しではありません。詭弁ではありません。あなたは実感していませんか?誰も助けてくれないでしょう?それは、もはや誰も手助けなどできない時代になったからです。個人を守ってくれるものが、個人以外にはなくなったんです。家族でもありません、会社でもありません、お上でもありません、恋人でもありません、信仰でもありません、あなた自身です。具体的行動に還元してください。自分を鼓舞できる精神論で片付くならいい、それが無理なら具象化するしかない。頭で考えたって無理です。物理的に移動しなければ、変化はおきません。私が言えるのは、誰かと時間を共有するように努める。是が非でも。絶対に。一人が絶えられないなら、それ以外に手はありません。一秒でも誰かといるようにする、どんな手を使っても。いかがですか?
お礼
ご返答ありがとうございます。 「泣き言を言って救ってもらえたのは過去の時代」 「したい」・「したくない」で「新しい概念を構築する」こと 「物理的移動をしなければ変化はおきない」 以上3点が特に気持ちにひっかりました。 一番目の「泣き言・・」は自分がひとり取り残されているのを誰かに構ってもらいたさにしている現状です。 「したい」・「したくない」の感情をはっきり持つこと、これまでおろそかにしてました。これでは自分の感情に偽りができてしまいますよね。 「物理的移動・・」、がむしゃらにやってはいましたが失敗の連続。根気があっても、「作戦」が貧弱でした。 ご返答を拝見しながら自分のちらかった部屋を見て自分自身を投影しているようにも感じました。「生ごみ」のように強烈に不快感を自分に与えるもの意外、「捨てる」「整理する」という感覚がありませんでした。 1DKのマンションを「布団1枚ぎりぎりしける物置」にしてしまったのは事実です。
- BABA4912
- ベストアンサー率35% (395/1127)
amazon http://www.amazon.co.jp/ 楽天ブックス http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/ 紀伊国屋 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/ Seven and Y http://www.7andy.jp/books/ ビーケーワン http://www.bk1.co.jp/ で検索したのですがでてきませんでした。 折角お答えいただいたのに内容がわからなくてすみませんでした 失礼しました
補足
yahoo検索してみましたが、わずかにでてきます。
- BABA4912
- ベストアンサー率35% (395/1127)
#6です よろしければ、どのような本かタイトル名、著者名などを教えていただけませんでしょうか ?
補足
香川大学教授、岩槻謙司さんのの著作です。
- BABA4912
- ベストアンサー率35% (395/1127)
私は40歳台の男ですがいまだに質問者様と殆ど変わらない状況にあるように思います。幸いかどうかわかりませんが現在結婚して子供もいます。選んだ伴侶はやはり同じような状態の女性でした。友達に関していえば私は男性と話すのがかなりつらく、劣等感を感じ心をわった会話ができません。たぶんこのあともかわらないのではないかと思います。 このような私ですが一時期心理学の勉強をしたことがありましたそのとき自分の状態が有る程度分析できそのような状態に原因もある程度推測がつくようになりました。 質問者様はあまりそのような状態にある自分を責めないほうがよろしいかと思います。 ありのままの自分で、質問者様ができる範囲で生きて行くようにされるようにしたらどうかと思います。 ちなみに市販の本で私に関係ありそうな心理学の勉強をしました。 また、放送大学で心理学関係の単位をかたっぱしから勉強致しました。 ご参考までに
お礼
ご返答ありがとうございます。 書店に行くたびに心理学のコーナーにはよく行っていました。ある大学の教授の本は一時期全部そろえました。ある意味自分がくじけないためのバイブルとして考えていました。それもつかの間、会社で一番雰囲気が悪いといわれていた部署に変わって以来そのお守りも通用しなくなってしまいました。私はそれ以上の本はないかと必死で探しましたが、見つけられませんでした。それ以来心療内科での薬物療法しかないと考えていました。 今OKWEB上で皆様からのアドバイスを頂けていることを本当にありがたく感じています。
- tomoko_fujita
- ベストアンサー率32% (169/518)
私と症状が似ているかも、と思ったので書込みます。 ネット検索で「ふれあい恐怖症候群」を調べてみて下さい。内容に思い当たるフシはありませんか? その様な人が心掛けるとよい事に「自分が心を開けば、相手もそれに応えてくれると信じることが大切」と書かれています。 貴方はこれをどう思われますか? 私はとても信じられません。自分から話し掛けてもイヤな表情をされる事が多くて、「相手もそれに応えてくれる」というのは「相手が悪い印象の対応をする」としか思えません。 世間一般の「常識」といわれる感性と、私の内面にある感性とが一致しないからだと思っています。 仲の良い関係を結ぶ事が出来るのは、感性が合う者同士でしょうから。 辛いと思います、私も辛いです。世間の大多数の人の感性とは違っていても、自身の感性と合う「ありのままの自分を受容れてくれる」ごく僅かな人を時間を掛けて探すしかないのかもしれません。 私は、もうそんな「青い鳥探し」はすっかり諦めましたけど(泣)
お礼
ご返答ありがとうございます。 「心をひらいて」というのは何度も言われたことがあります。 これが返って重荷になってしまうんです。 特に高校3年間の昼休憩が苦痛でたまりませんでした。酒でも入っているのかのように盛り上げっている中で自分ひとりがストレス抱え込んでいたのを思い出します。 「面白い」と感じるセンサーが自分にはあまりに乏しすぎたのかも知れません。人から「面白い」というものを紹介してもらったときに、一度「試食」してみればいいのに「食わず嫌い」で終わっていたと今では思っています。 でも「ありのままの自分を受け入れてくれる」ごくわずかな人はずっと探していました。「青い鳥」は探せませんでした。 自分は力関係を使ってでもあるひとに「青い鳥」を強制させたことが、実はありました。
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
kaitaradouですが、コメントを読ませていただきましたので少々書かせていただきます。おそらくあなたは強いひとの通弊として、自分の頭の中の世界と外の世界を区別していないだろうと思います。貴方の場合は外の世界においても自分が独裁者として存在できるわけです。もちろん聡明な貴方のことですからそれが不可能な状況には自分をおかないですむように常に注意を払っています。普通の人はこと外の世界においては、ほとんど独裁者として振舞うことは不可能です。わずかに夜の巷でお金を払ってはかないひと時を過ごすか、我が家に帰ってもトイレの中か風呂場にいるときくらいなものです。普通の人が他の人と楽しげにしているのはむしろ彼らが独裁者でありえない、つまり自分の頭のなかの世界を隠しておかねばならないことと表裏一体のことなのです。普通の人の頭の中の世界が実現されるのは趣味の世界か、あるいは夜の酒場のなかということになります。普通の人にとっては頭の中の世界が実現できるのは非常に限られていますから外の世界が支配的な力を持っています。貴方の場合には逆に貴方の頭の世界によって外の世界を支配できるわけです。しかし現実的にはその支配領域はきわめて狭いものになっています。普通の人は一見広い世界を持っているようですがこの広い世界に支配されています。貴方は狭い世界しかもっていなくても、この狭い世界を支配しています。どちらが心地よいものかは、案外隣の芝生は青く見えるのたとえのように、ないものねだりのようなものかもしれません。結論的には貴方は小独裁者として外の世界に君臨することで周囲の人を苦しめているとは思えませんので、それはそのままにして、本来貴方しか住んでいない貴方の頭の中の世界を外の世界から切り離して、逆説的にあらためて外の世界に投影してみてはどうでしょう。支配でなく投影してみると周囲の普通の人もそれぞれの頭の中の世界を持っていてそれを各自大切にしようとしている姿が見えてきます。貴方は他の人を支配しようというようなことはない謙虚な方だと思いますので、周囲の人の頭の中の世界の存在を認識するだけで十分なのではないでしょうか。このようにすることによって貴方の二つの世界は広くなるはずです。
お礼
ご返答ありがとうございます。 鋭いご指摘です。 実は小独裁者は何度かやったことがあります。 その時が一番自分にとって気持ちよく感じるときでした。(後でボロカスに言われたのはもちろんですが) 自分の頭の中の世界と外の世界との区別することを教えられたのは30歳になってからのことです。 それまでずっと建前の世界を知らずに生きていました。恥ずかしい・・
- goofy345
- ベストアンサー率19% (17/87)
こんにちは。 私は人付き合いができなくちゃいけない!とは思いません。というのも私自身が どちらかというと人間嫌いなので。それでも職場ではなんとかやっていますし、 友達もいて恵まれているのかもしれません。 友達はいるけど、人付き合いが下手そうな同僚がいて(結婚はしていますが) その人に対して思った事なのですが、何か自分の興味がもてるものを持ったほうが いいと思います。それがオタクと思われる事でも何でもいいと思います。 今はネットもあるので、趣味があれば情報交換から友達ができたなんて話も聞きます。 誰かに頼りにされたりするほど詳しい何かの知識があれば、周りが必要とします。 仕事でもそうだと思います。私自身が頼りにされる方なので、そういう方向からも 人付き合いをしています。あんまり進んでは付き合おうとは思わないのですが・・・。 趣味とかいうと、すごく当たり前の意見に聞こえると思いますし、趣味なんて 探したくないと思うかもしれませんが、孤独を感じているなら何かに努力はしないと いけないと思うんです。がんばってくださいね!
お礼
ご返答ありがとうございます。 趣味を持つことは同僚からもアドバイスされたことがあります。 趣味がないわけではありません。学生時代にお金と膨大なエネルギーを注いだものがあります。 でもなんか心底楽しめない。ただのコレクターで終わっています。 「自分がどう感じるか」をどこかにやってしまって、「一応行動はしています」みたいなものを他人様に見せるためにいつのまにか目的が変わってしまっている。 正直、構ってほしさにそんなことをしていたのかと感じています。
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
お役に立つか分かりませんが・・・、文面を拝見するとすべてきちんとしているので、すべて一人で何でもやれる人なのではないかと思いました。つまり劣等感などとは無縁のひとなのではないですか。おそらくやろうと思えば他の人を支配できる力量をお持っているのではないかと思いますが、それも好きではないということでひとづきあいが悪くなってしまうということではないでしょうか。つまり自由人なのではないですか。他の人の助けを借りなければならないような状況に直面でもしない限り人付き合いはよくならないのではないかと思いますが、むしろ現状の方が貴方にとってははるかに安楽なのではないでしょうか。
お礼
ご返答ありがとうございます。 確かに現状は安楽な場所となっています。 ですが、本当は仲間をもって楽しい時間をすごしたいというのが本音です。 食わず嫌いの性格が災いして、人が面白いというものから目を遠ざけたり テレビ等もニュース番組は普通に見れるのですがスポーツやドラマが始まると急に変な恐怖心に襲われてチャンネルを切り替えている自分にあきれています。 いつの間にか、メジャーなものから遠ざかってマイナーなほうに行きたがるのですがそのマイナーな部分で共感してくれる人がほしいというわがままが起きています。 こうした性格が自分の父親そっくりだ、と身内からはよく言われます。 今父はアルコール中毒で年々体調を崩し帰省するたびにああいう風にだけはなりたくないと思っています。 人を見下す、自分は絶対正しいという考え方がいつの間にか刷り込まれてしまっていることに最近になって修正していこうという気持ちにはなってきました。 何かいい方法はないでしょうか
お礼
ご返答ありがとうございます。 回答者さまのご意見を読みながら、たった2年間ですがすこしばかり前向きだったときのことを思い出してしまいました。 「毎日・毎日」そういえば積み重ねていたものがそのときにはありました。 それを自分はやめてしまったのですね。 それからへんなプライドだけが残ってますます実際の自分と理想の自分との距離が開いていったのを思い出しました。 そのとき毎日やっていたのは英語とランニングでした。 そのときは「わからない・苦しい」という思いと「できそうだ・ひょっとしたら」という期待に満ち溢れて過ごしていました。