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100%いじめられる方は悪くない?
過去に同じような質問があったらすみません。 探した限りはなかったので質問させて頂きます。 今の教育現場では 「100%いじめられる方は悪くない」 という方針で指導している所もあると聞ききました。しかし人間関係が常に100対0であるとは考えにくく、ましてやいじめられる方にも原因がある場合、指導方針にのっとった体の良い教育放棄もあり得るのではないかと考えました。 そこで皆さんにお聞きします。いじめは いじめる方が悪い いじめられる方が悪い どっちも悪い のどの立場かを記入して頂いた上、その理由をお書き下さい。特に教育現場で望む指導方針という観点で答えて下されば嬉しいです。 また、いじめられる方にも非があるとお書きの方はその旨をいじめられている生徒、保護者に伝え、適切な指導を行うべきかどうかもお願いします。
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- de-niro
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いじめる方が悪い いじめられる方が悪い どっちも悪い の三択だと「どっちも悪い」に近い立場です。 「告発の行方」という映画で、悪の溜まり場みたいな場所で主人公の女性がレイプされ、「露出の多い服装で、挑発的な態度だったのが、そもそも悪い」といった意見が出てきて話が進展していくのですが、レイプ犯が100%の悪で勧善懲悪の結末とはなりません。 いじめ問題も同様に「いじめる側が100%悪い」としても、 ある程度それなりの自衛策なり、立ち振る舞いを考えるべきでしょう。 諸外国にいじめられている日本について、「あんな及び腰じゃ駄目だ、もっと毅然とした態度をとれ」というのと同じで・・・・。 教育の現場でも、いじめを無くす努力と平行し、いじめられる子にならない指導も必要かと。 それでもいじめはなくならないでしょうけど、「いじめられても100%悪くない」なんていったところで、思考停止していては、悪化するだけでしょう。
- yoko_99
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いじめる、いじめないが、リトマス紙のように善悪をはかれるのものさしだったら人間関係は楽でしょうが、そんなわけはないですよね。 そこに関わっている人それぞれが、複雑にからみ合った結果ですよね。 いじめの主犯と被害者と、その周囲の関わった人たちすべてに、それぞれ原因、理由があって、そうなっているんですよね。 それなのに、ありもしない定義を無理やり作ろうというのは、危険なことだと思います。 ですから、私はご質問の三つの選択をあえてしません。 時と場合による、と答えたいです。 昨今のいじめは、刑事事件に発展する場合もしばしば起こるのですから、その点を踏まえ、徹底的に原因究明する姿勢を学校側はとるべき。管理の責任があるのですから。 子どもたちは、いじめを見てみぬふりをしたり、助長するようなことは、本来なら楽しめたはずの青春時代を棒にふる行為だと知るべきです。それぞれの生徒たちが、学校の平和を追求する権利と義務があると思う。社会生活とはそういうものではないですか?
- sagayell
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「いじめられる方」も「どっちも」も「悪い」にはならないと思います。 「悪い」という言い方をするならば「いじめる方」でしょう。 「原因」という点では「いじめられる方」にも少なからずある場合も有るのではないかと思います。 ただ、例えいじめられる方に原因があったとしても、「貴方(いじめられている人)にも何らかの原因があるのだから」と口にするのは如何なものかと思いますが。
私も一括して「こっちが悪い」と論ずることは出来ないのですが、やはり「いじめ」という行為は看過される行為ではないことは動かしようのない事実です。 結局、いじめが起こる原因というのは、双方のコミュニケーションの不全にあるのではないでしょうか? 「あいつの考えていることは自分にはよく分からない」「あいつは俺のことを馬鹿にしているんじゃないのか?」そういった、自己の表現と他者の観察がともに取れないから、「ならば、力で押さえつけてしまえ」式に虐めようという方向へ動くんじゃないかと、、、。 勿論、原因はこういうこととは限らないとは思いますが、自分と同世代以下の人間を見て思うのは、グローバル化が急速に進んでいるにも関わらず、ローカルなコミュニティーでいつまでもぬくぬくしていようとする、ある意味で「自立できていない子供」がいることです。(大人もそうかもしれないが。) こんなことを続けていれば、「他者への想像力」が失われるのは想像に難くありません。 と、思うのですが、いかがでしょうか?
- weiemes15
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『100%悪くない』というのは、『0%悪い』と同義なのか微妙なところですが、それはさておき、いじめはいじめる方が100%悪い、と思います いじめられる方に原因があったから仕返しした、というのは私刑の正当化であり、法治社会では認められません
- 2NN
- ベストアンサー率40% (143/353)
「非」という言葉を、「責任」とするか「原因」とするかだと思います。 いじめられる方にも「原因」はたいてい確実にあります。 けれども、「いじめ」についての「責任」はないと思います。 どんなに「原因」があろうとも、「いじめ」という手段は 許されるはずがなく、 「○○だからいじめられるんだよ」と考えも 絶対に良くないと思います。
一概に言えるものではないし、それを「一概に言ってしまおう」とする今の教育方針に問題があるのではないでしょうか? いじめ、というか、人間関係における強弱は常に揺れ動きます。いじめられる側は必ずしも最初から弱かった訳ではなく、強者が嫌われて弱者に転じるなんてケースも多分に存在します。 ということは、やはり「いじめられる側」に問題がある、というか「あった」ケースも有ると思います。 では、全部がそうか、というとそうではありませんよね。 この「ケースバイケース」という非常に曖昧な原因や対策が、現場の教師や友人を混乱させ、時には間違った対処をしてしまう原因となるのでしょう。 どちらに根本原因があるかということは、その関係者の長い人間関係をたぐっていかないと判りません。また、いじめられる側に根本原因があったとしても、それが既に過去の問題であり、現状を解決するのに何も役立たないとしたら、そこを指摘することはむしろ問題を悪化させ、混沌とした状態に導く事になりかねません。 結局の所、人間関係なんてそう簡単に分析/改善できるものではなく、何が原因か、どうすべきか、なんてことは一言で語れる者ではないと思います。 というわけで、私の答えは 「いじめる側が悪い場合もあれば、いじめられる側が悪い場合もあるし、全くの第三者に原因があることだってあり得る。」 であり、対応は 「人間関係のこじれ具合によって、そのときそのときのタイミングやシチュエーションから適切な判断を下す必要があるため、どうすべきか、という具体的な答えはここでは書けない。」 になります。