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証券取引法について教えてください。
証券取引法で不正とされる行為に相場操縦があります。株価の上がる材料がないのに、仕手の買いによって株価が急上昇し、仕手は高値で売り抜けをするというパターンです。証券取引法では相場操縦が禁止されているものの、これらの行為はごく日常的に行われているものではないでしょうか。どうして、それが違法となるのでしょう。ある一人が、株を買い漁り高値で売り抜けることは、健全な投資スタイルのように思えるのですが。その辺の微妙な解釈について教えてください。
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先程の続きです。 議論を尽くせば、いったい何が望ましい「投資手法」なのか?に限りますが。それは「人は何のために生きているか?」という哲学論争と同じようなもので、誰も答えを出せないのではないのでしょうか?皆が皆違う考え方をもって行っている市場が市場なのだと思います。 ただ、付け加えておきたいのは、相場操縦行為の中でも明らかに、合理的投資行動とは異なるいわゆる「ローリスク・ハイリターン」の裏技があると思います。 それが、「集団を相手とする詐欺行為」です。 議論を整理すると、仕手筋が買いを連続して、提灯をつけて、儲けたとしてもそこには一定のリスクが存在し、それに対するリターンは、法律違反行為をしようともリスクに見合うリターンである。 それはもっともだと思います。 しかし、それは、多くの人間に誤解を与えたうえで成り立っているものだということを考えてみてください。 そのような誤解を生じさせるような行為自体が規制の目的となるのです。 もしも、そのような誤解を生じさせ、一部の人間が相場操縦行為で儲け、一部の市場に疎い投資家は大きく損を被ることになります。 こうしたことは道義的に許されることでしょうか? リスクに対するリターンというのは、違反行為に係るリーガルリスクも含めたリターンということであるなら納得できますが、そういった行為に一切規制がないとすれば、市場参加者は、やりたい放題です。 そしてそこに残る「市場」っていったい何になるのでしょうか? 今、金融庁は、「貯蓄から投資へ」という政策目標を掲げ、動いているところです。つまりど素人がどんどん市場に参加してくるわけです。もし、やりたい放題の市場に信頼を寄せる人はいるでしょうか? 市場に信頼がなければ、そこに投資しようとする人はいなくなります。もし、行政が何もせず、法律が規制しないのであれば、見せ玉や、仮装売買、馴合売買など、市場参加者を騙し、それによって儲ける人たちを野放しにして良いのでしょうか? 確かに、儲けることは重要なことです。また、仕手筋が買い集めをし、売り抜けることも、リーガルリスクと、ある程度のリスクを背負って行っている行動として合理的だと言えたとしても、そこには犠牲が存在し、明らかに、騙した相手から金銭を「搾取」する行為として禁止することには意義があると思えます。 「詐欺行為」に対してはやはり刑罰がかかるわけです。 ただし、合理的な投資活動として、安値で買って、高値で売るという中長期的な投資活動に対してはどうってことはないのですが、超短期的売買で、異常に利益をあげようということは禁止の対象となります。 確かに、証券取引法159条は、刑事罰の対象として、不明瞭な部分があることは否めないのですが、だからといって、当該法律がなくなってよいという話にはならないわけです。(判例参照) 以上、私の考え方でした。
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- m-tahara
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仕手筋は一度の売買で利益を出すわけではありません。但し、以降の話は主に書物で読んだ知識ですので、真実かどうかは定かではありません。 仕手筋はまず長期にわたって安値で株を買い集めます。この時期に株価が上がってしまうと旨くないので、大きな売りをぶつけておいて上値を抑えます。 これで浮動株の大部分を買い占め、売り手が少なくなってちょっと買えば株価が騰がり易い環境を作ります。 そして、いざ勝負、という時になると一気に大量売買をはじめるのですけれど、その際、例えばほぼ同じ価格で100,000株買っては150,000株売る、というような手口で売買高を大きく膨らませながら、少しずつ処分していくのです。 つまり、売買の内の一定割合(もしくは大部分)は自作自演、ということになります。自分で売って自分で買っているわけですから。 そして、こうした取引は明らかに通常の売買ではなく、この株が注目され活発な取引が行なわれているように「偽装」したもの、ということになります。 これが株価操縦に当たるわけです。 騰がる材料もない場合、こうした操作をしなければ自分たち以外売り一辺倒になってしまい大損になってしまいます。この株が注目されている。皆がこの株を買い漁っている、と誤解させることが必要なのです。勿論一旦火がつけば後は誤解ではなく上昇が上昇を呼ぶバブル現象によって株価はどんどん騰がります。その際に残りの持ち株を全て売り抜けて利益とするのです。 ですから、個人投資家などが大量の株を持っていてただ売って利益を上げることは何ら非難される筋合いのものではありません。
- pastorius
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具体的に禁止しようとしている行為は、いわゆる仕手戦です。 ここで仕手戦とは、価格を自己の取引によって動かすこと自体を主目的とした、継続的な取引、と言うこととします。 証券市場で言う公平公正という概念は、資本量の多寡によって、市場への影響が変わるということについても、公平公正です。その資本の主が外国籍者の者であっても、被差別者のものであっても、或いは資本の蓄積手段が汚い方法であっても、綺麗な方法であっても、証券市場は何の差別もしない、という意味で公平公正です。 資本の大きさに応じて市場が動くことは、当たり前なことです。 しかし、元来資本市場に期待されている機能は、売買の拮抗によって適正価格が形成されることです。公平公正という原則は、あくまでそのように機能するための構造です。 資金量に優れる者が、価格を恣意的に動かすことができるということは、気分次第で1週間連続でストップ高をつけることもできるし、逆に1週間連続でストップ安をつけることだってできるということです。現実に、その他の市場参加者との相対性に於いて無尽蔵と言えるほどの資金量があれば、それは可能です。 このような市場は、市場参加者に期待されているとも思えない。 証取法159-2-1後段の規定は、概念定義が明確でないという意味で悪法だと思います。証取法全般に、読む者のことを考えていない悪文が多いと思います。 その問題はさておくとして、同規定の目的である、極端な相場操縦は排除されるべきだ、という基本的な考えに対しては、ぼくは異議がありません。
- pochikun25
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確かに質問者のfuku3490の仰るとおりです。 理屈を詰めていけば、健全?!とはいえないまでも、合理的な投資行動になります。 しかし、法律はそこを規制しています。厳密に議論を進めていけば、買いを進めれば、あがるのは当たり前、売りを進めれば下がるのは当たり前のことで、それだけで罰せられることはありません。また、そこに、相場操縦の目的があったとしても、それを明確に定義することは外観からは難しいです。 ただし、後づけすれば、うまくやって儲けたヤツがいるということで、規制するということをします。ただ、いくら仕手をしたとしてもリスクに伴う投資行動は、確かに合理的といえることだと思います。 それを突き詰めていけば、適切な「投資行動」とは何か?ということです。これは、結局、短期であれ、長期であれ、それを強制することは誰にもできません。 したがって、法律だけが残ってしまうのです。不思議ですね。 突き詰めていけば、本来そういったどこからどこまでが罰則なのかがわからないあいまいなものは、憲法31条違反としてその法律が無効である旨の提訴がされています。 過去の判例 ↓
- 参考URL:
- http://courtdomino2.courts.go.jp/schanrei.nsf/VM2/46D118A4E20F1CC849256A850030A95D?OPENDOCUMENT
お礼
ご回答に感謝。「自然の需給関係により形成されるものであると誤認させて」とは、なんか可笑しいですね。株は大根やトマトとは違うような……。確かに、インサイダーや風説などは罰せられるべきですが、そもそも市場で投資活動を行う上で、投資家の自己責任という前提は大きいと思います。高年齢者に高額のリフォーム代を払わせる詐欺とは違って、市場での投資家はリスクという了解の上で行っているはずなのでは。極端にいえば、いっそのこと仕手解禁にしたほうが、大口の資金が市場に流れて経済の活性化になるような気もします。ご回答、どうもありがとうございました。
- pastorius
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・他人に誤解を与える行為 159-2-1前段 ・相場を変動させるべき売買それ自体 159-2-1後段 ・相場操縦で相場が動くという情報の流布 159-2-2 ・重要事項についての虚偽又は誤解させる表示 150-3 これらが相場操縦の骨子です。 誤解を生じさせるような要件が無くとも、証取法では、相場を変動させること自体を目的とした取引それ自体が禁止されます。 しかしあらゆる取引行為は相場変動に関与します。 ハント兄弟の銀相場操作事件が、参考になります。 ハント兄弟は裁判で負けましたが、価格操作という実質についてはどうだったのか、明らかではありません。 これについて書いている本では、アメリカの陪審員制度では裁判が下手だと負けるという教訓がわかるばかりです。 ハント兄弟の価格操作事件 http://www.tradersshop.com/bin/showprod?c=128 虚偽表示や誤解させる情報の流布については、抗弁困難だと思いますが、もしぼくが大金持ちになって「関与率」関係で違法性を問われたら、法律の意味について争ってみたいものです。
お礼
皆様、ご回答に感謝いたします。スピード違反をしたら罰則があるように、相場操縦にも明確な根拠があれば納得しますが、なんとも摩訶不思議な規制だと思います。たとえば、投資信託会社、年金運用の投資機関など、彼らの目的はキャピタルゲインをえることですよね。当然ながら、買い進めてゆけば、株価は上がってゆきます。或いはM&Aによる買い漁りでもそうです。それらの投資行動と相場操縦は、どう違うのでしょうか。私の疑問はそこにあるのです。株価を吊り上げる仕手にしても、リスクを負って市場に資金を投入している以上、それは健全な投資活動なのではないのでしょうか。ひとまず、私の疑問点まで。
- hinyan
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前の方も回答してますが、 ・(上がると思った株を)安く買い、(自然とあがったので)高く売る。 これは当然の行為で罰せられることはありません。 罰せられる可能性があるのは 他人に誤解を与える行為になります。 たとえば(デフォルメしますが) 買気配1000円、売気配2000円のところに、 売る意思がないのに1500円の売指しをいれ、 すぐに取りやめたとします。 買手は1500円なら売手がつくかもと誤解し、 他の売手も1500円で約定されると自分の売りが成立しないので 指値価格を下げる可能性が大きくなります。 そうすると、誰も意図をしていないのに、1500円近辺で 取引が成立してしまうことがあるわけです。 こういった行為を意図的に行うと相場操縦として罰せられることがあります。 当然、その会社の間違った悪いうわさを流す、間違ったいいうわさを流す といったことも「風説の流布」として罰せられます。 (こちらも広い意味では相場操縦ですね)
相場を 「意識的・人為的に変動させ」、 その相場が 「あたかも自然の需給によって形成されたものであるかのように他人に誤解させること」 によって、その相場の変動を利用して自己の利益を図ろうとすることです。 自然の需給ではなく人為的にやってるところ、他人に誤解せしめるところがまずいんでしょう。 線引きは難しいのですが。
- pochikun25
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証券取引法159条(相場操縦規定)は不正行為として、刑事罰もついています。誰しも行ってはいけません。ではなぜ禁止されているのか? まず、証券取引法の目的は「投資者保護」(1条)です。つまり弱いものの味方!ってことです。そのためにも、弱いものを出し抜いて、儲けるなどということは許されることではないとして、禁止されています。一種の「詐欺」と同じことだからです。 株を買い集め、高値で売り抜けるということは、つまり、反対側の人間つまり売り抜けられる方は、「なんかこの株いやに出来高が多いぞ?!何かあったのかな?買っておこう」なんてだまされて、その結果として、売り抜ける方は儲けるわけです。つまり多くの「騙された馬鹿な人」に乗っかって儲かっているということ自体が「健全な投資スタイル」といえるでしょうか? というのが趣旨です。 ただし、日常的に?!行われているようであると問題ですが、法律で立件して犯人を捕まえるとなると膨大な資料が必要となります。一日に取引している人が大勢いる中で、犯人探しするのは大変なこともあるし、また、その犯人が本当に「相場操縦を目的として」犯罪を行ったかを立証することは難しいことから、つかまっていないだけです。
- garnetscrein
- ベストアンサー率21% (727/3442)
証拠がそろえば立件可能です。
お礼
ご回答に感謝します。皆様の議論で相場操縦の問題点と証取法の意義が分かってまいりました。pastoriusさん、pochikun25さんは、あくまで公平公正であるべき市場について述べられておりました。ここでの議論は、いったい資本主義とは何かというような問題をも考えさせられます。本来、非合理的である人間が市場に参加するときは、証取法の傘下で合理的投資であるという前提に支配されます。しかしながら、市場は合理的要素で動いているだけでなく、バイアスがかった人間の情念(投資家心理)によって左右される。市場が完全無欠な合理性にあるのなら、好況や不況といった現象をどう説明するのでしょうか。ファンダメンタルの理屈は抜きにして、儲けたい人間がいるから株価は上がる。しかし、証取法では儲けることの不信感によってつくられている。いったい、自由な市場とはなんなのか、自由な資本主義とはなんなのか、深く考えさせられる議論でした。重ねて、ご回答に感謝します。