• ベストアンサー

それまでの生き方を変えた事件とその後

人には生きる上で誰でも避けようもない事件に遭遇することがあると思います。 【例】 仕事の激務が原因で長期入院したが、会社は因果関係を認めずにリストラされた。それまでは会社を大切にする企業戦士だった。 →義務や義理に縛られる生き方を変えて難関資格を取得、独立して仕事の遣り甲斐を大切にする生き方をするようになった。 という風に、 (1)ご自身の生き方を変えるような事件 (2)その後の生き方 をお聞かせ下さい。 よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#49664
noname#49664
回答No.1

男性(既婚)です。 最大の事件は・・やっぱり、「子供が生まれた」ことでしょうか。子供が生まれたことで、ものの見方や考え方ががらりと変わりました。  それまでの自分は、今から思えば自己中心的で、強者の論理、勝者の論理で物事を考え、「正しいことを貫くためには弱者を犠牲にするのもやむを得ない」みたいな考え方をするところがありました。いかにも男性にありがちな傲慢な考え方に偏っていたように思えます。  それが、子供が生まれたことで、それまでの価値感がガラガラと音を立てて崩れた感じがあります。「この世でもっとも弱いものさえ守れないで何が正義か」というようなことを考えるようになった気がします。自分の視点が、上から、勝った側から見ていたのが、下から、より弱い立場から見るように変わった感じです。妻には「母親になったんだねえ」といわれてますが(笑)。 なにしろ、神様しか作れないと思っていた「生命」を自分たちで作っちゃって授かっちゃったわけですから(笑)、これ以上の大事件ってないでしょうね。

superpoko
質問者

お礼

速やかな回答をありがとうございます。 お子さんが生まれたことで正反対の視点・価値観が生まれたわけですね。素晴しいことだと思います。 私も弱い者を守ることのできない強者は、本物の強者ではないと思います。 短い文章ですが、大変感動しました。 あらためて御礼申し上げます。

superpoko
質問者

補足

このアンケートはすぐには締め切りませんので、皆さんの「事件」と「その後」をお聞かせ下さい。 よろしくお願い致します。

その他の回答 (3)

noname#84897
noname#84897
回答No.4

1)第三子が知的障害児と判明したのと、夫から離婚を切出されたのがほぼ同時期。(正式に離婚したのは数年後だけど)そのあと間もなく別居しました。 2)障害児を抱える家庭かつ母子家庭となって、それまでの生活が一変しました。経済的、精神的にかなりの意識改革を迫られました。視点が変わったことでいろいろと考え勉強になりました。離婚をきっかけに友人もだいぶ失いました。 自分の努力だけではどうにもならないこと、子供に過剰な期待はしても無駄なことなど、いいこと悪いこと両方、悟ることがたくさんありました。それまでの自分の生き方に対する反省もずいぶんしました。 まあ、私自身のためには、こうなってよかったと思っています。 以下余談。 4番さんの書き込みが、削除に値するほどひどいものとは思えません。もし削除にならなかったとしたら、管理人さんも私のようにお考えになったのだと思います。

superpoko
質問者

補足

よい回答が続いていたこともあり、締切を大分先にしようと考えておりましたが、ここで締切に致します。 1人だけの満足ではなく、読み手にも何かを与える回答が必要であると考えます。 不特定多数の方が御覧になる場でのモラルとマナーを保つのが難しいテーマであったのかも知れません。

noname#92306
noname#92306
回答No.3

今まで1番私の人生に大きな影響を与えたできごとは、今の彼と出会えたことだと思います。 考え方も生き方も全く違った2人。でも初めて私の辛さを解ってくれた人。本当の幸せを教えてくれた人。 私は幼い頃から常に“何でもできる優等生”だと言われてきました。両親は仕事で忙しく、仲も悪かったので病を抱えた祖父母に育てられた私は、ワガママを言うこともできなかったし、何でも自分でできる“良い子”でいなければなりませんでした。幸い勉強は常にトップでしたし、他に特に苦手なこともなかった私は友達にも『何も苦労がなくていいよね』『私達みたいな普通の人とは住む世界が違うよね』と言われていました。先生も『お前は先生が何もしなくても何でも自分でできるから助かる』と相手にされませんでした。周りの人からそんな眼で見られるのが嫌で嫌で仕方なかったのですが、期待されるとそれに応えなければならない…そしてずっと自分の気持ちを抑え周りの期待通りに歩んできた私。 そんな時に出会ったのが今の彼です。彼は初めて会った時から普通の人とは違う見方をしていました。『とても明るい笑顔だったけど、どこか寂しげに見えた』らしいです。私にとって本音を言えるのは彼だけでした。 とは言え、人間的に弱かった私はやはり言われるがままに有名国立大学の夜間部に進み、お金の面倒をかけまいと昼は公務員として働き、夜は大学生という生活をしていました。 やはり19年間の無理がたたったのかそんな生活も長くは続かず、我慢の限界で病院に行った私は、極度の抑うつ状態・パニック障害・拒食症と診断され、1年たった今でもまともに食事もできない上働くこともできません。あの時彼の言うように好きなことをしていれば人生変わっていたかもしれません。 彼は工業高校を卒業後地元の会社に就職しコツコツと働いています。決して勉強ができる人ではないです。むしろ高校を卒業できるかどうか心配した程。でも彼が地道に努力を続ける姿、世間体など全く関係なく本当に自分のやりたい目標を持っていることには感心しましたし、憧れました。人間として尊敬しています。 さて、私も病気になったことでたくさんのことを知ったんです。それは普通の人にとってはごく当たり前のことかもしれません。家族に愛されていること、友達に愛されていること、私の命は大切なんだということ、私にも自分の意志で幸せになる権利があるということ、世の中には同じように苦しんでいる人が大勢いるということ、何でもできるという才能は誰もが与えられたものではないということ等数え切れません。今では、あのままエリート街道を進んでいるより病気になって良かったとまで思っています。 私にも新しい夢ができ、資格取得まであと1歩というところです。ずっと支えてきてくれた彼との結婚も決まりました。神様は人それぞれ色々な試練を与えますが、幸せを自分の手で勝ち取る術を教えられているように思えてなりません。長文失礼いたしました。

superpoko
質問者

お礼

大変ご丁寧な回答をお寄せいただきまして、ありがとうございます。 機能不全家族(いささかの知識を持ち合わせておりますので、誤解なさらないようにお願い致します。)の中で自己矛盾を抱えて生き辛さを憶えるのは、言葉にならない苦しさであったことと推察致します。早く、でも確実に回復されることを念じております。 1221chu0821さんが彼と出会って幸せを見つけられたことは、彼の素晴しさであるばかりではなく、1221chu0821さんの彼を受け止めることができた素晴しさゆえでもあると思います。 私も『とても明るい笑顔だったけど、どこか寂しげに見えた』女性を愛したことがあります。(実は今でも愛しています・・・・・) おっしゃるように「神は乗り越えられない試練は課さない」と思いますし、その人の本当の幸せや成功を助けるために試練を課されるのだと私も思います。 ありがとうございました。

回答No.2

まぁ、例がマイナス方向なのと丁寧な対応のようなので 、お話します。 私が25才の時に彼女が交通事故であっけなく。 もう5年経ちますが、未だに引きずってます。 その後は紆余曲折ありましたが、今は、ヒッキーとも 鬱ともニートともニアピンな生活を送ってます。 ひとまずは、外に出れるし、仕事もしているので。 まぁ、心境としてはリハビリ中で、この書き込みも その一環です。^^ この事で、何か得られた。と思えるようになるのは、 きっと、まだ先になりそうです。 得られるとか、そうじゃないとかは少し身勝手かな。

superpoko
質問者

お礼

なんと言葉を遣ったらよいのかと思いますが、つらいご経験の回答をお寄せいただきまして、痛み入ります。 よほどお互いを認め合うことのできる、素晴しい女性だったのではないかとお見受けしました。私でしたらどのような処し方をしたか分りません。 女性(ひと)を愛する喜びも苦しみも楽しみも悲しみも識る同じ男性として察するに余りあります。 私も結末をつけ難い事件に遭遇した経験がありますが、事に正面から向き合うよう努力することを忘れないようにしたいと思っております。 happy_booksさんのリハビリがよい方向へ進むことを願っております。(^^)/ ありがとうございました。

関連するQ&A