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日本人はいつになったら自分の国を誇れるのですか?

学校の先生で組織されている日教組や、多くの国民が愛読している朝日新聞は、なぜ反日なのですか? 戦争を思い出させる日の丸だから反対なのですか? では、国旗が変わればいいのですか? 戦後の日本を見れば世界平和の為に貢献しているし、戦争を仕掛けるとは思えません。 いつになったら子供達に「これが日本の旗ですよ。日本は過去に過ちを犯しましたが、反省して世界平和の為に努力しています。日本人という誇りを持って将来世界の為に役立つ人間になりましょう。」と言えるのですか? 世界には日本のように自分の国旗を誇れない国はあるのですか?

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  • STIgdb
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回答No.12

 大体、反日という言葉の定義は何ですか?いまの政府のすることに批判的ならそれが反日になるのですか?    朝日新聞のスタンスは確かに、いまの政府に対して批判的です。それが反日になるのですか。    #13の方が言われるとおり、国を愛するということにはいろんな形があると思います。    たとえば、私は日本が好きですし、日本が誇れる国になってほしいと思っています。個人的には、日の丸のシンプルなデザインも好きです。  しかし、だからといって、それをわざわざ法律で国旗に指定し、卒業式に掲げることを強制し、○京都教育委員会のように、わざわざ各学校の卒業式に職員を派遣し、掲揚してない学校の校長や、掲揚に反対した職員を処罰したりする、そのやり方がいいやり方でしょうか。これは戦前の言論統制そのもの、治安維持法の考え方そのものではないでしょうか。    「君が代」もそうです。この歌には天皇の代は千年も八千年もつづけばいい。と言う意味があると考える人もいます。私は、いまの日本は国民のものであり天皇のものではないと思っています。同じような考えを持つ人はすすくなからずいます。違う考えの方が多くおられることもわかっていますが、それを数の力で国歌ときめ、法律で強制し、卒業式などで、歌わなければ処罰する。これは憲法で定められた思想、信条の自由を侵す行為ではないでしょうか。  私もはっきりいって子どもたちにこれらを強制したくありません。(もちろん自分の意思で歌ったり、あがめたりするのは自由だと思います。)それは、この二つのもとに、多くの若者が、国のために、天皇のために、という理由で戦場に送られ、望みもしない殺人を強制され、あるいはその犠牲になったことがあるからです。  私も、あの中国のヒステリックな反日デモを見ると吐き気を催します。嫌いです。不愉快です。  でも、一部の過去の失敗(軍部が暴走し戦争をはじめ、それに政治が引きずられ、国民全体を無謀な戦争に引きずり込み、多くの国民を殺し、他国の国民(兵隊も人間ですし、民間人はもちろんのことです。)も多数犠牲にしました。  南京大虐殺があったかどうかについては諸説ありますが、私は、目撃者の情報や、もと日本兵の証言などから、規模は中国側がいうような30万人と言うようなものでなくとも、いくばくか(一万人程度)の犠牲者はでたと思っています。(その参考になるURLを貼り付けます。)  たとえこれがなかったとしても戦争全体を見れば何千万人もの罪のない人々が死んでいっているのは事実です。このような戦争を誤りといわずしてなんと呼べばいいのでしょう。)を美化しようとしている人々にも賛成できません。そしてその流れが一般の人々の間に広がってきているのにも危惧します。  中国で反日デモが起こったからといって中国人全体が悪いようにいったり、日の丸、君が代に賛成できない奴は非国民だと言ったり、それではまるで戦前の大日本帝国政府そのものの考え方ではないですか。  日本人は決して自虐的になる必要はないと思います。しかし、日本にはあのむごい戦争を、引き起こしてしまった教訓は生かして、それこそ色々な考え方が共存できる、本当の意味で成熟した平和な民主主義の国になっていってほしいと思うのです。  そのためには過去の大きな失敗に眼をつむることなく、間違いは間違いとして同じ過ちを繰り返さないように気をつけることが大切だと思います。これが自虐的になることでしょうか?  過去を美化し戦前に戻ることが本当に日本のためになることでしょうか?    戦争はどんな大義名分があっても悪です。ブッシュ大統領の言うような、「正義の戦争」などと言うものは存在しません。あの「平和の為のイラク戦争」で9.11をはるかに上回る人々が犠牲になっています。  もし、世界が戦争と言う手段を選ばずに、経済制裁や、各国の外交手段を駆使して戦っていれば、遅かれ、早かれイラクの独裁体制は崩れたはずです。そうすれば、犠牲者の数はこんなに多くはならなかったでしょう。  平和で民主的な世界を作る戦いにはいろんな方法があります。そのなかで戦争はもっとも愚劣な方法と考えるのはおかしいでしょうか?  私が、言いたいのは過去を単純に美化するだけでは、日本は誇れる国にはなれないと言うことです。過去の失敗から眼を背けず、どうすれば本当の世界に誇れる国家を作っていけるかを考えることがいまの日本に求められていることではないでしょうか。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA
noname#25849
質問者

お礼

とても素晴らしい答えを頂きました。 一つ一つの言葉に納得しました。ありがとうございます。 URLも参考になりました。

その他の回答 (11)

noname#49664
noname#49664
回答No.11

#3です。こちらの回答(?)に対し、わざわざリンクまでつけて返答していただきありがとうございました。 「従軍慰安婦は捏造」「南京大虐殺はなかった?」 そういう「意見」があることは知っています。が、「捏造ではない」という「意見」があることも知っています。どちらが「事実・真実」かは、今の段階では誰にもわからないことでしょう。  朝日新聞にも誤謬や誤りがあることは誰しも認めていることと思いますよ。が、例えば従軍慰安婦に関する謝った報道をとりあげることで、従軍慰安婦そのものを捏造とするのはどうでしょう? 例えば岩波新書の「従軍慰安婦」などのように詳しく聞き取り調査をして書かれた書籍も多数ありますが、それらもすべて捏造なのでしょうか。また韓国で元慰安婦の人が訴訟を起こしたりしていますが、それらもすべて「嘘つき」ということでしょうか。南京大虐殺も同じで、南京大虐殺を否定する意見を信じることは自由ですが、その反対の意見も当然多くあり、どちらにも幾ばくかの真実と誤りがあるのは確かでしょう。  一部に誤りがあるということをもって全部を否定するのは無理があります。また、その論理でいえば、「従軍慰安婦は捏造」と主張する書物の中にも多数の誤りが含まれています。私たちは「完全な事実」など手にし得ないことを考えないといけない、と私は思います。 また、朝日新聞が何度か誤報を流したということをもって「朝日新聞は反日」ということもどうか?と思います。少なくとも、他の新聞などよりは誤報や誤謬の数は少ないように思いますし、その姿勢は「日本という国を誤った道に進めようとする国家権力を常に監視し批判することで私たちの日本がよりよい国であり続けるよう」とする、非常に国を愛する姿勢であると思います。  上杉鷹山は「国を愛するということは民を愛することだ」ということをいっています。そういう意味からすれば、民を愛することを忘れた権力こそ、日本という国を愛することを忘れた亡国の輩であると思うのですが。 「国を愛する」というのはどういうことでしょう。「これこれこういう形で愛することが国を愛することなんだ、それ以外はダメだ」というようなものとは違いますよね?  私も、日本という国を愛しています。ただ、あなたとは少し愛し方が違う、それだけのことです。

noname#25849
質問者

お礼

丁寧な回答ありがとうございます。 >こちらの回答(?)に対し、わざわざリンクまでつけて返答していただきありがとうございました。 悪気はありませんでした。申し訳ありません。 人それぞれ愛し方は違って当たり前ですね。私は勉強不足なので間違った愛し方かもしれません。 これから勉強していきたいと思います。

  • mn214
  • ベストアンサー率23% (306/1302)
回答No.10

こんにちは。 私は個人的には日本という国は大好きです。 一応日本という国に誇りを持っています。 日本って戦争に負けて何も無くなった時にそれまでの日本を全て否定されてしまったのでしょうね。 天皇のこと、政治のこと、教育のこと、その他一切を否定されてしまい、180度逆の方向に振れてしまったような感じです。 そのために朝日新聞は反体制派的な論調になり、学校教師も同じく反体制的な方向を向いて子供に教育し、何となく体制批判をすることがカッコイイことみたいな風潮になり、安保闘争とか成田空港闘争とか学生運動とか結局は反体制ということであれば何でもいいみたいな感じになっていったのだと思います。 敗戦で何もかも失った国がよくここまで発展したものだと思います。 戦後から今に至る日本に対して賞賛してくれる国もあれば、脅威や嫉妬を感じる国もありますが、日本国民としてはよく頑張ったと自分の国を誇りに思いたいですね。 戦後といわれてももう既に60年経ちました。 もうすでに人口の3分の2以上は戦後世代なので、いい加減過去の過ちを断ち切って、現在及び将来の日本に向けて進んで行かなければならないと思います。 最近の反日の報道のおかげで、日本人の中に何となく愛国心みたいな感情が芽生えてきたような気がするのは私だけでしょうか?

noname#25849
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は中国も韓国も好きな国です。中国・韓国で日本の事をどう教えているかを最近の報道で知り、ショックを受けました。日本人は皆深く反省しているし、良い関係を築いていきたいのに、いつまでも許してもらえない、底なし沼にいるような気持ちになりました。国旗が焼かれたり、大使館が襲撃されている映像を見て、黙って耐えるしかない日本に愛国心が芽生えたのかもしれません。

  • kosukage
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回答No.9

日教組や朝日新聞が何故反日なのかといいますと、自国民に自虐史観を植え付けてきた経緯があるからです。 何が正しくて何が過ちなのかはその時代によって違いますし、今現在の価値観で過去を検証する事自体がナンセンスなのです。 第二次世界大戦以前の世界では侵略戦争が国際法に反する行為とはいえませんでした。それを言い始めたら植民地を持っていた欧米列強は皆自国を誇れない国ですし、全てが過ちです。 残虐行為の無い戦争も、レイプの無い戦場も、慰安婦のいない戦場も何処にも無いのですよ。だからと言って過ちが無い事にはなりませんが。 戦勝国がルールを作る以上敗戦国が貧乏くじを引くのは当然です。だからと言って自虐的になる必要は無いのです。これから平和な世界を形成して行く礎とするべきであって、囚われるべきではないのです。 結果論ですが、大東亜戦争が切欠で独立に結びついた国も多々あるのです。あの戦争が無ければ日本という国が無ければ、今でも世界は植民地支配の中にあったかも知れませんよ。

noname#25849
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >日教組や朝日新聞が何故反日なのかといいますと、自国民に自虐史観を植え付けてきた経緯があるからです。 自虐史観で検索したら『いわゆる歴史的汚点を殊更強調し日本を貶める極左反日主義者の歴史史観』とありました。 >これから平和な世界を形成して行く礎とするべきであって、囚われるべきではないのです。 全くその通りだと思います。 >あの戦争が無ければ日本という国が無ければ、今でも世界は植民地支配の中にあったかも知れませんよ。 今の日本を見ていると、昔の日本人とは違った日本人になってきていると思います。 人を騙したり、殺したりする事件が多く悲しく思います。 教育の大切さを改めて感じます。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.8

私の個人的経験を記載します。  私は、日本政府の無償援助で病院を建てた経験があります。現地で働いているのは、当然ほとんどが中国人で、日本人は数名でした。工事費数十億は当然日本人の税金です。  工事は順調で働いている中国人との関係もよく、中国人のリーダーから、 「今まで日本人に対して、いい感情を持っていなかったが、一緒に仕事をしてみて、自分は他人から聞いたり、本で教えられたことを鵜呑みにしていたことがわかった。日本人も戦前と戦後では、変わったんだな。」とある日、言われました。  日本国内に比べ、不自由な生活の中で行なう自分の仕事に、大きな満足と、日本に対する大きな誇りを感じた一瞬でした。  しかし、それから数ヶ月後の工事完了間近に、日本の某与党有力政治家(旧日本軍や遺族会を支持地盤に持っている国会議員でした。)が、「日中戦争は、侵略戦争ではない。」と発言し、工事現場での中国人の雰囲気も、一変しました。  リーダーであった彼は、「やはり日本は変わっていない。何処の国でも、いい人は居る。この工事現場に居るあなた達は、いい人で我々の友人だが、日本人というものは、やはり信用できない。この工事も、お金で我々の好意を買うという軽蔑すべき行為だ。」と結論付けました。  残念ながら、彼の考えを再度変えるような出来事も時間もないまま、残念ながら帰国することとなりました。  国内に居ては分かりにくいと思いますが、日本の政治家が、自分の選挙を頭において、支持者に向けた発言・行動で、国民の税金を何百億も無駄にし、誇れる日本を遠くしています。また日本人一人一人の、日本人と外国人を、人として別の存在であるかのような発想で行なう行為が、誇れる日本を遠くします。    日本は中国に、過去何千億円かの無償援助をしてきましたが、今回の中国の騒動でも分かる通り、かなりの無駄使いであったようです。 国旗について  国旗に負のイメージがあるからと言って、変更したりするものではないと思います。国旗と言うものは1度決めたら、負のイメージにしてしまったとしても使い続け、それが友好と平和のプラスイメージに変わるように努力する義務があります。(今でも中国・韓国では、日の丸は軍国主義の象徴との思いがあると、日本人は自覚した上で、使用すべきです。)  積み木崩しのようですが、日本人一人一人が、外国人と接するとき、誠実に相手の立場に立って、考え・行動していけば、誇れる日本になるでしょう。その時は、その象徴としての日の丸も、必ず誇れるようになります。いつになるかは、あなたが外国人と接し、そのための努力すれば、見えてくると思います。

noname#25849
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 仰るように一人一人が誠実に相手を思いやってお付き合いする事で日本人を理解してもらうしかないですね。 国旗は一度決めたら変更できないということを知りませんでした。

  • taro15
  • ベストアンサー率22% (9/40)
回答No.7

私は日本を愛し、日本人であることに誇りをもっていますよ。 過去に間違いを犯さなかった国はありません。 日本も例に漏れません。 過去の歴史も含めて私は日本を愛しています。 現在、過去の歴史の評価について意見が分かれてきつつあるようです。 朝日新聞を始め、同様の思想を持つ方々は戦後間もなくの評価をずっと引きずっていらっしゃるように思われます。 そして、その評価と異なる評価をまるで受け付けず 単に「右翼」「軍国主義」で片付ける傾向があります。 再評価してみて、過去の日本の行動に評価すべき点があれば、日本人としてうれしいはずです。 ところが日本人には「反省」することが美徳であるということが根強く染み付いておりますので、むりやり反省したがる人間が大勢いるのです。 反省すべき点は反省するのが当然ですが、反省しなくても良い、実は良かったことは一切教えようとしないあるいは耳を貸さないというのが現状でしょうか。 新しい評価をする人も増えてきています。旧い評価を引きずっている人たちも論理破綻しつつあります。 もうすこしすれば健全な愛国心を持つ人が倍増すると思います。 国旗・国歌の強制といいますが、じつは礼儀の問題です。国旗・国歌に反対するのは一向にかまいません。 しかし、自国のものだろうと他国のものだろうと、国旗掲揚のときは起立し、国歌斉唱の場合には自国の場合は唱和し、他国の場合には敬意を表するのが礼儀なのです。 キリスト教式の結婚式によばれて、自分は仏教徒だといってお経をあげるような行動です。 そういう人達は自分の気持ちのみ考えて、国旗掲揚のときに起立しません。自分達以外の日本人に無礼な行動をはたらいていることに少しも気づかない未熟な行動なのです。

noname#25849
質問者

お礼

回答をありがとうございます。今の私が知りたかった事が述べられていて嬉しくて涙が出てきました。 過去に犯した過ちは心から深く反省し子供達にもきちんと教えなければいけないと思います。 でも、最近ネットで色々な情報を読んで歴史が捻じ曲げられているかもしれないと感じました。 国家・国旗に関しては礼儀なのですね。納得しました。学校の先生が子供達にそのように教えてくれたらと思います。

  • ryu-sei
  • ベストアンサー率3% (2/55)
回答No.6

私は日本が大好きです☆世界から避難されていてもあなたが自分の国を好きならそれでいいのでは? もしも、日本が戦争をしたから、人を殺したから自分の国を好きになれないというのなら、自分の国に自信をもてる国なんてなくなってしまうのではないでしょうか? 私は日本の文化や歴史が好きなので、海外からきた留学生にも自信を持って文化や歴史について語っていますし、相手の国も理解しようとしています。 あなたが自分の国を好きなら迷惑がかからない程度に自分の国に自信を持ってもいいのでは?

noname#25849
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は台湾に住んでいたので何人か知り合いがいます。日本に住んでいる韓国の留学生と友達になりメール(日本語で)もしています。個人レベルではとてもいい関係なのに国と国になると難しいですね。でも、どうにかならないのかと思ってしまいます。

  • hanzo23
  • ベストアンサー率10% (4/39)
回答No.5

『自分の国を誇る。』とはどういう事でしょう。中国や韓国のように自国に都合の良い歴史解釈のみを唯一絶対とし、異なる価値観を持つ他国を貶めることでしょうか。 日教組と朝日新聞を同列に扱うことには抵抗がありますが、どちらもあなたとは異なった価値観の元に日本を愛し、誇りに思っています。 『愛国心』や『誇り』は、判断力のない幼児の内から学校で教え込むものではないでしょう。愛し誇れる日本であるなら、教えなくても強制しなくても、日本を愛するようになるでしょう。 あなたの言う『反日』とは朝日新聞の論調が、ナショナリズムや国粋主義に批判的であるという意味だと思いますが、反日という言葉の意味を履き違えていませんか。 国旗・国歌・日本を愛することを批判しているのではなく、ナショナリズムや国粋主義を信奉する者がそれを強制しようとしていること自体を批判しているのです。 『誇り』が自国の優位性を誇示し、他国を見下すことと同義であるなら、そのようなものは不要であると思います。

noname#25849
質問者

お礼

回答ありがとうございます。他国を見下すということは全く思っておりません。中国や韓国の方と本当に仲良くなりたいと思っています。 朝日の反日というのは、No.3のお礼の欄にもあるように「従軍慰安婦」そのものが朝日新聞の捏造ということや、「南京虐殺」「教科書問題」も煽動したということです。

回答No.4

過去の歴史と向かい合うだけ大人になれば、誇れるんでは? それを、ごまかして、いいところだけ見て誇ったとしても、世界の鼻つまみですね。 中国や韓国だけじゃないですよ。 欧米の人々から見ても、日本は過去の歴史と向き合えていない、過去を美化しようとしていると映っているようです。 (過去に悪いことをしたことを認めたら、これからの日本を誇れなくなるというじゃあ、逆に余りにも自虐的かと。) 君が代・日の丸に関して言えば、過去にそれらを強制されたことと、暗い過去が結びついてしまっているのが原因でしょう。君が代や日の丸そのものよりも、それらを強制することに対する抵抗が大きいのでは? (誇る人がいること自体は問題にされてないでしょ?) 日本と言う国そのものに対する誇りという面では、多くの日本人も、日教組も、朝日新聞も、それなりに持っているのではないでしょうか。 日本の文化、食文化、自然、人情などに対して。

参考URL:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050421-00000048-kyodo-int
noname#25849
質問者

お礼

回答ありがとうございます。日本は深く反省し、謝罪をし、賠償金や補償金を払い、ODAを行っています。日中共同声明や日韓基本条約で過去の歴史問題に区切りをつけたのではないですか?日本人の心の中には申し訳なかったという気持ちはあると思います。君が代・日の丸に関して暗い過去が結びついているならば変えればいいと思うのですが…。

noname#49664
noname#49664
回答No.3

朝日新聞を購読していますが、別に反日な思想など感じられませんが・・。それとも、公の行事などに日の丸を強制的に掲げることに賛成しないと、それだけで「反日」扱いされてしまうのでしょうか・・。  反日うんぬんと、「国旗掲揚の問題」がごっちゃになっていませんか?

noname#25358
noname#25358
回答No.2

 「愛国心」という言葉から、軍事的なイメージが一切抜けてしまうまでは無理でしょう。  今の日本人は、愛国してしまったがために、その対象である国によって殺された人の末裔なんですから。

noname#25849
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 中国の方が「愛国無罪」と叫んでいるのを見て、今の日本では考えられない言葉だと感じました。 国を愛する気持ちはいけないことだと思いません。 立派な行いをしようと努力する国だから愛せるんだと思います。 暴力に暴力を返さない、嫌われていても友好関係を築くために頑張っていると思います。