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ボーダーライン人格障害

BPDの方や家族、友人にBPDのいる方で、 病気が治った、またはかなり好転したという方はいますか。 どうしたら、治りましたか。 物語風に語ってもらえたらうれしいのですが、、、

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  • aya0821
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.1

こんにちは。 私は境界性人格障害と診断されて5年になります。 現在は、以前と比べてかなり精神的にも安定しています。 病院に通うようになったきっかけは、 自殺願望が強くなり、このままでは本当に死んでしまうと危機感を抱いたためです。 その他の症状は、鬱・過食嘔吐・リストカット・不眠など。 衝動的な行動(物を破壊するなど)もひどかったです。 病院に通い始めてすぐに境界性人格障害と診断されたわけではありませんでした。 パニック障害→アダルトチルドレン→境界性人格障害 と、3件目で診断されました。 (診断に納得がいかなくて病院をかえたわけではありません。引越しで病院をかわる度に診断がかわったのです。) それからしばらくは、ひどい状態が続きました。 病院に行けば楽になると思っていたのですが大間違いでした。 山盛りの薬を飲み、飲んでも効かない・・・いらいらして物や主人に八つ当たり。 眠れず、食べても吐き、リストカットの傷は増える一方でした。 2年前位に処方された薬が、ひどい感情の起伏を抑えてくれたおかげで、自分で自分の病気を客観的に見ることができました。 それと同時に、理不尽な仕打ちを受けても頑張ってサポートしてくれていた主人の優しさに気づくことができました。 それから、苦しいときに苦しいと正直に訴えることができるようになりました。 今は、睡眠導入剤のみの薬の服用です。 正直、ひどい感情の起伏は今でもあります。 でも、それを話せる家族がいます。 感情のコントロールも徐々にできるようになりました。 どうしようもないときはすぐにカウンセリングに行きます。 最初の頃と比べて、状態はかなり好転していると思います。 やはり、家族の理解が一番の薬だったように思います。 乱文失礼しました。 参考になると嬉しいのですが。

alessandra
質問者

お礼

私も、今の主治医にはじめて「ボーダーライン人格障害」との診断をくだされました。私の場合は、自分の意思で何人も主治医を替えたのですが、、、、 ボーダーは様々な症状のデパートと言ってもよいみたい。 aya0821さんは、だんな様のサポート(愛情?)と、2年前に処方された薬が効をなしているようですね。 お話、とても参考になりました。

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その他の回答 (1)

noname#15568
noname#15568
回答No.2

物語風ってのはわかりませんがいとこ34女がそうです。 ただ病名色々混合で 診断は 妄想性人格障害 アダルトチルドレン 神経症 そしてボーダー。他にもあったかもしれないですが確か18くらいから。でも中学くらいから不登校気味でした。高校卒業後無職のプー太郎、何をやっても長続きせず専門学校ばかり行っては退学の繰り返し。原因は母親と祖母、学校/仕事場での対人関係/勉強が出来ないことなど。3年前に母親が亡くなりまして、それで落ち着いてきました。 私には暴力ばかり振るって憎んでいるように見えたけど反面愛してたのかもしれません。葬式では泣きもしない娘だったけど、半年過ぎた頃からボーっとし良くなりました。 それまではボーっというタイプではなくカミソリみたいな気質で。 先ずは仕事にいくようになったこと(祖母と折り合いが悪く母親が送金し一人暮らしの面倒みてたので強制就労)そこで職場の40位の独身女性と一緒に海外に遊びにいくようになりました。いい年して毎年アメリカのディズニーランドへいって子供みたいに楽しんできてます。その為に今、働いているという感じですね。 それまでひきこもりでしたから。 誰とも会わず親にばかり不平不満をあてて、一人で暮らしているけど全部母親のお金。 夜、母親が帰ってくると文句の電話に5時間。病気ですね。 何ひとつ自分で出来なくて口ばかり達者な子でした。 それが話が出来るようになりました。 前はカッとしてキレる暴力女だったので誰も近づけない。 機嫌を損ねると大変なので何でもハイハイ。(こうしててもキレるので一体何が不満かわからない。)腫れ物を触るような感じでしたが、今は旅行に行くので猫を預かってほしいと『頼み』にきます。今まで頼まれた事もありませんでした。そしてかえって来るとミッキーのお土産などを持ってきてくれます。写真を見せてくれるし、泊まったホテルの話もしてくれます。 その40くらいの女性がまた少し変わった人でそれもいい好転のきっかけだと思います。 前は難しい言葉で他人の言葉の揚げ足ととる子だったけど今は減りました。 矛盾とか言葉の誤りでも許せないという感じで精神科医の先生も嫌がる子で難しい子だったけど今は通院もへりあまりいってないみたいです。(詮索されるのは嫌いであまり聞いたことありませんが) 結局、欲しいのは理解なんじゃないですか?恋人でも友達でも。 前は精神科の先生しか理解を示してくれないと喚いてましたけど(そりゃそうですよね、お医者様は仕事ですから理解してくれます。)お友達っていう存在が、母親が居なくなり頼れるのはその40女性みたいです。見てて女子高生みたいにはしゃいでます。 今は本当にまともになりました。親族一同ほっとしています。 でも仕事でミスしたくらいで普通の人より物凄く落ち込んだり、物が無いだけでパニック(電話してきてここにあった○○知らない?など)になるし、会社の人の買ってきたお土産がないだけで(4人分足りなかった、自分だけじゃないのに)というだけで落ち込みますね。被害妄想気味ではあります。こういうときの攻撃もすごいですね。 本来お土産は全員に配るように買うんじゃないの?とか足りなければお土産そのものを持ってくるな。足りない人の気持ちを考えてない!など、そういうときの攻撃?反論はすごいですよ。 本当に治ったかはわかりません また病名が変わるかもしれませんから。 でも、普通に仕事にいって旅行にいって、会話ができるというのはかなりの好転だと思います。好転理由は原因が無くなった(亡くなった)生活環境の変化と順調な人間関係だとおもいます。 いとこを見ているといつもそう思います、生きづらそうな性格だなと。 自分で自分のかさぶたをめくり血をながす、そういう感じで、自分で不幸増殖するタイプでしたからね。ボーダーは性格的なものか曖昧なのであまり病気と思わないほうがいいと思いますよ。性格は一生治りません、そしてその性格をもって生まれたのはしょうがないのでね。考えすぎないことです。物語風になりましたでしょうか。

alessandra
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 物語風、にこだわらなくてけっこうですよ(笑)。 いとこさんの場合、お母さんが亡くなった事と、遊び友達ができたこと、海外旅行という趣味を見つけたことがよかったのかな。 お母さんが亡くなった事が良い、といってしまっては不謹慎かもしれませんが、結局依存対象がなくなったわけですよね。 私も、彼女と似ているところが多々あります。 母親との関係などはまさにそうです。母は生きていますが、遠く離れたところにおります。それから、主治医の「親を乗り越える」という言葉をかみしめ、努力したところ、母親の存在が私の中でほとんどなくなってしまった。が、依存対象が主治医に移っている部分もありますが。 ボーダーは、神経症、精神病、その他あらゆる疾患を少しずつかじっているようなもので、広範囲に渡るのだと、本にあり、健康な部分も持ち合わせている。 物語風というのは、時系列を追って、と言う意味もありました。 参考になりました。ありがとうございます。

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