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真打
落語の真打制度をめぐり、三遊亭円生が落語協会を 脱退してたって話、今日知ったのですが、具体的に どうして脱退したのか、ご存知の方いませんか?
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事が起きたのが昭和53年。 当時の会長、柳家小さんは「若い者にチャンスを与える意味でも真打ちに昇進させ精進させたい」という口実でなぜか大量に真打ちを”生産”。 これに対し、「実力が伴わない二つ目を真打ちにすべきではない」とかみ付いたのが前会長の三遊亭圓生。「落語三遊協会」を立ち上げて分裂します。翌年圓生が急逝、多くの三遊協会所属噺家が落語協会に戻りますが、惣領弟子の円楽師は戻らず、今の「円楽一門会」にあたる「大日本すみれ会」として袂を分かったままとなります。 とはいえオモテムキの話だけではなく、個人的なウラミツラミもあったようで。この辺りは三遊亭円条師の「御乱心」や金原亭伯楽師の「小説・落語協団騒動記」あたりが詳しいようです(両方とも投稿子は未読) また、協会は真打ち昇進試験の制度を設けた(後に試験は廃止)が、58年にはこれに異を唱えた立川談志の一門が脱会(自分の弟子が落ち、それより劣る2枚目が昇進したため)。談志は自ら家元となり立川流を発足させました。 これに落語芸術協会(桂歌丸会長。戦前にあったゴタゴタを引き継いで協会が2つある)を加えたのが東京の落語4派です。
お礼
おー、ありがとうございます。 いろいろあったんですね。