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自分でもよくわからない

だるいとかきついとかいう自覚症状ってよくわからないですよね。友達に「自分が大丈夫と思えば大丈夫。きついと思えばきつい。そんなものだ。」 といわれました。自分でもよくわからないのです。自分はとある病気(身体的な)にかかっていて、数値的に見たらそれはきついのだそうです。でも、やはり個人差がある。と。 しかも、自分の状態も不安定な状態で、まったく正常な場合とそうじゃない場合があります。 きつくなると眠くて眠くてしかたなくなります。で、学校をさぼりがちになったり。でも、がんばれないのかときかれたら、答えはNO.なのです。きついともう休もうとかと あきらめてします。ただ、病気をいいわけにしてるだけじゃないのか。自分でもわかりません。 もともと怠け者なところがあるので、本当はきつくないのにきついふりをしてるだけなのかもしれない。 考えれば考えるほどわからなくなります。

みんなの回答

回答No.3

怠けることに罪悪感を持たないで、なまけちゃえばいいですよ。 私の主治医がいいました。 「一生怠けてるわけじゃないし」 眠れる時間があったら、寝ましょう。いくらでも。 そうしたら、本当にやりたい事だけやるようになるから、 自分のしたい事、自分の本当の気持ちが見えて楽に一石二鳥。 病気をいいわけにしたって、いいじゃないですか。 私も今でも世界中で自分が一番ダメな気がすることがある。 会社続かない時とかね。 でも、きっとやるときゃやるさ。 って、最近わかってきたから、偉そうな事いえないか。 きつくないのにきついふりしてる人は、そんなに悩みませんよ。 大丈夫、自分の問題として考えようとするrikariさんは さぼってるんではないと思いますよ。 休んでるんだよ、きっと。 何年も休んだように、怠惰でいいじゃない。 無理に動いても、心にいい事なんかひとつもないよ。 曲だってね、無理に作っても結局ダメなんだ。 あとで自分がウンザリするような曲になっちゃうんだよ。

回答No.2

>がんばれないのかときかれたら、答えはNO.なのです  いつも客観的に他人の目で見て、自分を追い詰めてみるのも1つの手? 私は今、体中にできた癌細胞と戦っているけれど、いつも心の中は、「私一人」ではないです。 痛みがあるとき・・・  お見舞いに来てくれた友達を思い浮かべると、笑顔を作ろうと思うし・・・  家族を思い浮かべると、冷静を装おうと思うし・・・ ただ、他人が客観的に判断した「つらい」は、絶対に当てになりません。 「自分がつらい」=「限界のつらい」ではないでしょうか? 病気をいいわけにしているかどうか・・・ 私自身は、「立てる・喋れる・食べれる」を基準に判断しています。 立てるときは、「まだやれる」と思うし、 喋れるときは、「まだやれる」と思うし、 食べれるときは、「まだやれる」と思う。 思うと言うよりは、そう考えるようにしている? 本当に「きつい」かどうかは、自分にしか分らない。 自分が「きつい」と思ったときが、「限度」。 でも、私は・・・ここに >がんばれないのかときかれたら、答えはNO.なのです  そう書き込んでくださった、アナタを信じたい気分です。   頑張ってネ!

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.1

こんにちは。 確かにだるいとかきついとか個人差がありますね。個人差 があるけどだるいとか思ったなら、そこから無理をするの は難しいです。 だけど、そんな事言ってたら進歩はありません。ですから、 ちょっとだけ無理をするように頑張るのです。 学校を休みたい、と思う日が1ヶ月に10日あったなら、 そのうち1日は無理して学校に行く、学校行って早引き したい日が3日あったらそのうち1日は我慢する。 そうやって、少しづつでもきつい・だるいという事に 対抗していかないといつまで経っても成長はないですよ。 >もともと怠け者なところがあるので、本当はきつくないのにきついふりをしてるだけなのかもし >れない。 これは個人差があるので一概には言えません。でも、こう いう風に考えてきつくない、と思い込んで無理をするより はきついけど、頑張る、と自覚して努力する方が次第に きつい範囲というものが狭くなる可能性もあると思います ので、どうか自分の意識と正面から向かい合ってください。 >「自分が大丈夫と思 >えば大丈夫。きついと思えばきつい。そんなものだ。」 というように他の人と比べる必要は全くないです。自分と の戦いです。少しづつ克服していってください。