初めまして。
お辛いことと思います。
切なくてたまらないでしょう。
皆さん人生のどこかの地点で味わわねばならない悲しみですね。そして乗り越えねばならない修行。
皆さんの御回答、特にANo.5のかたの御回答を拝見して思わず涙ぐんでおります。
私も3年ほど前に母を看取りました。
私にとって母は生前いろいろと葛藤を与えられた人であるにも拘らず何よりも大きな存在で、亡くなったときは足元の地面が抜けてしまうように感じられるほどの絶望感で、街中に出ると、流れる人並みを見て
「私の母が死んでしまったというのに、何故この人たちは、ここにこうしているの?」
などと理不尽なことを思ったりしました。でも、そのときの私にとっては
「それでも世界は廻っている」
ということのほうが、よっぽど理不尽に思えたのです。
しかし否応なく時は流れ、いまは
「こうして笑いながら歩いている人たち、でも、あの人たちのなかには、くず折れそうになるほどの苦しみを笑顔の下に隠して歩んでいる人もいるかも知れない」
こう思えるようになりました。
これが
「時が癒してくれた」
ということなのだろうと思います。
うちの母は長らく病に苦しみ最後は何も喉を通らなくなって苦しいままで亡くなりました。
ですから私はなるべく苦しみの時間を短く、よく言われるように「ぽっくり」と死なせて欲しいと思います。殆んど天涯孤独の独り身ですので、いずれ看取ってくれる人もおりませんし。
貴方が、お母様のお立場なら、どうでしょうか。
「娘たちに厄介をかけずに済んでよかった。
いまのところ孫たちもすくすく育ち、幸せにやっていってくれてる。私も長患いせず、精一杯やることはやって、いまこうしてお迎えが来た。みんな、これからも逞しく元気にやっていっておくれよ。」
親の立場なら、もし、お母様にお口がきけるものなら、きっとこう仰るのではありませんか?
それは貴方御自身が人の子の親であるのですから理解できるのではありませんか?
人の最後は本当に様々。
そして最後はひとりです。
幾多の御苦労を乗り越えてこられた母上のこと、お子様たちに、たくさんお話してあげてください。そしてまた、お子様たちは、そのお子達に貴方のお母様のことを語り継いでいくでしょう。その間は、お母様は決して本当には死なないのです。これは幸せなことですよ。
いまは気の済むまで泣かれて、ご無理なさいませんように。必ず、それなりに落ち着かれるときがやって来ます。
御立派であられたお母様の御冥福を心よりお祈りさせていただきます。
お礼
金銭面で私が援助していたので、すまない気持ちでいっぱいだと言っていました。 だから最後は厄介をかけずに死んでいったのかもしれません。 そう思うと母の人生がかわいそうで・・・ もっと親孝行したかったです。 贅沢させてあげたかったです。 愚痴ってすみません。 ありがとうございました。
補足
沢山、レス頂いてありがとうございます。 皆さんにポイント差し上げたいんですが、お二人だけ選ばないといけないという事で大変悩みました。 母親が亡くなったという事。 泣いても良いよと言ってくださった事。 この2点が今の私の心に響きました。 ありがとうございました。