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タモリ

昔のタモリについて教えて下さい 面白かったんですか?

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noname#1001
noname#1001
回答No.4

タモリはもともと飲み屋で騒いでいたのを赤塚不二夫が見つけてきてプロデュースしたようなものです。 持ちネタは、4か国語麻雀、イグアナの形態模写、中洲産業大学教授、寺山修司のものまね、ハナモゲラ語などで、どれも既成のものはなく画期的でした。 なんと多才な人だろう、と感心もしましたし、大ファンでした。タモリの出る番組をチェックしてもらさず見てやろうと思ってた程です。 また、ジャズピアニストの山下洋輔やトリオのメンバー、サックスの坂田明、小説家の筒井康隆らとも仲良しで、彼らが集まって騒ぐのはとても楽しそうで羨ましく思ったものです。全日本冷やし中華連盟(全冷中)などの活動も爆笑でした。面白半分という雑誌もこれらのメンバー中心にやっていて、当時最高の爆笑読み物でした。名曲「ソバヤ」は当時のメンバーの集大成でしょう。タモリなしでは生まれなかった名作です。 一般的なファンはもちろん、マニアックなファンも多かったと思いますよ。

その他の回答 (7)

  • 131313
  • ベストアンサー率20% (11/54)
回答No.8

 「笑っていいとも!」は1981(昭和56)年の開始です。テレフォンショッキングは当初からの目玉企画でした。ちなみに第1回のテレフォンショッキングのゲストは桜田淳子だったと思います。彼女が誰に電話をかけたのか、は残念ながら覚えていません。

noname#1244
質問者

補足

テレフォンショキングで出たゲストが始めから今までどう紹介してされたのかを調べる方法てないですかね? 気になる~ それと昔と今の笑っていいとも!で違うところってどんなのがあります? 今はタモリオープニング歌わなくなりましたよね

  • amukun
  • ベストアンサー率31% (611/1955)
回答No.7

まだ有名になる前のライブを某大学の学園祭で見ました。 放送禁止用語連発のかなりアナーキーな芸でしたが、女の子も含めて爆笑していました。しばらくの間、彼の話題で大いに盛り上がりました。赤塚不二夫や筒井康隆が最強の密室芸人と言っていたのは、そういう面を言っていたのだと思います。TVであんな芸は出来ません。あの時以上に面白いタモリには、その後、出会っておりません。vitamin-powerさんのおっしゃる「面白半分」も最高でした。付録のミニ文庫、作ってましたよ。

  • nakaG
  • ベストアンサー率25% (42/165)
回答No.6

 最近は彼もビッグ・タレントになり、TV局も気を使いすぎて毒がなくなりましたね。とくに「ジャングルTV」などは、番組をあげてのヨイショ番組になっていて、気持ちが悪いですね。  恐らく彼がTVに最初にでたのは「空跳ぶモンティー・パイソン」の幕間の芸じゃなかったかと思います。28年くらい前です。この番組は「ゲバゲバ90分」の元になったイギリスの「モンティ・パイソン」シリーズをスタジオのゲストと一緒に見ると言う形式で、その前半と後半を繋ぐのがタモリの芸でした。  大き目のサングラスで、現在より太っていたのか輪島功一風のデカイ顔だったと思います。  当時福岡で、この番組は真夜中の1時過ぎにあっていて、知ってる人も少なく、色んな人に紹介してもそれ程面白くないと言われていました。  私はあの毒のある芸風と多少インテリジェンスを感じさせるネタが気に入って、毎週眠い目をこすって見ていました。  そんな中で見たのが「四カ国マージャン」「ハナモゲラ相撲中継」「中州産業大学教授」などで、一刻堂の先駆けとも言える「世界の短波放送」と言う芸もありました。とくに中州産業大学教授の「JAZZの変遷」の模擬講義は、結構専門的で勉強になりました。やはり当時としては衝撃的で画期的な芸でしたよ。  とにかく放送禁止語や差別語がポンポン飛び出して毒がありました。  その後、和田アキ子の「アッコのゴッドねえちゃん」に登場して知られるようになり、「笑っていいとも!」で不動の地位を築き一般的になるにつれ面白く無くなって来ましたね。  ビートたけしと良く較べられますが、たけしと言う男はあれでもモーレツ社員型の努力型ですが、タモリは努力しないのがキャラクターですから、それはそれで彼の生き方ととしては完結しているのではないかと思います。

  • Eivis
  • ベストアンサー率29% (1122/3749)
回答No.5

#1、3で書かれている通りの仕事をしていますが最初、NHKに出た時に永六輔が出ていてイグアナの真似を異常に面白がり それ以来タモリの方で、永さんを避けているようです。 永さんと言えばゴリラの真似をする芸人さん(故人)を贔屓にしていましたが中途半端さに耐えられなかったのだと思います。 タモリの芸はかなり瞬間芸の趣のあるものですから、彼自身いつも自信がなかったのではないかと推測します。。。 その後、イグアナ的な芸とか昔藤村某?のしていた外国語的ムード芸が空しく想えたと見え、司会業で頑張っているようですが!? ・・・面白くなければ、とっくの昔に消えていますが何が原因で続くのかといえば、企画+台本+彼のαだと思います。

  • sdaru
  • ベストアンサー率22% (94/409)
回答No.3

イグアナは売り物でしたね。 初めは随分キザッポイなと思いました。 トランペットも吹いたりしてました。何でタモリか初めは分からなくて考えました。本名森田和義、の森田をもじったのを後で知って少しがっかりしました。 こんな質問が来るとはタモリも年だなと、思い自分も年だなと思います。 イグアナをやる前は余り売れていなかったようです。 ビートたけし、さんま、タモリの3人をビッグスリーなど呼んでいましたが たけしは今では北野監督で世界でも通用する映画監督。 タモリの昼の笑っていいとも、何年続いているのでしょうか。

noname#1244
質問者

補足

そうですよね。 僕も笑っていいとも!がいつからやっているのか知りたいです! その時のゲストやコーナーとかテレフォンショッキングもずっと前からあったんでしょうか? 誰か教えて下さい!

  • kawakawa
  • ベストアンサー率41% (1452/3497)
回答No.2

面白いか面白くないかは受け手の感性の差によるところが多いと思いますが‥ 少なくとも私個人は一度も面白いと思ったことはないです。 形態模写もどき、変な外国語もどき‥ 大阪では素人でも掃いて捨てる程のレベルに思えました。 以上kawakawaでした

  • kenntya
  • ベストアンサー率29% (176/598)
回答No.1

デビュー当時は、片目に黒い眼帯を付け、一人4カ国麻雀やでたらめな外国語によるラジオ放送などの芸をやっていました。 又イグアナや各種動物の形態模写等もやっていました。 声帯模写も大橋巨泉さんをはじめ結構やっていましたよ。 形態模写はその遍歴が今でも時々みられるようです。