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国立大学でドラえもん研究?
過日ある新聞に、ドラえもんのアイテムが全部でいくつあるか、数え上げて発表した地方国立大学の記事が載っていました。 大学でドラえもん研究?国の税金で?ってちょっと思いました。 もちろん研究の中には、一見下らなく見えても大事なものがあるでしょうし、後になって価値が見出されることもあると思います。でも「小学生の夏休みの宿題じゃん、それって」。 ドラえもんが下らないとか、そういうことではなくて、税金の使い方としておかしくないですか?それとも何か別の理由があるのでしょうか。ご存知の方、別の意見をお持ちの方、賛成の方、ご意見うかがわせてください。
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漫画=日本文化、芸術という観点からすれば全く問題ないと思います。漫画研究自体を否定するなら、現代では全く必要のない古典の研究ほど不必要なものはないでしょう。←文化、歴史的側面から言えば無駄ではありませんが、ほとんどの現代人にとって古典は高校の3年間で少し触れる程度です。ですので、源氏物語の○○○段の~とかいう和歌は☆☆☆からの出典であってその背景には・・・なんていう研究の方が役に立たないでしょう。 ドラえもんは作品的に見てもすばらしいものがあると思います。まず作者が多くの未来の科学ビジョンを持っていたことです。これによって我々が様々な未来像を得ました。とある大学では、タケコプターは実現可能か?なんていう問題もでましたし。 また国民的な作品であることも大きいです。 まあ、大学の研究なんてのは小学生の夏休みの宿題の延長とも言えますし。それをいかに高いレベルに持っていけれるかどうかでしょう。
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>この国には、もうそんな余裕は無いと思っています ということで.統制したのが昭和10年代です。社会主義化が進んで国が破綻しました。 同様に.昭和30年代末.社会研究の統制が行われました。昭和40年代の始めの労働争議で資産家は労働者に勝ちました。しかし.関係企業は今は残っていません。むしろ.当時の資産家の行った犯罪的手法が係争で合法と判断されたが貯めに.同方法を使った犯罪的行為が蔓延しています。 イタイ大病の研究を中毒関係学会が一致団結してやめさせました。結果は.関係研究者が国際学会で罵倒され.挙句の果てに.「日本での疫学調査は意味がない」という評価までもらってしまいました。 学術研究の統制をすると.待っているのは.国際的敗北だけです。 >世界に広まっ たわけではないですよね。 ご指摘のとおりでもないです。 たとえば二本歴史学会が精力的に研究に取り組んでいる分野(な国の時代から日本は中国から独立していた)があります。自分たちの考えを世界に普及しようとしています。ただ.反対する学説が国際的には普及しています(日本は中国の一部)。 戦争直後.農家の作業を調べて.うまくいった方法を宣伝して.日本の食料供給を確保する動きがありました。現在は主力となったげんかいこうようせつです。当時の研究成果が世界に広がって後進国での食料供給を確保しています。米国種苗メーカーがかなり種を抑えていますが.その研究手法は日本から二次大戦のときにGHQ調査団が略奪したものです。 マンガは数少ない日本からの輸出産業であり.市場がどのようなことをしているか.研究しなければ.種の二の舞になることは目に見えています。日本の種がアメリカに盗まれたように.金のある人々に市場を奪われるだけです。
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再回答ありがとうございました。 皆さんのご意見、参考にさせていただきます。 ありがとうございました。
これは芸術論の内容でしょう。ドラえもんは漫画ですから.文芸の流れ(例.江戸時代の版木で大量生産された馬琴等の文字の分量と絵の分量はほぼ同じと思います)をくむものです。 当時の発行部数と今の漫画の発行部数を考えれば.十分研究対象になるでしょう。 というのは.日本のマンガは世界的に需要があります。輸出しなければならないのです。ですから.芸術論の一分野として研究しておかないと.産業が発達しません。企業での研究では.市場調査の範囲であり.必ず売れるものを見出す研究しかしません。すると.内容が同じようなものになってしまい.飽きられて市場が枯渇してしまうのです。 芸術論として.ある程度の研究が進めば.市場にたいする考え方もできてきますから.市場が広まります(例.ヨーロッパ音楽。辺境のド田舎で百姓(ヨーロッパが発達したのは中世以降)が歌っていた歌が発達し.日本も国策として明治時代に西洋音楽を模倣する人々を育成した)。 なお. ある虫に関する研究で世界で最も詳しいと言われた人は当時高校生でした。 知り合いの中学教師が「研究発表するから.***を見つけて来い」と全中学生2名にかした夏休みの宿題は.中学生の大会でかなりの成績を収めました。これを見ていた該当分校の教頭は.小学生まで範囲を広めで.先の教師が転勤後も分校全体で研究を続けました。現在では.最初に行った教師の名前が消えて.教頭の名前だけが書かれた公立博物館になっています。 >小学生の夏休みの宿題 が.気がついてみたら有数の研究になっていた例です。
お礼
Edogawaranpoさん、ありがとうございます。 文系学際系の場合、研究は基本的に「後付け」です。「辺境のド田舎で百姓が歌っていた歌を」大学が研究したから、世界に広まったわけではないですよね。 私の教授は「研究は遊びです」って言ってました。自由な環境、自由な発想から素晴らしい業績が生まれた例を、私もEdogawaranpoさんと同じように知っています。研究者にとって理想的な環境です。 教授は「研究はムダの寄せ集めだ」とも言っていました。自由な環境におかれた研究者の業績の大半が無意味でムダなものであることも知っています。研究者にとって理想的な環境です。 でも残念ながらこの国には、もうそんな余裕は無いと思っています。
- nidonen
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憲法第23条には「学問の自由は、これを保障する」とあります。 ですから、国立だろうが私立だろうが、ドラえもんを研究するのは まったくの自由であり、それはやはり保障されなければなりません。 「税金だから」という考えは、国立大学にのみ憲法上の例外を許容 するものであり、恣意的な憲法解釈を招く危険性をはらんでいます。 また、ドラえもんを含むアニメ業界に関しては、総務省や経産省が 助成を検討・実施しています。これに対し芸術分野の守旧派勢力には、 「アニメなんてけしからん」という声もあります。これも文化に優劣を つけ、既得権益を守ろうとする後ろ向きの考えだと感じます。
お礼
nidonenさん、ありがとうございます。御礼が遅くなってすいません。 文部省の科学研究費は年間1,500億円しかありません。これを600以上の大学・研究機関が分捕り合戦、というのが現実です。申請した研究の内容の優劣が決められ、研究費が取れないとコピー代も出ないわけです。 「学問の自由は保障する」仰るとおりだと思います。 「どんな研究でも予算を付けてやる」というのとは違いますよね。 ■アニメ業界に関しては、総務省や経産省が、、、 これに関しては、私は断固反対しています。アニメが世界に冠たる日本の文化になったのは、アニメは低俗なものであるとして、官僚・政治家・文化人がタッチしなかったからだと思っています。 やがて政治家はこう言い出します。 「文部省の予算で国立アニメ大学を作ろう。俺の地元に」。
- Kemi33
- ベストアンサー率58% (243/417)
実際のサイトを御覧になって,御自分で判断してみられては如何ですか? その先生が「ドラえもん学」について対談されたものがここにあります。 ・http://www.toyama-u.ac.jp/jp/Academic/research/special/002_yokoyama/ ドラえもん学を語る また,その中にも出ていますが,研究成果ともいえる「ドラえもん学コロキアム」のサイトはこちらです。 ・http://www.inf.toyama-u.ac.jp/doraemon/ ドラえもん学コロキアム 確かに「ドラえもん」を材料にはしていますが,これはこれで立派な研究だと思いますが・・・。
お礼
Kemi33さん、ありがとうございます。 このサイトはもちろんチェックしています。個人攻撃のつもりは無いので、あえて大学名などは出しませんでした。 ドラえもんには研究の価値が無いということではなく、税金使ってやることかなぁ?っていう疑問なんです。日本のアニメが世界を席巻したのは、お上(政治家や官僚、区的機関)が干渉しなかった(理解できなかった)からだと思っています。 御礼が遅くなってすいません。ありがとうございました。
- nobita60
- ベストアンサー率29% (193/644)
発想の転換を・・・。 ドラえもんのアイテムで実現可能なアイテムはあるのか。 竹コプターはどうかな? 頭上に一つの竹コプターでは人間そのものも回転する。その回転を阻止する動きはどうするか・・・。なんて考えるとしっかりした物理学ですよね。奇想天外な発想が科学を生むのです。 小学生とは異なったプロセスで結果を検証するから、必ず同じ次元ではないでしょう。 君も一つアイテムの中から実現可能なものを検証してみてはどうでしょう。楽しいよ。
お礼
nobita60さん、ありがとうございます。 仰ることはとてもよく解ります。ドラえもんというテキストに意味を見出すことがくだらないとは思っていません。問題はドラえもん研究のクオリティと、全体の中でのプライオリティだと思っています。 僕はドラえもん研究のクオリティを判断できませんが、大学はどこでも潤沢な研究予算がつくわけではなく、皆いろいろ苦労しています(僕も大学院時代とても苦労しました)。ドラえもんアイテム数えて給料研究費がもらえるのって、ヒガミ半分で言わせてもらえば「羨ましい」。 お名前拝見すると、ひょっとして不快に感じられたかもしれません。ありがとうございました。御礼が遅くなってごめんなさい。
お礼
balanbajp2さん、回答ありがとうございます。 僕の質問の仕方が悪かったようで、皆さんに誤解されたようです。 ドラえもんというテキストに研究価値が無い、といっているのではありません。「国策」として運営されている国立大学では、その研究が国にとってどのくらいの重要性を持つのか、そのプライオリティを考慮しなければならないのではないか、と思っているのです。 文化はもちろん大事です。過保護でない程度にバックアップすることも必要だと思います。マンガ・アニメ・ゲーム、落語・漫才、能狂言・歌舞伎、オーケストラ・劇団が無くなってもいいとは思いません。しかし文化の主役は民衆です。国家財政に余裕があれば、源氏物語でも滝沢馬琴でも、ヨーロッパ音楽でも、隣のオバさんの脇の臭いでも、国立研究機関で研究すればいいと思います。しかし資源も無い、国土も小さいこの国を、これまで支えて来た、或いはこれから支えていく分野に、もっと重点を置いて欲しいと思っているだけなのです。 >大学の研究なんてのは小学生の・・・ >それをいかに高いレベルに・・・ 同感です。 御礼が遅くなってすいません。ありがとうございました。