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ご祈祷や除霊などの相談ですが…

ご祈祷や除霊などの相談ですごく悩んでいます。 友人を通じてあるお寺を口コミで紹介してもらいました。 お寺といっても住職さんとかがいらっしゃるお寺ではないのですが、霊媒師みたいな方でいろいろ人生相談とかをされているところです。 そこのお寺にこの前、ある悩みで相談に行ってまいりました。そしていろいろご指導を受け、「私に因縁が付いている」という事をいわれてご祈祷したほうが今より良くなるとおっしゃられました。 そのとき友人2人と一緒に行きましたが、その友人は特にご祈祷など進められなかったと言うのです。 そしてご祈祷は約30万円くらいかかるけど、その因縁と一生付き合って行くのか、それともここで断ち切るのか?という選択で迫られております。 けして安くないご祈祷料ですが、そのお寺を鵜呑みに信じていいものでしょうか? そんな簡単に因縁って取り払えるものなのでしょうか? 余談ですが、私は以前に他のお寺でも「因縁が付いている」と言われいています。どちらのお寺でも同じことを言われています。 実家の両親に相談しても「そのお寺の信憑性がない」とか言われるのがオチだと思って相談をしていませんが、この相談で何も良いのでどなたかアドバイスをしてください。 相談する相手がいないのでぜひご意見を聞かせてください。

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回答No.8

まず、住職がいないというのは、おそらく極めて危ない寺だと思いますので、そのお寺はお止しになるのが正解です。 つづいて、「因縁」ということですが、因縁というのは、原因と間接的要因ということですので、それがなければ生きていけませんので、「切って」しまうと生きていけません。つまり、そのようなことはできません。都合の悪い因縁だけ切って、自分の都合で生きようとするということ自体が、無茶なことです。 さらに言うなら、因縁を切ったり繋げたりすることはできませんので、その祈祷自体ウソ!!!です。 さて、あなたのお悩みがどういうことなのか分かりませんが、一度、どうしてそのような悩みを持つにいたったかを、靜かに反省してみてください。その上で、自分が原因でなくそのような悩みを持つにいたっていると判断できたなら、自分でその原因を排除する努力をしてみてはいかがでしょう。 もし、それでもお悩みが解消されないようでしたら、いつでも私宛にメールしていただいて差し支えありません。祈祷料などは戴きませんのでご安心ください。ハハハハ。 それと、最後に‥‥あなたにはいつでもフォースが働いています。ドッシリと落ち着いて生きていってください。

lineheart
質問者

お礼

回答有難うございます。 >因縁を切ったり繋げたりすることはできませんので。 いったい誰の言っておられる事が本当なのか混乱してしまいます。 とにかくそこのお寺でのご祈祷は見送ります。

その他の回答 (7)

回答No.7

lineheartさんの悩みを存じあげないので、抽象的な言い方になってしまいますが、私が先に書いた方にみてもらったときは、足しげくそこに通ったりしなくても「心が安らかになるように、ほかの人の災いについて心を傷めていることについてそれがよい方向へ向かうように、どこにいても日々祈る」でいいんだと言っていただきました。 いろいろな宗教宗派などがありはしますが、結局、心をすくってくれるのはどんな入り口を通してであれ、祈るという行為なのかなと思います。 ここがよいと言われているところをあちこち奔走されているかもしれませんが、一度立ち止まって、祈りながら自分の心や周囲の状況を見つめてみてはいかがでしょうか。 祈祷する場所やお金ではないと思います。

lineheart
質問者

お礼

>一度立ち止まって、祈りながら自分の心や周囲の状況を見つめてみてはいかがでしょうか。 何度もメッセージ有難うございます。 しかしわたくしはすでに結婚して3年以上、お祈りをしてできる限りのことはすべてやっています。 けど何も変化が変わらない。迷ってしまうばかりです。 もう一度心からお祈りをしてみようと思います。

回答No.6

lineheartさん、はじめまして。 >けして安くないご祈祷料ですが、そのお寺を鵜呑みに信じていいものでしょうか? 信じてはいけません(^-^; 相談者に因縁(または○○の祟り)が付いていると言って不安感を煽る→祈祷、除霊、お払いなどをしなければ不幸が続く→それをするためには高額のお金がかかる・・・このパターンは典型的な霊感商法です。以前にも明覚寺グループの霊感商法詐欺が問題になったことがありましたが、霊感商法による被害は毎年数十億円にもなるのです。(しかもこれは実際に被害届けが出された分だけ) >そんな簡単に因縁って取り払えるものなのでしょうか? 因縁の「因」とは結果を生じさせる直接的原因のことで、「縁」とはそれを助ける外的な条件のことをいいます。 つまりあらゆるものは因縁に生滅するので「取り払う」ことなどできません。そもそも祈祷でどうにかなるとかそういう次元の話ではありませんし、「因縁が付いている(ある)」というのは『当たり前』のことを言っているに過ぎません。 しかし、そんな当たり前のことをわざわざ改まって言い、さらにそれを何か悪い意味があるかのように言うのは、『因縁』を金儲けのために悪用している外道だと言っていいでしょう。 また因縁・因果について、仏教に詳しい高橋直道氏は「(善因楽果、悪因苦果)は自業自得がたてまえである。つまり、自らまいた種は自ら刈らねばならない。ただし、善行の功徳だけは、その願いによって他者に回向(えこう)することができる。・・・悪行に関してはその果を他者に転化することは認められていない。つまり下世話で言う『親の因果が子に報い』ということは、親が子の幸福を願って善行を積む以外にはあり得ない」 と指摘しています。 『金を積まずに徳を積め』とは昔から言われていることで、今後こういったことで悩むことがあったら、(他のことは忘れちゃったとしても)この言葉は思い出すと良いと思います。

lineheart
質問者

お礼

お返事有難うございました。 ご意見 参考にさせて頂きます。 『金を積まずに徳を積め』ありがたいお言葉です。   有難うございました。

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.5

追記  弘法大師(空海)は「祈り」とは、仏が衆生を救済しようとする力と、それを受け止めようとする衆生の力が一体となるこという風に言われています。それは水面に月が映っている姿で表現します。月(仏)はだれに対しても分け隔て無く照らし続けるが、水面(衆生)が波立っている限りはきれいに月は映らない。鏡のように平穏になったとき、月も水面も一体となって映し出される。そこには月も水面も絶対平等の関係となる。  また寛文9年(1669)刊行の『和論語』に記載される伝教大師(最澄)作と伝わる歌に  末の世は 祈り求むる そのことの 験(しるし)なきこそ 験なりけり とあります。誠の心のない者がご都合主義のように神仏に祈ろうとも利益はない。利益がないのは神仏に通じるだけの心が無い証拠である。そう気付かせてくれることこそ本当の利益であるという意味です。  日本では伝統的に身に降りかかる災いは、自らがあるいは共同体が犯した(犯したであろう)罪が原因である。その罪をまずは見つめ直すこと。祈る前に神道では罪・科・穢れを祓う「大祓詞」が称えられ、仏教では仏の前で罪を償う懺悔(さんげ)の儀式が行われますが、これらかも前記のような考えが元に儀礼化したものです。民衆の間では善行をなす、つまり病人・貧者に施し、造路・架橋を行い、その間にある迫害や困難に耐えるのも「贖罪」のためです。そしてそれは「良いことをしてやっている」「これだけの良いことをしているのになぜこんな目に…」「私だけ悪い目に遭うのは○○のせいだ」などという普段意識せぬ傲慢な、そして愚かな考え(仏教では「愚痴」といいます)を気付かせ、反省を促します。口先だけの反省ではないのです。自らの汗で祓い清めるのです。(誤解無きように言うと、法律的な罪では有りません。人が生きていく上で“犯さないと生きていけない罪<殺生・偸盗・邪淫・妄語など>”ということですよ)  釈尊は「過去は過ぎたものであり、未来はまだ来ぬものである。まずは現在を見つめよ」と言われます。釈尊にまだまだ及ばぬ我々であれば、今現在、本当に神明・仏陀や父母・国王・衆生に恥じぬ生き方をしているかをまずは見つめなければいけません。祈祷師は本来、神仏と人とをつなげるために、相談者をそのような心へと導く存在です。そのように導くこともできない、祈りのプロとしてのテクニックもない祈祷師に30万円を迷いなら支払うぐらいなら、「贖罪」の実践として、スマトラ沖地震や新潟地震、また地域社会においても行うべきことはあるでしょう。はっきりいいますが、現在のような心のままでいくら「除霊のための祈祷」をしたところで、新たなる「災いの原因」を「自分の外」に作りだし、いたちごっこになるだけです。

lineheart
質問者

お礼

本当にたくさんのご指導有難うございました。 難しい事もかかれていて、正直に言って全てを理解する事ができませんでしたが、ここまでアドバイスをして頂けるのであれば、そうとうの修行をされてきた方なのでしょうか? 私がそのお寺で相談した内容をyuhkohさんにご相談できるような場所(ホームページなど)がありますか?出来るのであれば教えていただけますか?

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.4

 しかし、「へたくそ」な祈祷師ですね。よっぽど自分の法力に自信がないからか知りませんが、相談者に対して安心感を与えることができない。だから「どうせ一見さんだから多く取ってやれ」という魂胆がみえみえですよ。上手な祈祷師なら確実に信者を得られるので、「少額なお供え」を「回数多く」それも、相手から自主的に納められたものを受け取るので、“良心的”という評判を得られますからね(笑)  国家や村落共同体の「災い」を祓う装置として祈祷師・占い師などがいた時代であれば、そのように共同体の安定を与えることのできない者、つまり“その祈りによって災いが防げたと納得させることのできる、あるいは災いが起きたとしても、最小限に食い止めたと納得させられるだけのテクニック”の無い者は、責任を取らされて共同体からの追放なり、社会的地位の剥奪が有ったので、ご相談のような「へたくそな祈祷師」は淘汰されたでしょう。しかし国家・共同体が“災いは祈祷だけでは解決できない”という風に理解されるにつれ祈祷師に対する責任も薄れ、以前は国家・共同体に及ぼす“大きな災い”を祓っていたのが、家族・個人という“小さな災い”にかかわる。それと同時に責任のない祈祷師が粗製濫造される。  私は祈祷師などの存在自体を排斥するつもりは毛頭ありません。しかし相談者に安心を与えることのできない、テクニックのない者がいやしくも「祈祷師」と名乗るなと思っています。

回答No.3

失礼ですが、私もビジネスの臭いを感じてしまいました。 私が唯一信用している方は、「ただ祈るだけでいい」とおっしゃっていましたよ。 その土地の人なら皆知っている方で、信奉者がお寺を建てて、そこで苦しんでいる人にお祈りやお告げをしてくれるのですが、高齢になっても年に何回かの修行は欠かさないし、ほんとうに身を削ってやっているという感じの方です。(だから皆にすごく大切にされていらっしゃいます) 一応、5000円という目安はあるものの、お金がない人からはとらないし、逆にお金のある方は自らたくさんお礼をしているらしいです。 お祓いは最寄りの神社(氏子になっているところ)、もしくはお近くの厄よけ大社などで十分ではないでしょうか。

lineheart
質問者

お礼

アドバイス有難うございました。 mina_minaが「唯一信用している方」とはどの様な方ですか? その方は「ただ祈るだけでいい」とおっしゃてますが、他に私が出来ること、しなければならない事は無いのでしょうか? 大変失礼かとは思いますが私の様な者の相談も聞いては頂けるのでしょうか? 可能なら教えて頂きたいと思います。

回答No.2

まず自分の住んでいる、氏神(神社)へ祈祷の話をしに行ってみてください。そこで祈祷してもらうか、他のところを紹介してもらうかされたほうが信用性から見るとベターかも、¥30万と言われたところが本当に価値あるところか、人の弱みに付け込んだところかわかりませんが、こういう落ち込んだときほど慎重に行動を起こしてください。私も今信じられないような出来事が次々の起こり、ありえないことがこれだけ起こるということは、宝くじ10枚買ってすべて1等という反対の現象も起こると信じられます。 まず地元の神社へ相談してみてください。あまったお金で宝くじでも買って運試し厄が払えたか試してみてください。

lineheart
質問者

お礼

お返事有難うございました。 ご意見 参考にさせて頂きます。 早速、近くの神社かお寺〔友人の紹介〕に行ってみようかと思います。

回答No.1

> けして安くないご祈祷料ですが、そのお寺を鵜呑みに信じていいものでしょうか? 相談者さんが感じた第一印象を大切にするのがいいと思います。 因縁って言葉は悪く感じられますが、良しにつけ悪しにつけそれってつまり「ご縁」のことですよね。人は誰でもたった一人で人に迷惑をかけずに生きていくことはできないものだと思います。私はお寺で見てもらったわけではないですが、きっと因縁はついていると思います。 なにか問題を抱えていらっしゃるのだと思うのですが、それは本当に霊的なものなのでしょうか。これから先都合の悪いことすべてそんなふうに考えて生きていかれるおつもりでしょうか。 お払いをして気分的にラクになる効果があるとすれば、お近くの神社で5000円ほどでお払いをしてもらうといいと思いますよ。30万円払うのと同じ効果があると思います。 ほんとにあった怖い話(朝日ソノラマ)という雑誌上で心霊質問箱というのがあります。運がよければ(本当に霊的なもので放って置けない場合)取り上げて貰えると思います。ほかの方の質問も読まれてみてください。

参考URL:
http://www.asahisonorama.co.jp/hp/kowai.html
lineheart
質問者

お礼

お返事有難うございました。 ご意見参考にさせて頂きます。 しかし、1つだけ誤解の無いようにもうしますが、私は「都合の悪い事」の為にご祈祷を考えていた訳ではありません。 ですので、霊的なもの・・・と言うのも違うようなきがします。 しかし、おっしゃる事は御もっともだと思います。

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