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科学的に見た「死後の世界」は…?
科学的に考えた場合、 私たち人間が「死んだ後(脳死も含む)」には、どうなるのでしょうか? (「信仰」による考えは、今回はなしにさせて下さい。m(_ _)m ) 私自身は、今のところ 「無になる」というのが最も正しそうな気がしています。 (→科学的に証明されてはいないと思いますが…) 宗教等で考えられている「死後の世界」というのは、 あくまでも精神的な「安らぎ」を与えるために考え出された理論であって、 そこに科学的な正当性を見出すのは難しいように感じています。 (もちろん、死んだら「無」になるのであれば、生きている間に考えることが「全て」なワケで、 そこでどう考えようと、個人の自由ということは強く感じるのですが…) ※なお、この質問での「死」とは、「人間の死」に限定させてください。 科学的な御意見をいただけるとありがたいです。 よろしくお願い致します。
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シンクロニシティーと言って、人間の思考が 遠く離れた別の人に、何の因果もなく伝わる ことがあるという可能性が指摘されていて、 物理学的のはウォルフガング・パウリと いう物理学者が研究を始めたことで 有名です。 人間の思考は、現在はっきりしている ところでは神経の電気パルスの集合体 で、脳波として電極で測定できますし、 微弱な電磁波として体外に放射され ています。 これを測定するためのスクイッドと いう測定器もあります。 電磁波はその振動空間の次元の 問題や、位相の問題など疑問が 残る点があり、現在分っていない 方法で遠方へ伝播する可能性も 考えられます。 人間が死ぬと、体は分解して 行くだけだと思いますが、 その思考は遠く離れた別の人、 あるいは何か別の存在に 伝わって存在し続ける ことがあるのではないかと 思います。 誰々の生まれ変わりなどと 言われるような人が時々 いるのは、こんな理由では ないかと思います。 また思考が特定の人に全て移る ことがまれでも、分散して 複数の人に伝わって存在 し続けることはよくあるのでは ないかと思います。
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- Syo-ya
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再度の11ですm(_ _)m また、思いついたんですが・・・例えば 「へそを切り出してください」と言われた場合、どこから切り出すか? ですよね。 よく考えてみると、へその明確な定義って出来ません。 「皮膚だけを切り出すのか?」 「内側も切り出すのか?」 「どの程度・・?」 何処から何処までがへそなのかを知る人はおそらくいないでしょう。 でも「へそ」は確実に存在してます。 これと同じで「私」を水、食物、酸素・・・から切り離すことは出来ません。 他にも、太陽と地球の距離が縮まって地球が熱くなっても、私達は死んでしまいます。 と、いうことは、太陽と地球の距離も「私」から切り離すことは出来ません。 また、他の惑星が地球に衝突しないから生きていられるという不可知な縁もあります。 そうやって、あらゆるものが絶妙に関わり合っている一連の流れの中に我々は居るんです。 逆に「私」が実体であれば、これらの関わりから離れて、自力で存在できるはずです。 でも、実際には「私」も「へそ」と同様に「ここからここまでが私だ」という明確な定義が無いんです。 「私」は「へそ」同様に、一連の関わり合いから切り離しては存在出来ないんです。 と、いうことは「死」もまた、一連の関わり合いの中で起こっている現象にすぎないのですから、 死んでからも何処にも行かないのではないでしょうか? むしろ「生きている」という実感のほうをあやしむべきです。 「自己主張するへそ」こそが問題なのかも知れません。。。 (自分でも、書いててワケわかンないですが・・・@@;
お礼
>「自己主張するへそ」 う~ん、どこかの哲学の本で、出てきそうなフレーズですね(^^) ちょっと違うかも知れませんが、 私は「生かされている」とは、そういうことなのかな? と、思いました。 私たちは、 「自分自身の力で生きている」とも言えるけれど、 見方を変えると、 「自分以外の、ものすごくたくさんのものによって、 『生かされている』に過ぎない」と。 視点を変えると世界が変わる…、ということをあらためて実感できました。 ありがとうございました。
- tk-kubota
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>>その状態がなくなり、その者の記憶も消滅することだと思います。 >なるほど、となると「パソコンの初期化」みたいな感じでしょうか。 違います。初期化はシステムのROMが機能しているので、私達の「寝起き」と同じで、PCなら破壊し焼却と思います。
お礼
的確な御指摘、ありがとうございます。 言われてみれば、そうですよね。 なんとなく、「脳」という「物体そのもの」は残るので、 初期化に近いのかな?と、思ったのですが…。 さすがに脳は、再利用できませんよね…。
科学という制約をつけられると、無になるというのが、それが真実かどうかは確かめようのないものの、現在答えられる回答なのではないかと思います。 似たことを考えている人もあって、もう他の人の回答にヒントがたくさんあるので、私は別の方面から書きます。 人間の意識は、どこにあるかという問題になります。今の医学では脳ですよね。 ロマンチシズムみたいなことを言いますが、そういう根性論として(あなたも感動しなさいよー!みたいな意味ではないですよ^^)書くわけではないです。 花には脳がありません。したがって、花には意識も心もありません。その理屈で言うと、大脳のある部分に問題がある人にも、意識はありません。最低限の生命維持の力だけはお持ちであるものの、意識をつくる部分に大きな障害があり、寝ている人もおられます。 しかし、花に心があると信じて話しかける人があります。脳に重度の障害を持っていて、意識がない状態の我が子に話しかける人があります。 不思議なことに、耳が聞こえない、意識がないはずの我が子が笑ったように感じ始め、明らかに手を握り返すこともあります。単なる条件反射であり、親御さんの意志を否定はしないが、親御さんの期待しているような意味はないと医学の方では言うのかもしれません。そうかもしれません。私は分かりません。しかし、あきらかに意識を取り戻して、遊ぶというような「奇跡」もまれにあるということです。これも科学的には、何らかの変化が脳に起き、奇跡を起こしていると言うのかもしれません。 これは、全部、受け取り方の問題で説明がつくのか、つまりこの例では、親御さんの受け取り方で説明がつくのか、分かりません。 脳のない花にさえ、心が通じることがあるのかもしれないとも思います。ましてや人には通じるのかもしれないとも思います。ただ、それは科学では証明できないと思います。一部の「科学者」と称する人は、波動がどうのとか、いろいろ言いますが、あれはただの科学もどきでしかないので、証明はできないと思います。 というわけで、ご希望の科学的な意見としては、「無となるでしょう」で、もしかすると証明は出来ないだろうけども、そこから漏れ出るものもあるかもしれないという希望的感想を述べてみました。
お礼
確かに「意識」は、 「脳の中の、特定の部分」が創り出しているものですよね(現代科学では)。 でも、それ以外にも「意識」に関連している「何か」があるのかも知れない…。 となると、そのあたりの解明がポイントになってくるかも知れない、ということですね。 ふと思ったのですが、 現在の科学って、地球上の物事(事象)を、 どの程度解明できているのでしょう? 100%中の、30%とか、もしかしたら、それ以下…? うーむ。とりあえず、先は長~~いことだけは、確かな気がします(^^;) 御意見、とても参考になりました。 ありがとうございました。
- Syo-ya
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お返事ありがとうございます。再度の10です。 こういう話題は好きなんで、再度の登場です。 >>「自分自身が存在しない」というのは、にわかに信じ難いというか、イメージしづらいです。 本当にそうですよね。 で、例えば、「樹」ですが、これは太陽の光、気温、土壌、水分・・・から出来ていますよね。 元々「樹」の種子に在ったのは、樹になる可能性だけであって、実際は樹以外のもので樹になっています。 同じ理屈で「日本」という国も、日本という実体があるのではなく、いろいろなものの総称にすぎません。日本中探しても、「日本」という実体はありません。 「顔」というのも、顔という実体があるわけではなく、いろいろなパーツの寄り集まりの総称です。 で、そのパーツの例えば、「鼻」も、鼻毛や皮膚の細胞の寄り集まりであって、鼻という実体があるわけではなく、単なる総称にしかすぎません。 「私」というのも同じで、「私」という実体があるわけではないんです 人間(脳)がものごとを認知するときの特性だと想うんですが、総称(仮称)で、ものごとを区別しますから、あたかもそれに実体があるように錯覚してしまうんですが、実際は、全てのものは繋がっていて、寄り集まって構成されていますので、自力で、単独で存在している「実体」なるものなど、何一つもないんです。 例えば、私達だってオゾン層が破壊されれば死にますから、オゾン層が「私」ともいえるんです。 ですから、本当に、死んでから「無」になるのではなく、 今現在だって、「無」なのかも知れませよ??(^^
お礼
再度の御回答、ありがとうございます。 えっと、私の理解できた範囲のことを、書かせていただくと、 単独の要素としての「私」という「実体」は、 実は存在していなくて、 「私」というのは、実は今現在も「無」である可能性もあるのだ、 というところでしょうか。 なるほど…「実体のないもの」に、 勝手に定義をつけて「私」と言っているだけ、 という考え方もありますよね。 …間違ってたら、すみません。(^^;)
- Syo-ya
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もしかしたら将来、量子の世界が生命の謎解きをしてくれると期待しています。 で、この宇宙はおよそ111個の原子で出来ていていますので、我々の世界とは原子の集まりの濃い部分と、薄い部分で成り立っていますが、例えば、水素原子の「原子核」をパチンコ玉くらいの大きさにまで引き伸ばすと、その周囲を周る「電子」は1km離れたところをクルクル周るゴルフボールになるんだということです。 つまり、この原子核と電子の間は、他の原子が入ることは出来ませんので、そのほとんどは「真空」ということになります。99%真空だそうです。 ある著名な外科医の本に書いてあったんですが、人体も切ってみると、隙間だらけだというんです。もし、その隙間に酸素があればレントゲンで写るそうなんですが、何も写らないということです。その外科医は人体内の空間は生命の「場」のようなものではないかと言ってましたが、そうかも知れませんね。 ・・と、こういう風に考えると、生と死の境って、いったいなんだろう?と思わずにはいられなくなります。 生も死も、真空、元々「無」なのではないでしょうか? 死んでから「無」になるのではなく、今現在だって、「無」なのかも知れません。 仏教では「空」と言いますよね。 般若心経の「一切皆空」です。 生まれることも死ぬことも、綺麗も汚いも、増えるも減るもない。 不生不滅。不垢不浄。不増不減。です。 物質的な存在とは「場」のようなもの。 内在するのは「気」のようなものかも知れません。 例えば、部屋の中の空気だって湿度を含んだものと、乾燥したものとでは存在する場所が違います。部屋の中で湿度計を使ってみると判りますが、場所によって若干に違いがあります。 我々の「気」も、こんな風に違うのかも知れません。 そして、生きている間に「善い気」になることが求められているのかも知れませんし、逆に、自ら「善い気」になる為に生まれてきたのかも知れません。 ・・・まあ、これは私の空想なんですが、柳沢桂子さんという科学者のかたが、ご自身の不治といわれた難病との闘いの中で、科学者として死を見据えた本を何冊か出しておられますので、興味があったら図書館へどうぞ。
お礼
御意見、ありがとうございます。 >生も死も、真空、元々「無」なのではないでしょうか? う~ん、む、難しいですねぇ(^^;) 「自分自身が存在しない」というのは、にわかに信じ難いというか、イメージしづらいです。 ただ、「本当の真実」というのは、 私なんかに理解できるレベルの話ではないのかも知れないなぁ…とも思いました。
- tk-kubota
- ベストアンサー率46% (2277/4892)
この問題を解決するにはNO5さんの云うように「生きているとは何か」を考えないとならないと思います。 その答えは、外部的には「その状態」であって、内部的には「記憶」にすぎないと思います。 従って「死後の世界」は、その状態がなくなり、その者の記憶も消滅することだと思います。 coffeefreakさんも生まれる前に戻ることと思います。
お礼
>その状態がなくなり、その者の記憶も消滅することだと思います。 なるほど、となると「パソコンの初期化」みたいな感じでしょうか。 「脳」であるCPUやメモリなどは「モノ」としてはなくならないけれど、 「思考・心」を形成している、内部に記憶されていた電気的な情報は消去される、という感じで…。 こう考えるとすごくロジカルな感じがしますね。。 御意見、ありがとうございました。
- nejirigasi
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科学とは関係ないのですが、 個人としてはやはり「無」になるけれど、 分散させた形で血の中に生き続けるのではないでしょうか? だから生物はリスクを負ってまで子を残すのだと思います。
お礼
遺伝子をのこす、ということですね。 うーむ、遺伝子を受け継ぐことで、 自分の子供にも、自分の頭の中にある思想・思いは 引き継がれていくのでしょうか? 御意見、ありがとうございました。
- poor_Quark
- ベストアンサー率56% (1020/1799)
>「死んだ後(脳死も含む)」には、どうなるのでしょうか? 火葬にせよ土葬にせよ遺体のほとんどは水と二酸化炭素になるものと思います。その後はその一部が再び生命現象を担うことになるでしょう。 http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1008774 さらに生体としての人間の体を構成する物質は少しずつですが常に入れ替わっています。一説によると11年もするとすっかり入れ替わってしまうそうで、死んだときたまたま「自分」を構成していた物質群にこだわるのも無意味なのかもしれません。 >科学的な御意見をいただけるとありがたいです。 自我意識が存在しない状態を自我意識が理解することは、いかな科学や哲学、宗教の力をもってしても不可能ではないかと思います。ただ死んでしまえば本人の意識が無に帰すのは間違いありません。遺族のケアのために宗教はさまざまな死後のストーリーを伝えますが、それで生きている人間の孤独や悲しみが救われるなら存在価値は認めたいと思います。 実は私の母は長く患ったあげく私の腕の中で先の11日に亡くなりました。それからほとんど寝ないで一生懸命このことを考えていました。いくら考えてもしかたがない、ほんとのことは誰にもわからない、というのが実際でしょう。自分が死んだとき、ああそういうことだったのか、とわかることでもないような気もします。 でも私は心のケアの問題を別にして、あえて「霊」の存在を信じたいと思います。ただしそれは、テレビでいうような露骨でまがまがしいものではなく、生きていることの悲哀と一体となった、ほのかに暖かく同時にとても悲しい存在であり、懸命で前向きに生きよと常に諭し、心の中でともにあることで生きる力になってくれる、そのようなありがたい存在になってくれればいいと願っています。とても、まだそういう境地には到達できませんが。 めずらしく「経験者」にチェックさせてください。
お礼
実体験からの御意見、とても参考になります。 そうですよね、霊の存在も、マイナスなものではなく、 私たちにとってプラスになるものであれば、 それを信じて生きるのは、きっと良いことなのだろうな、と思います。 私も父を亡くしておりますが、 なんとなく父の「全て」がなくなったようには、感じられないです。 どこかに父がいるような、そんな気持ちになれたとき、 不思議としあわせな気持ちになります。 …っと、お話が脱線してしまいましたね。 とても貴重な御意見、ありがとうございました
- ganzou
- ベストアンサー率29% (25/85)
科学的に死を証明するためにはまず、「生きているとは何か」を証明しなければなりません。 「意識」というものは物質の状態そのものなのでしょうか?それとも物質の状態とは関係のないものなのでしょうか? 物質の状態そのものなら、理論上は人工知能というものは存在することになります。そうでないなら、人工知能というものは存在しないことになります(もうちょっと細かく議論しなければなりませんがだいたいということで。) これは科学では解明されていません。 ということは死んだらどうなるかということもわかりません。「意識は物質の状態そのものである」ならば脳が物質的に機能しなくなった時点で無になると思われるし、そうでないなら脳がなくなっても意識は何らかの形で残るのかもしれません。
お礼
>「意識」というものは物質の状態そのものなのでしょうか? うーん…。私自身は、 「物質の状態そのもの」によって形成されているもの(=意識、思い)、 であると考えています。 物質以外の何モノか、の存在を肯定したときに初めて、 「無になる」以外の結論が出てくるのかも知れないのですね…。 御意見、大変参考になりました。ありがとうございました。
- adaypajimy
- ベストアンサー率20% (201/964)
科学的に、人は死ぬと土になる。(体を構成する物質分解されて…) 生きている間に何を考えようが自由であり、モラルの問題だと思います。 人間の魂がどうなるとか、そういうことはない。人間も動物も同じです。
お礼
御意見ありがとうございます。 私も魂というのは、なかなか信じられないです。 ということはやはり、自分の「思い」や「思考」も全て消えてなくなる、 という考えで良いものでしょうか…?
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お礼
具体的な事例を御紹介いただき、ありがとうございます。 「思い」や「思考」が、空間を越えて伝播していく可能性が指摘されている、ということに、 とても驚きました。 私自身、ちょっと閉鎖的な思考をしていたのかも…と、すこし反省しました。 とても参考になる御意見、ありがとうございました。