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ボケ老人の存在価値
非難轟々を覚悟で質問します。 全身に回ったガンで手術は不可能、抗癌治療を受けている祖父(86)がいます。 毎日仕事で遅くまで働いて、たまの休日は朝から夜まで病院でボケきった祖父の付き添いを余儀無くされており、心身ともに疲弊したせいか最近、もう祖父は死んだ方がいいと考えてしまうときがあります。 痴呆がひどく、点滴だけで生きている状態なのにそれを引きちぎろうとするので、付き添いの間は自分がトイレにさえ行けずもちろん食事も出来ず、苦しいです。祖父は歩けますが転倒することもあるし点滴がつながっているので側について点滴を押し、祖父を支えながら散歩させます。どこへ行くと聞いても「わからん」と答えるのに徘徊したがります。 トイレはほとんど出来なくなりおむつです。 私などよりもっと大変なのは平日毎日付き添ってる祖母です。 (病院側は面倒見切れない、ご家族がしっかりるいていてくれないと、ってかんじです。) 祖父は孫の私も、自分の娘(私の母)も妻(祖母)もわからない状態です。 昔のことで、点滴がなかったら、とっくに死んでいたでしょう。 ガンがもし治っても、進行し続ける痴呆を抱えたボケ老人として周囲に迷惑をかけるだけの人生になんの意味があるのでしょう? なぜこのような状態の、思考力も「生きたい」という意志もない状態の人を生かし続ける必要があるのでしょう? 昨日、点滴の管を何度いっても抜こうとする祖父をきつく叱責してしまい、そんな自分を恥じ泣きながら帰りました。 そして私は若死にしたいと痛感しています。ボケたときに世話をしてくれる子供もいないことですし。
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pandagomenさん、はじめまして。 > 昨日、点滴の管を何度いっても抜こうとする祖父をきつく叱責してしまい、そんな自分を恥じ泣きながら帰りました。 優しく宥める言い方もできるのに、なぜキツイ言い方をしてしまうのかと、自分がイヤになってしまい、自己嫌悪に陥ってしまうんですよね。 毎日大変なことと思います。 私は、pandagomenさんは十分すぎるほどのことをされていると思います。 もっと自分を許してあげてもいいと思いますよ。 介護のつらさは、介護をした人間にしか分かりません。 同じ傷を受けても「痛み」の受け取り方が様々であるように、一緒に「介護」をしていても、受け取り方は様々だと思います。 ましてやネット上に書き込まれたお話だけで申し上げるのは、おこがましい限りですが、同じく「介護」を経験した身として「ご苦労をお察しします。」と申し上げさせていただきます。 誰にもpandagomenさんを非難する権利なんてありません。 私の場合は、母(ガンで闘病1年弱、2001年に他界)と祖母(母のガンが分かる1年前から痴呆、寝たきりに。2003年他界)の2人を父と2人で看なければならない時期がありました。 母はガンが見つかったときには手遅れで、家族には余命宣告がされており、「期限付きの努力」だったので、いくらでも優しくなれました。 > 毎日仕事で遅くまで働いて、たまの休日は朝から夜まで病院でボケきった祖父の付き添いを余儀無くされており、心身ともに疲弊したせいか最近、もう祖父は死んだ方がいいと考えてしまうときがあります。 この16日に祖母の一周忌を迎えますが、私も祖母に対してそうでした。 母は62才で亡くなりましたが、祖母は「99才まで生きました」。 骨粗しょう症による骨折のため寝たきりではありましたが、痴呆以外はこれといって悪いところもなく、「この苦労」がいつまで続くのだろうか-と考えた時、 > 思考力も「生きたい」という意志もない状態の人を生かし続ける必要があるのか と思いました。 ただ、生前どれだけ尽くしたつもりでも、亡くなった瞬間に「なぜ、もっと世話をしてあげなかったんだろう。なぜ、もっと優しくしてあげなかったんだろう。」と感じたことだけ、送った人間の経験としての感想を申し上げさせていただきます。
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こんばんは。 私はまだ身内の介護の経験はありません。仕事で介護をしていたことがあります。 実際の経験はありませんが、pandagomenさんの「死んだ方がいい」と言う 気持ちは分かります。私の祖父は孫にも意味もなく怒鳴りちらし、優しい言葉 などかけてもらったこともありませんでした。お小遣いももらったこともないです。 酒癖が悪く、そこらじゅうで借金を作っては自分の子供に払わせていました。 そんな祖父が大嫌いでいないほうがいいと何度も思いました。それが私が 子供の頃、借金苦で大量の借金を残して自殺しました。ほっとしました。 もし自殺せず今も生きていたらと思うと本当に恐ろしいんです。 死んでくれたことが唯一私達に残してくれたプレゼントだと思ってます。 介護の仕事をしていた私がよくこんな酷い事を考えるなと自分でも思いますが 仕事の時だけ他人のお年寄りへ介護するのと身内で迷惑ばかり掛けられた人への 終わりの見えない介護をするのでは違うと思います。 それと仕事をしていて痴呆の強い方を見ているともしこの人が自分の身内 だったらと考えるととても介護は出来ないと思っていました。 私は転院をされたほうが良いと思います。今の病院ではおばあさんも pandagomenさんも身体的にも肉体的にも大変だと思います。とりあえず今の病院に 現状を相談して付き添いが必要ない方法や他の病院を聞いてはいかがでしょうか。 何も知識がない人が自分で1から調べるのはすごく大変だと思いますし。 まずおじいさんに担当している看護師に相談してみてはどうでしょう。 また、ボケていても特別養護老人ホームは入れます。痴呆の状態によっては 駄目と判断する施設もあるかもしれませんが・・・。あと、病気の治療が常に必要だったり点滴が必要だと老人ホームでは看護師の場では なくて介護の場なので入れないかったり、拒否される場合があります。 しかし治療を受けながら老人介護施設に入れる可能性はあります。 例えば病院と同じ経営の施設で隣り合わせだったりすると治療も介護も両方行える ので入れる可能性もあります。 一人で悩んでしまうとどこまでも暗い闇の中になってしまいます。また 私のような未経験の人がアドバイスしても問題は改善されないと思います。 私は専門家に相談するのが一番良いのではないかと思います。
お礼
書きづらい事を書いてくださってありがとうございました。。 hot_mama様のお祖父様のように、死ぬ事でしか周りに報えない人っているんですよね。。悲しいことですけど。。。 >例えば病院と同じ経営の施設で隣り合わせだったりする そういう施設を探してみます。今の問題も含めて病院側にも聞いてみたいです。 まだ、「辛い辛い」と言ってるだけで何も行動をしていなかったのです。 ここに書き込んだおかげで、一から考えて、改善していくという一番当たり前のことに気がつくことができました。 アドバイス、ありがとうございました。
- syakunage
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#9です。又お邪魔します。 義父の時は(歩けませんでしたが、点滴を引き抜き、大声で叫んで寝させませんでした。) 病院で専用のベルト(腕に食い込まない)で、ベッドに縛られました。 24時間縛っては、人権などに関係するので、「家族がいる時は」、などと言って、外して行かれます。 その間、家族が見る事になり、長引いて疲れてくると、「縛ったままにしておいてくれた方が」と思いました。 「トイレや洗濯に行く間だけ、縛っておきたいのですが」と聞いて見られてはどうでしょう。 ろくに寝ずに叫んでいて1睡もさせないので、こちらはへとへとでした。 睡眠薬は、始めの頃飲ませられましたが、興奮しているので効果がなく、ある程度病状が進んでくると、心臓に負担を掛けてはいけないと、飲ませられませんでした。 貴方のおじいさんにも睡眠薬は、同じ理由で無理だろうと思います。 寝るような強い薬は、体に悪いと言うことになると思います。 介護者の人権はどうなるの?と聞きたいところですが、病人として入院するまでは、考慮などされません。 #8さんも、厳しい経験をしていらっしゃるのですね。 自分が経験してみて「こんな大変なことはとても自分の子に期待できない」と思っています。 それが分かっただけ、経験のない方より良かったと言えるかもしれませんね。
お礼
ベルトは病院の方針でやらないんです。でもやらなくていいと思っています、今の所は。 まだそれほど介護疲れしていないせいかもしれませんね。 睡眠薬に関しては、「口に出して言う」つもりは今の所ありません。。。。 >それが分かっただけ、経験のない方より良かったと言えるかもしれませんね。 そう思う事にします。きっと本当に、「経験値」がアップしてるような気がします。 syakunageさまも、みなさまも、大変な時を乗り越えられて、きっとますます素敵な大人になっておられるんだと思います! 本当にここに書いて良かった。 私も頑張ります。ありがとうございました。
#8のode_an_dieです。 お礼のお言葉と#9の方のご回答を拝見して、再び来てしまいました。 > 父のときは痛感しましたね。してあげれることが、してあげたたかったことは、数え切れないくらいありました。それからもずっと、何かあるたびに「父にも見せたかった」「父と来たかった」といつまでたっても思います。後悔してもしたりません。 私が母に対して思っていることと全く同じなので、思わず涙が出てしまいました…。 いろんな方(特に介護の経験がない人や両親が健在な人)に「介護、介護って言っても今の一時だけ。どうせ年寄りから順番に死ぬんだから。」と言われて、何度言葉を飲み込んだか分かりません。 完全看護の病院の件については、#9さんがおっしゃるとおりです。 祖母が入院し、息を引き取った病院がそうでした。 父と私で、1日3食、食事を食べさせるために病院へ通っていました。 父も私も行くことができない場合もあり、その時の摂食記録は、明らかにウソとわかる内容が記入されていたのです(しかも、面倒だと言って、白飯に粉薬を食べさせているヘルパーもいたのです)。 そして、今は、要介護4の伯母(父の姉)を、デイサービス等を利用しながら在宅介護しています。 幸い、伯母は痴呆ではありませんから、「言いたいことを言い合いながら」介護していますので、ある意味では楽です。 痴呆の人を相手にしていると、どうしても一方的になってしまう部分があるので、それがストレスになってしまうんですよね。 再び#9さんのご回答を引かせていただきますが、 > 言っても差し支えない人に心の内をさらけ出して、気を楽にして続けてください。 私も、常々、ある程度の年齢で死にたいと思っています。 私もボケたときに世話をしてくれる子供もいないので(病気のため、今後も産める可能性がありませんし)。 でも、伯母と父を自分が看取ってから-と欲張りなことを思っていますけれど。 回答にも、アドバイスにもなっておらず、申し訳ありません。
お礼
再登場ありがとうございました。 同じような経験をしている方がおられるということ、励みになります。。自分だけじゃないって思う事は大事ですよね。 >いろんな方(特に介護の経験がない人や両親が健在な人)に「介護、介護って言っても今の一時だけ。どうせ年寄りから順番に死ぬんだから。」と言われて、何度言葉を飲み込んだか分かりません。 これほんと思います。 やってない人には絶対にわからないでしょうね。そしてわからないままの人もいっぱい、介護される立場になっていくんだろうなぁ。。。。 >回答にも、アドバイスにもなっておらず、申し訳ありません。 いえいえ、こういう心情を聞いたり、聞いてもらえるだけで救われる部分があります。 怒られると思っていたのに、思いがけず皆様から優しいお言葉をたくさんもらってびっくりsています。 ありがとうございました。
- syakunage
- ベストアンサー率37% (145/386)
病人の看護は経験のない者には分かりません。 今の医学は、生命を延ばすのが第一のようです。 医師も延命させておいて、疑問を持つことはままあるが、建前上言わないだけなのでしょう。 親の介護(簡単に逝った場合は別ですが)の経験者が「早く死ねばいいと思った」と言ったと言う話はよく聞きます。 迷惑を掛けるだけだから、生かさなくてもいいと言うことになると、直る病人も助けないことが出たり、相続など金銭が絡んだりする。 「とにかく生かす」と言う今の状態は仕方ないのだろうと考えています。 今は、とてもそう思えないでしょうが、「どちらが先か」と思いながら介護した親が死亡して、1年2年たつ。 「やるだけの事をしてやった」と言う満足感がもてます。 #8の方の言われるように、苦しくとも、先が見えているとがんばれるのですよね。 永遠に続くのではないかと思われる時、貴方と同じように思うのが普通の人間だと思います。 #7の方の言われる、完全看護の病院の件ですが、 完全看護は建前だけ。常時看護士が付いて入れないから、目が離せない病人は、家族に付き添いを求める。 自分で食事を取れない病人も、食べさせるために家族を呼びます。 貴方の気持ちはよく分かります。言っても差し支えない人に心の内をさらけ出して、気を楽にして続けてください。 「自分が先に逝くのではないか」と必ず思いますが、親の3回とも、後に残り、元通りの健康を取り戻しました。又、現在の社会でよいとされている事をしてやった。 と言うことで胸を晴れます。
お礼
>迷惑を掛けるだけだから、生かさなくてもいいと言うことになると、直る病人も助けないことが出たり、相続など金銭が絡んだりする。 その通りですよね。。。 最初に考えてしまったことは、起きていても点滴を引きちぎり徘徊したり、点滴を弄ぶなどの問題行動をするので(真夜中の付き添い中も仮眠さえ出来ない)睡眠薬をもらえないかな、でした。睡眠薬を飲んで1日中寝ていてくれたらどんなにラクだろうと。 でもそれでは生きてる意味が。。。。。と悩んでました。 本当にこの問題は難しいですね。 >言っても差し支えない人に心の内をさらけ出して、気を楽にして続けてください。 ありがとうございます。お叱りを覚悟でここに書かせていただいたことで、とても気持ちがラクになり、救われたような気がします。 見ず知らずの方の、心温まるコトバに、こんなにも癒されるものなのですね。OKwebに出会えて良かった。 ありがとうございました。
補足
↓もちろん、本気で睡眠薬をもらうようなつもりはありませんのでご安心ください。
- mujinkun
- ベストアンサー率16% (336/1986)
胸が痛いです。 私も同じような心境ですから。 父がもう数年、痴呆から寝たきりへ移行し、点滴はとるわ、自分の指は食いちぎるわ、遠方の病院ですので質問者さんのように常に介護はしていなくとも、いちいち病院から電話がかかってきて呼び出され、イヤな思いをしています。 兄弟の中で私だけ女のくせに、一人で「早く死ねばいい」などと言って家族をびっくりさせています。 みんな私を責めません、みんな同じように思ってしまう気持ちがあるだけに、はっきり言ってのける私に苦笑・・・といったところです。 でも結局、言った自分の今の気持ちと、父のポカンとボケた顔が頭の中で交錯し、風呂に入ってどうしようもなく泣けたりします。 それでも、「悪いことを言った。やっぱり長生きしてほしい!」なんてことは、さすがに思えないのです。 点滴やカテーテル、胃ろうなんて、ないほうが本人も楽。 わかっているのに、生きている人の罪悪感みたいなものによって、生き長らえさせちゃってるていうのも、とても馬鹿馬鹿しく感じます。 人も動物も、死ぬ時期は選べないんですよね。 ただ、死を待ってます。それだけ。 本人がわかっていたら、どんなに恥ずかしいだろう、と思うと、なるべく早く死なせてあげたいんだけど・・・。 生きるのも死ぬのも、所詮コントロールできないんです、厳しいです。 ところで、完全看護の病院ではないのでしょうか? 質問者さんの現状は、物理的にもあまりにハードです。 病院の仕事まで、家族がやる必要はないのです。 本人はわかっていないのですから(そんなことはない、家族の愛情が通じるから、家族が一番、とかいう奇麗事はこの際無視。)、やってもらえることは全部おまかせしたほうがいいですよ。 健康な人まで病気にならないように、気丈に、ある意味厳しく生きなければなりません。 家族の中に病人がいるということはそれだけで心を支配してしまいますが、どうか、自分自身の生活を少なからず死守して、余裕を持って、お婆様やお母様に接することができますように、お祈りいたします! 頑張らないで。
お礼
回答者様は正直な方ですね。びっくりしました。 >「早く死ねばいい」などと言って家族をびっくりさせています。みんな私を責めません、みんな同じように思ってしまう気持ちがあるだけに、はっきり言ってのける私に苦笑・・・といったところです。 家族の気持ちがまとまっていて羨ましい。うちの場合は、何故か兄が「爺さんは絶対に治る、しっかりしてるし痴呆でもない、諦めちゃダメだ」と熱血&青春ド ラマのヒーローみたいなことを言ってまして。。。(母は一切関与したくないというかんじ。)私の考えを少しでも臭わせたら(付き添いを休みたいと言っても)非常識な自分勝手な最悪な奴だと罵られるでしょうね。。。 >生きるのも死ぬのも、所詮コントロールできないんです、厳しいです。 これに尽きるのでしょうね。諦めるしかないことなのでしょうか。 >完全看護の病院ではないのでしょうか? 完全看護の病院ですが、看護婦さんはめったに病室には来ないし、忙しそうで声も掛けづらいのです。 この現状をなんとか改善することから始めたいです。 ありがとうございました。「頑張らないで」と言っていただけるとは思っていませんでした。
- stoneda2003
- ベストアンサー率0% (0/1)
蘇生拒否(DNR)の指示 DNR指示(do not resuscitate order)とは文字通り蘇生の拒否を指示することで、進行性病変で死の訪れが確実な患者が病期の進行により心肺停止に至ったとき、蘇生を行わないことを事前に決定し、指示を出しておくことをいう。 尊厳死を選ぶ場合の人為的介入が最も少ない、最も穏やかな方法である。 いわゆる安楽死とは,現在、当該患者に行われている医療行為を軽減する(消極的安楽死)、あるいは薬剤等を投与する(積極的安楽死)などにより、患者の死期を人為的に早める行為であるが、DNRには人為的行為は入らない。 日本には公的機関あるいは学会などによるDNRに関する取り決め、ガイドラインなどは全くない。 日本では医師と患者家族との話し合い、あるいは直接的な話し合いをせず両者間の「あうん」の呼吸で決定しているのが現状である。 例えば、事故で心肺停止した少年に対しては蘇生の可能性がある限り何時間でも心臓マッサージを行うが、ここで蘇生を行っても2~3日のうちに死期を迎えると思われる末期癌の患者には蘇生処置を行わないということ。 しかし、こんな当たり前のことが実は難しい。 数年間、植物状態(正しくは遷延性意識障害・・・そして脳死とは違う)だった患者。 患者と共に病と闘ってきた患者の家族は、その時が来たら静かに見送りたいとおっしゃる。 ところがその時、新幹線で2~3時間かけて駆け付けてきた患者の実の兄弟が「1分でも1秒でも生かして欲しい」とおっしゃる場合がある。 医者は板挟み・・・そして訴訟問題に発展することもある。 私が患者だったら蘇生させられ、さらに数年間植物状態で居ることはごめんである。 しかし、絶対に意識が戻ることが無いとは誰にも言えない。 医者にもいろいろな考え方を持っている者がいるが、医者は最善を尽くす義務がある。 主治医とはよく話し合い、信頼関係をつくっておくべきである。 「DNRってどういうことですか?」と話のきっかけをつくっても良いと思う。
お礼
DNRと言うコトバを初めて聞きました。 難しい問題ですよね。。。 父の死に際、なんとしても延命措置をして欲しかった、例え数年間植物状態になってしまっても、その間に新しい治療法が確立されて、治るかも、なんて一縷の望みを繋ぎたかったのを思い出しました。 これからどうなるかわかりませんが、考えるよいきっかけになりました。 専門家の方に、わかりやすく丁寧なアドバイスを頂いてうれしく思います。有り難うございました。
- IGARASHI
- ベストアンサー率19% (12/61)
病院側の対応もどうかとは思いますが。 何の意味があるのかというと多種多様ですが、自分の中では、高齢者は若いときには経済的にも自分が若い頃に高齢であった人達の支えであったと感じています。苦労した分、今度は自分がお世話になるという代々続いていくものだと思っています。ぼけていようがいまいが。 現在、86歳ということですが介護認定等受けていますでしょうか?特別養護老人ホームなりヘルパー等の割引も可能かと。 痴呆は誰がなるかならないかということは断定できません。「自分は絶対ボケたりしない」等と確信していてもボケる時はボケます。 思考力等が無くてもその人が「生きたい」と思っているか「死にたい」と思っているかは本人しか判らない事です。 10年近く痴呆の高齢者と接してきましたが、自分も最初は pandagomenさんと同じように考えていた時期もありました。 痴呆の状態を見ていずれは自分もこうなるのかと思うと早死にしたい気持ちになってくるんですよね。自分の将来が不安なんです。 何かアドバイスでも何でもないですが1個人の意見として書かせて頂きました。気分を害されたなら申し訳ありません。決して悪気があった訳ではないのです
お礼
>苦労した分、今度は自分がお世話になるという代々続いていくものだと思っています。 おっしゃるとおりですね。でも自分は年老いてから若い世代の負担にはなりたくない。。これって逃げでしょうか。。。 >「自分は絶対ボケたりしない」等と確信していてもボケる時はボケます。 私は短気で怒りっぽい方で、一人で楽しむのもヘタなのでいかにも「ボケやすい」気質みたいで恐いです。。。 >10年近く痴呆の高齢者と接してきましたが、 10年も頑張って来られたこと、尊敬に値します。きっとそこまで長い時間頑張って来られたから「悟り」のようなものを会得なさってるんでしょうね。 私はまだまだ頑張りが足りない。そう思います。 アドバイス有り難うございました。
- n_kaname
- ベストアンサー率22% (694/3099)
元々人間の寿命が短かった時は、痴呆なんて物は殆どありませんでした。そういう状態になる前にみなさん亡くなっていましたから。 今の状態というのは、一方方向へ医学が進歩してしまったひずみだと思います。 「生きたい」というのは人間の本能で、どうあがいてもどんなに酷い病気になってもそれは働きます。思考より深いところにあるから、今の状態では感じられないでしょうけれど。 うちも祖母が痴呆で生前は夜中に徘徊するようなことがありました。足腰が丈夫なのに痴呆があると本当に大変ですよね。遠くまで行ってしまいパトカーに送ってもらったことも2回くらいありました。 嫌なことを言ってしまうと、体が弱ってきているのでぼちぼち動けなくなってくるハズです。後少し、です。 長生きすることで一つ何か他人に与えられることがあるとするなら、それは家族への結束かな。 中にはそのことでバラバラになってしまうこともありますが、お互いに家族を支えることを教えてくれます。 ヘルパーは頼めないでしょうか? 少しでも介護の手助けになる第三者がいたら、気分も変わります。たとえ一時間でも30分でも良いのです。肉体的には変わりなくても、精神的に楽になれますから。 NO.2の方の言うように、ホスピスに移られるのがベストだと思いますね。 祖母は最後寝たきりで、右も左も判らなくなっていました。赤ちゃんでした。 歳を取るというのは、大きな子どもになると言うこと。 赤ちゃんに言葉や叱責で物を教えることが通じないように、痴呆の老人にも通じません。 イライラするのは仕方ないこと。恥じることはありません。 でも、きっと先の短いお祖父さんだから、直接当たることは避けられると良いですね。あとできっと「判らなくても、もっと優しくしておけば良かった」と後悔してしまいますから。 今はまだ法律で死ぬことは認められていませんが、いつかはそういう日が来ることでしょう。 お年を召してからの自分の先が心配なのなら、早めに老人ホームにはいることです。ボケてしまってからは入れませんが、それ以前なら入ることも、そこで亡くなることも出来ますから。
お礼
>あとできっと「判らなくても、もっと優しくしておけば良かった」と後悔してしまいますから。 すでに後悔しまくりです。。。自分が許せない。。 ヘルパーを雇う事や、ホスピスに移ることは考えてみます。でもお金がかかるんでしょうね。祖父は50代で仕事も辞めて隠居してましたし、私の父親は他界しているし、私は貧乏なOLで経済力がないので、調べてはみますけど難しいかも知れません。 老人ホームがボケたら入所できないってはじめて知りました。もし癌がなくても祖父は入れないんですね。。自分は、、、入りたくないです。。。入る年まで生きたくないです。(その年になったときそうは思わないでしょうけど) アドバイスありがとうございました。
- riko-n
- ベストアンサー率21% (144/678)
おじいさまの介護ご苦労様です。 私も昨年、祖母の面倒を母と二人面倒見ていました 私も恥ずかしながら質問者さんと同じ様なことを考えた事があります ぼけて死を待つだけの人間に何の意味があるのか・・ それは質問者さんのお母様、おばあさまが少しでも長く、出来るだけ出来る限りのことをしてやりたい・・出来るだけのことをしながら死を覚悟し死に対するショックを和らげる為だと思います 質問者さんは恥じることはないです おじいさまに死ねと思っている訳ではなく質問者さんのお母様、おばあさまに対する思いやりがそんな気持ちを起こさせるのだと思います 若死にしたいなんて考えないで下さい 順番に見送り、見送られる事が大事だと思える日が来ると思います。
お礼
>死を覚悟し死に対するショックを和らげる為だと思います そうかも知れませんね。。。この状態になっては、少しでも長生きして欲しいという気持ちが、少しずつ削られていって、「充分長生きした」と思えるわけですものね。 本人にも死の恐怖や、心残りがなくなるわけだし。。。うまいシステムかもしれない。。。 >若死にしたいなんて考えないで下さい はい。。すみません。。 私の親は、若くして病死しました。 まだまだ元気で、働き盛りで、やりたいことがいっぱいあったのに。 あのときは、私の寿命をあげるから生きて欲しい、ボケてめちゃくちゃ迷惑かけてくれていいから、長生きして欲しい!って心から思いましたが。。。。 今。祖父のためにそうは思えません。。。 >順番に見送り、見送られる事が大事だと思える日が来ると思います。 見送るのも、見送られるのも辛いですね。その辛さがあるからこそ人生に意味があるのかもしれないですね。 同じ気持ちになってしまったこと、書きにくいことを書いて下さってありがとうございます。 私だけじゃないんだと思って、安心しました。 アドバイスありがとうございました。
なんの意味があるか、、、ないと思います。必要があるか、、、ないと思います。あなたの苦悩は人間として当然で、自分を恥じることはありませんよ! 本人だってきっと、長生きし過ぎた、早くお迎えが来ないものか、と心の隅では思っているのではないでしょうか。 でも世話をしなければならないのは「彼が生きているから」「死なせるわけには行かない、生きている限り病院は損をしない」でも「病院でちゃんと世話ができないから」です。ただし!!それが家族である必要はありません。ちゃんと専門の教育を受けたプロの方が、上手にケアできると思います。 病院でちゃんとケアをするのが本来の姿なのではないでしょうか。家族の労力を初めから当てにするのは、病院側の怠慢と思えます、法律で決まっている人員配置の算定にそもそも間違いがあるのではないでしょうか。当直の看護婦さんの数だって「足りるわけないじゃん!」と思いませんか?そういう制度を押し付けている厚生省?だか医師会だかがそもそも間違っていると私は思います。 妻であるおばあちゃんも相当の高齢のはず。介護疲れで共倒れにならないでしょうか。若い人にも大変な仕事だと思います。 私の祖父は入院一週間で最後は尿毒症で亡くなったのですが、「こんな死に方だけはしたくなかった」と言いながら点滴の管を恨めしそうに見ていたそうです。 延命のための治療しかできない人のための、ホスピスがもっとたくさん増えて、心静かに死を待つ、という体制が整ってほしいと思います。そしたら、点滴されずに(あれもけっこう手がしびれたりして嫌なものです)、身内にも優しくしてもらえて、幸せな晩年を送れるのではないでしょうか。 転院(ホスピスがあればベスト)も考慮されてはいかがかと思います。 決して無理をしないで、余裕があれば誰か雇うという選択肢も考えてほしいと思います。
お礼
親身になっていただいた優しい回答をありがとうございます。 >あなたの苦悩は人間として当然で、自分を恥じることはありませんよ! これを読んで涙が出ました。。。。 こんな感情(祖父へのいら立ち)を持ってることさえ、許されない感情で、思ってしまう自分が憎く、家族にも誰にも言えずにいたことでした。。 >病院でちゃんとケアをするのが本来の姿 病院は「老人ホーム」ではないのだから痴呆老人につきっきりになれない、相手をしてたら仕事にならない、といった態度が見えかくれします。(被害妄想かもしれませんが…) 看護婦さんも忙しそうで、めったに病室に来ません。家族が見るしかないのでしょうね。(家族がいない人ならどうなるのか。。。。) >本人だってきっと、長生きし過ぎた、早くお迎えが来ないものか、と心の隅では思っている そう思います。「みんなが来てる」と幻が見えるようなことを口走ったり、点滴を抜きたがるのもそのせいにも思えます。。。。 転院や人を雇うことも考慮したいです。 有り難うございました。
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お礼
>優しく宥める言い方もできるのに、なぜキツイ言い方をしてしまうのかと、 優しく宥めました、最初の100回くらいは。でも100回言っても通じないことに苛立ってしまいました。 >「99才まで生きました」 正直、ぞっとします。あと10年以上この地獄が続く可能性もあるのですね。 >生前どれだけ尽くしたつもりでも、亡くなった瞬間に「なぜ、もっと世話をしてあげなかったんだろう。なぜ、もっと優しくしてあげなかったんだろう。」 父のときは痛感しましたね。してあげれることが、してあげたたかったことは、数え切れないくらいありました。それからもずっと、何かあるたびに「父にも見せたかった」「父と来たかった」といつまでたっても思います。後悔してもしたりません。 祖父のときもそう思えるかは、、、、わからないです。ただどうしても若くして亡くなった父と比較してつい「十分長生きした」と思ってしまいそうです。 >もっと自分を許してあげてもいいと思いますよ。 有り難うございます。そう思えるように、出来ることはしなくちゃいけないと思いました。 ご回答、有り難うございました。