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自分を偽るのをやめて本心で人と話すにはどうすればい
長男で、昔から自分の感情を出さない癖がついてしまい、自分が何をしたいのかわかりません。 また、人から何を言われても我慢することが美徳だと両親から教え込まれました。いい人を演じる癖がついて、常に人前にいる時は自分が自分じゃない気がして、1人になると楽に感じてしまいます。 最近は自分が何を感じて何を考えてるかもよくわかりません。 親友や彼女にすら本当の悩みを打ち明けれないし、常に人の気をうかがってしまっています。 そのため集団の中でも貧乏くじを押し付けられることが多く、ある程度までは我慢できるのですが限界を迎えると全てから逃げてしまいます。 人に心も開かないし、上辺だけのコミュニケーションしか取れません。人の悪口は言わないしポジティブな発言をするように心がけてるので嫌われることはないですが、自己開示を全くできないため人と親密な関係にもなりにくいです。 上記の生育環境に加え、自意識過剰である、人を信用できない、単に感情や心の中を人に表現するのが恥ずかしいといった理由もあると思います。 どうすれば人を信用し、自分も信用してもらえるようになりますか?
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- itou masaki(@msakitou)
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自分も感情を余り出さない、育ちの良い両親のもとで育ったのもあり、何となく分かります。 解決方法としては、 ・「自分とは?」といった存在しない物のことは考えない。 ・「財力、社会的地位、スキル」といったものを見に付け「自信、余裕、後ろ盾」を持つ。 ・人間の機能をハツラツと引き出した、健康的な人間になる。 ・親元を離れ、自分が好きなように振る舞える、考えられる環境を作る。 ・コミニケーションのスキルを身につける。 でしょうか。 以下私の人間社会においての対処法を書いておきます。ヒントになればと思います。年齢はアラサーです。 私は、プライドが高く負けず嫌い、本当は目立って他人に認められたいタイプの人間です。 しかしながら、自分の外面も内面も自信がなく、両親にも影響されて「大人しくいい人」を演じる実力しかありませんでした。 (自分は上記の性質は繊細さの裏返しなので、人が傷つかないことをするのは容易です) 他人と関わるのも時間の無駄に感じ、誰からも認められる実力をつけるために自室に引きこもり、体を壊した経験もあります。 そこからどう持ち直したかというと、「余裕、自信、健康」が合わさった「確固たる自分」を確立したことです。 昔から自分が嫌いでしたが、今はそこそこ好きにもなりました。 ↑私の「確固たる自分」を説明すると↓こうです。 ①社会において誇れる経験、スキルを持つこと(1分野でいいので) ②人間というものを理解し、自分や他人の人間性を説明できるようになる。 ①については、私は一つの分野を長年追求し、レベルの高いスキルを身に着け、憧れの職も一時経験したことで満足しました。 ②については「医学、栄養学、人間の機能や本能の成り立ち」を勉強することです。人間という地球上の一生物に備わった機能を追求し理解すると、人間や人間社会が(良くない言い方ですが)しょうもない物に思えます。(弊害として人生のワクワクが減ります) 哲学とかメンタル論とか現在の価値観とかいったものを、一度全部放り出しつつ、自分で再考できるようになりましょう。 人間を勉強すればするほど、自分が理解できるので適切な栄養摂取や行動で幸福度を高められるので、余裕を持てます。 他人も理解できるので余裕を持てます。
- karawane
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とりあえず、「紙」に いまいま存する〈不満〉〈我慢していること〉 〈可能なのに自己抑制で実践・実行しないでいる〉ことの 全てを、書き出してみませんか。 遮二無二に自己を殺して 我慢するスタイルは、 メンタルヘルスに宜しくありませんの、 共存共栄、いまの言葉では ウィン-ウィンの関係性を 育むことの方が賢明では ないでしょうか。 ふろく: どこにでもいる嫌な人・不快な人・苦手な人etc.は、 アナタ様自身が気づいていないか / 知らずにいる 自身のことに関する何らかのメッセージを齎して下さる人 なのかもしれませんので、そうした人を 「マイナスの恩人」と思うことができれば、 アナタ様は更に進化できることになります。 マイナスの恩人は、是非、検索してみてください。 ふろくⅡ: 我慢より、 最良の妥協点を見つけ出せる 会話力・交渉力を・アプローチのスタイルを 磨き上げませんか。 お互いの 人生観・価値観・美意識・人生哲学・死生観 を、尊重し合うことを ベースにすることを検討しませんか。 ご両親の、【お教え】は、 諍い等を避けるための教えであり、 素晴らしいので、心の隅に 大切にキープしておきましょう。 日々、「4つの喜び日記」: 《良かったこと・嬉しかったこと・出来たこと・喜ばれたこと》が 書ける暮らし方をしませんか。 「与えられる喜びではなく、与える歓び。 その中に、人生の本質が存在しているのです。 (Gérard Chaudry)」 [The joy of living is the joy of giving. (『Lover Come Back』)] [Love is putting someone else's needs before yours. (『Frozen』 : 『アナと雪の女王』)] 〈Carpe diem〉的なスタンスで Buon Divertimento!(=Have Fun!=怡しんで!) Ciao.
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11204/34805)
「本心で人と話したい」ということですが、仮に本心で話したいとしたら「何を話したい」のでしょうか。 「ああいうことをいいたい、こういうことをいいたいけれど、言葉に出すのが苦手」なのでしょうか。それとも「何かいいたいとは思うけれど、これといって思い浮かばない」でしょうか。 本心で他人と話すことが、必ずしも「良い」とは限りません。世の中には良くも悪くも本心しか口にすることができない発達障害の人がいます。質問者さんもどこかでそういう人と出会ったことがあると思います。 誰かが「家でクッキーを焼いてきたから食べて」とすすめてくれたときに「あ、何が入っているか分からないのは食べたくないから要りません」と平気で口にする人がいます。その人は「本心で人と話して」います。その言葉に嘘偽りはありません。でも、そんなことをまともに口にしたらどうなるかっていったら「いくら断るにしてももっと言い方というのがあるだろう」といわれてしまうと思います。 だから「本心で人と話すことは良いこと」とは限りません。むしろうっかり本心を他人に話すとトラブルになることもあるでしょう。「課長ってさ、思いつきでモノをいうから信用できないよね」なんていうと誰かが「課長、アイツあんなこといってましたよ」とチクるかもしれません。 もし「いいたいことがあるのにいえない」ことで悩んでいるなら、必要なのは「嫌われる勇気」です。 質問者さんの周囲や過去に出会った人にも、いいたいことをなんでもいう人っていたでしょう?で、そういう人がどうなっていたかっていうと、大抵嫌われていたと思います。「いいたいことをいう人」って、「いわんでええことをいう人」でもあるんですよ。 野球の日本シリーズで、DeNAの東投手への対策を聞かれたソフトバンクの打撃コーチが「オリックスの宮城のほうが上だから」とコメントしました。冷静にいって、それは事実だと思います。プロ野球ファンに「東と宮城とどっちが上か」と聞いたら横浜のファン以外は全員口を揃えて「宮城」というでしょう。 でもそれは「暴言」以外の何物でもありません。実際、それを人づてに聞いた東投手は奮起してソフトバンク打線を抑えて勝利し、そこからDeNAは怒涛の4連勝で日本一になりました。 かように「余計なひとこと」はむしろ大問題を起こしてしまうことがしばしばあります。 私はその「余計なひとこと」をいってしまうタイプなので、そりゃーそりゃー失敗しました。というか、30歳くらいのときに取り返しのつかない大失敗をしてこの欠点を矯正しなきゃいけないと心に強く誓ったほどです。 あれから何十年も経ちますが、今でも「できれば10年。いやもし5年早くこのことに気づけてたら、俺の人生は違うものになっていたはずだ」という後悔があります。おそらくこの後悔は死ぬまで続くと思います。 そういう人からすると「いいたいことがいえない」は、「いわんでいいことをいってしまう」に比べるとはるかにマシなことだと思います。 特に昨今は、不用意な一言で社会的立場を失ってしまうこともあります。ただの一般人が不適切な発言をSNSに何気なくしてしまい、それが炎上して特定されて会社をクビになった、なんてことも既に起きています。 もしどうしても何かをいいたいなら、まず「俺は何がいいたいのだろう」ってことを自問することから始めていいと思いますよ。
- qru
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ネットだといろんなこと言えてるので、ネットで発信して徐々にリアルでのやりとりに遷移でいいんじゃないですか
- bladevortex
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>どうすれば人を信用し、自分も信用してもらえるように に対して、思い当たる原因は自身で的確に分析できていて、上の問いに対する答えもそのままそれを克服することがとても大きな1つだと思いますよ。少なく見積もっても原因の50%は占めていそうです。90%を占めている可能性もさほど低くもなさそうです。 発達障害や、単に幼小児が「(恥ずかしくて)話すのニガテ」というのを俗用した「コミュ障」ではなく精神医療で分類されるコミュ障にも、生育環境など後天的な要因は深く関与していて、私はこれに当てはまるのではないかと想像しました。 いわゆるトラウマことPTSD=心的外傷後ストレス障害も文字通り、後天的なものです。 長く抑圧環境にあった人が、あらゆる外的刺激に怯えたり不安に感じたり、はたまた意思疎通による問題解決訓練を全く受けていない(というか受けることを制限されてきた)せいで、何を主張するにも暴力的行動へ走るケースもあります。 あなたの場合で言えば、耐える術を持たないが、耐えなければいけないと自己暗示を掛けてしまってますます窮地に立たされて、立ち去るしかなくなってしまうのもここに当てはまるでしょう。 必要なのはこころ(脳)のリハビリで、医者が書いた本を読んだり、対人コミュニケーションだけでなく日常行動を変化させたりすることでも改善することはあるでしょうが、端的には精神クリニックを受診して、その医者または臨床心理士などのカウンセリングを継続的に受けることが「安全な+近道」だと思います。 「悪い人ではないのは分かるが、何を考えてるのかいまいち分からない人」である限りは他人の信頼を得るのはとても難しいだろうと思います。 ここに書き出したように(あるいはより詳細に)一切合切を話せば、そういう経緯があって意思の表出が苦手な人物なのだと理解を示す人は多くいるでしょうが、個人的(私的)な関係性では、相手の状態を理解できるかどうかだけではやっぱりダメで、「楽しい」とか「共感できる」とか「安心できる」とかの要素も必要です。 安心できるのには、「何も言わないがこちらを思いやってくれてる”のだろう”」の推測ではなく、言葉と振る舞いの両方からそういう雰囲気が取れることが大切で、言語化して伝えるのが苦手でいる間はそういう意味で、”深い”信頼を得るのは難しいだろうと思いました。 とりわけ交際相手との間では、あなたの事情を知っていて、理解もしていたつもりの相手からしても「(事情は分かってるが、それでも耐えて踏ん張って、瞬間的にでもいいから押し殺して)思っていることをそのまま言葉に出してホッとさせてくれよ」と思われることもあるでしょうし、それが欠けてしまうとき、相手は「やっぱり一人ぼっち感があるんだよな」と感じ始め、別れにつながっても不思議ではありません。 ストレッチもそうです。骨折後のリハビリもそうです。脳には「認知行動療法」という、慣れるためのプログラムがあります。 医者にはまずありったけを話すことになりますね。 次は臨床心理士だったり、はたまた同じような経験をしてきて同じような状態にある人の自助グループの当事者同士で「一般コミュニティよりも高い確率で受容され理解されるはずだ」と安心感が高い場所で同じように自体験と現在を話すことを繰り返すうちに「話しても自分がおそれているような事態は起こらない」と経験を重ねて慣れていく…というのが基本的です。 例えば私の身近にあなたがいて、ここに書かれている内容の告白を受ければ状況は理解し、自分でできる範囲の協力をしようとは思えますが、思っていることを率直に言葉にしている印象が持てなければ「理解者・支援者」の先のフェーズに進むことは難しく、いつまで経っても「親しい友人」になることは決してないだろうとも思います。 受診、してみませんか。