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実ほど頭が垂れる稲穂かな(本当に?)

なぜ老人は 「分かりません」「教えて下さい」「お願いします」 を言わない(言えないのか) 言える人老人は 「なぜ自分で調べようとしない」、「やって貰える事が当たり前なんだ」、「言わなくても分かるだろ」 という考えをしている人が多いのでしょうか? 年を取る事は「偉い事」と教えられているのでしょうか? 若い時に「やれ!」「よきに計らえ!」という老人が多く それに対して「喜んでやらせて頂きます」という考えが当たり前だったのでしょうか? 自分で「知っている事」より「知らない事」の方が多いのは当たり前なのに 長く生きても全く実らない老人を多く見ます。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.2

私がワカゾーだった90年代頃は、当時の80歳前後くらいのお爺ちゃんは概ね丁寧な人が多かったですね。ワカゾーだった私にもちゃんと敬語で話してくれました。 けれど当時の40代から60代くらいのおっさんは「おい、お前」と命令形で呼ぶ人が珍しくなく、「俺はお前の部下じゃねえっつーの」と心の中で毒づいていました。 当時の80歳前後くらいの世代の人は、戦争で苦労した人たちです。幼少期でも戦争の記憶があるのは現在の上皇世代、80歳前後くらいの世代が最後です。 そこから下の世代は戦争を知らずに高度成長に乗ってきた世代なので、苦労を知らないので高慢な人が多い、というのが私の勝手な偏見です。 なお、いわゆる就職氷河期世代は死ぬほど苦労をしているので、その苦労が逆に振れて他世代に攻撃的になっているか(犯罪を起こす無職の人たちがこっち系)、「失われた世代の勝ち組」なので高慢になっているか(ホリエモン氏とかひろゆき氏など)、死ぬほど苦労しているので聖人のようにいいひと(有吉弘行さんなど)かの極端な三色に分かれている気がします。

WDY
質問者

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ご回答ありがとうございます。 80前後は戦後の苦労をしてきた人(「分かりません」「教えて下さい」「お願いします」が言える人) それ以降の人が 「言えない人」が多く 「言えない人」の勝ち組=高慢 「言えない人」の負け組=攻撃的 「言える人」が少数 ちゃんと苦労しているので「実っている」 もしかして 80前後:亡くなっている方が多い(言える人) 老人:多い(少子高齢化)(言えない人) 若者:少ない(少子高齢化)(言えない人) で「言えない人」で多いのが老人だから 老人が「言えない」様に見えるのであって 若者も「言えない」のが多いのかもしれないですね。 就職氷河期も見方を変えると「実る」為には必要なのかもしれませんね いや、でも・・・就職氷河期は無い方が・・・

その他の回答 (7)

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.8

なお高齢者の人口や総人口に占める比率が増え続けていることも「高齢者の欠点が目立つ」大きな要因です。 回答者が小学生だった1965年には日本の総人口9828万人に対して65歳以上の人は618万人(6.3%)しかいなかったのに対し、2020年には総人口1億2615万人に対し65歳以上が3603万人(28.6%)もいます(回答者もその一人)。 これでは嫌でも高齢者の姿が目に付き、問題行動を起こす高齢者に遭遇する確率も上がるでしょう。

WDY
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど 実らず年老いた人の人数が比率で増えてしまったから よく見かけるのかもしれないですね

  • jg5dzx
  • ベストアンサー率38% (111/289)
回答No.7

 実るほど  頭を垂れる   稲穂かな (みのるほど こうべをたれる いなほかな) とは、詠み人知らずの五七五(稲穂の季語が入っているので、たぶん俳句)だそうです。 有名なパナソニック創業者の松下幸之助さん、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さん他が座右の銘としていたそうですが、その意味は、 「稲の穂は成長するにしたがって頭を垂れる。人もそれを見倣って、大成しても謙虚さを失ってはいけない。」 だそうです。 質問の内容は、「なぜ今の老人は謙虚さを知らないのか?」と言うことだと思います。 質問者様はお若い方だと推察いたしますが、この諺の意味は、知っていること云々だけではなく、生き様の話だと思います。 今と昔で何歳からを「年寄り」と呼ぶかの問題もありますが、普通に考えれば、年を取れば体の動きが鈍くなり、考え方が硬直し、新しいものについて行くのが難しくなります。 若いころならさっとできた肉体労働も、若い人がやってくれて「年寄りは休んでな」と言ってくれれば「ありがとう」と言って頭を下げる。 住民票を取りに役場へ行こうとすれば「コンビニで取ってきてあげるよ」と言われて「ありがとう」と頭を下げる。 夜だから明日振り込みを頼むと言うと「ネットバンキングですぐ振り込んどくよ」と言われて感謝する。 人に何かをしてもらった時に、素直に受け入れて、ちゃんと感謝ができる、無為に年を重ねるのではなく、そんな老人になれたら良いな。 と言うのが、この諺の意味だと思います。

WDY
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 最近の老人は「やって貰える事が当たり前」となってるのかもしれないですね そんな中、少し前の記事になりますが 70歳の老人だったと思うのですがコンピュータプログラムの勉強を始めたという記事で なぜコンピュータプログラムの勉強を始めたのですか?という質問に 今は90歳近くまで生きるのだから後20年もあるのに勉強しないのはもったいない と回答されていました。 なかなかカッコいい事を言う老人だと感心しました。 知的好奇心を忘れなければカッコいい老人になれそうな気がします。 そんな老人になれる様に精進したいと思います。

回答No.6

昔の老人は 尊敬「された」のです。 若いうちは欲望に振り回されますが、 老人は欲をコントロールする術(すべ)を得ていたからです。 しかし今の老人は 歳をとるほど 「強欲」 になるので 尊敬「されない」のです。

WDY
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「強欲」になった老人は「老害」と呼ばれそうですね

回答No.5

・年を取る事は「偉い事」と教えられているのでしょうか? はい、そうですね。長幼の序。年功序列。それが皆さんが幼少期からずっと叩き込まれてきた世の中の常識です。 ・若い時に「やれ!」「よきに計らえ!」という老人が多くそれに対して「喜んでやらせて頂きます」という考えが当たり前 そうみたいですよ。私の父はかなり前になくなってますが、自分達の若い頃はそれが当たり前だった、というのはもう何十回となく帰化されました。

WDY
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >はい、そうですね。長幼の序。年功序列。それが皆さんが幼少期からずっと叩き込まれてきた世の中の常識です。 それは年齢の低い人は年寄りを敬う教えであって 年寄りが偉ぶる口実とは別なんですけどね 分かりやすい例でいうと 「お客様は神様です」は店員の心構えであって 「神様の様に敬って私の都合の良い様に扱え」は調子に乗っている老害でしかないです 「謙虚」を忘れ、「私は偉いんだ」では全く実ってないですね 昔からの教えが「自分に都合の良い部分」だけ伝わっているようですね

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.4

何かを身に付けるという慣習がAIをはじめとする技術の発展に伴って通用しない場合が多く、ついていけない老人には打撃を与えているのではと思います。若い人は身に付けることよりAIなどを利用することで課題を解決しているので、老人の悩みは分かりにくいのではと思います。

WDY
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 昔無かったのは確かにそうかもしれないですね。 なった当時は他人に聞くなり、調べたりして考えたはずなので それこそ 「分かりません」「教えて下さい」「お願いします」 が言えると思うんですけどね

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.3

もちろん個人差がありますが、年をとると「思い込み」が強くなり頑固になりがちです。さらにかなりの人は聴力が低下しますので、他人とのコミニュケーションがうまくいかなくなります。若い世代が普通に話しているように思っても高齢世代には「小声・早口でついていけない」と感じているかもしれません。 「わかりません」と言えるのは「おぼろげながら何について話しているかわかったとき」なので、五里霧中であれば「わかりません」とも言えず、面倒がって「わかったふり」をしがちです。 といっても噛んで含めるようにゆっくり話せば感謝する人がいる一方で、「子ども扱いされた」と怒り出す人もいます。ホントに高齢者ってのは…(自分が高齢者の仲間入りをして初めてよくわかるようになりました。) 加えて厄介なことに、スマホやパソコン、タブレットなど機械を通した意思疎通も必要な世の中になってきていますので、高齢世代の中でも「テジタルリテラシー」には格差が生じていて「デジタルデバイド」状態になっています。うまく活用できれば実はこうしたものこそ高齢世代の「強い味方」になってくれるのですが…。

WDY
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 年寄りは知らない事を「恥」だと思っているのかもしれないですね。 自分で「知っている事」より「知らない事」の方が多いのは当たり前なのに 認める事が出来ない。 認められないから新しい事に挑戦出来ず 「テジタルリテラシー」からどんどん遅れていくのかもしれないですね。

回答No.1

「年功序列、自分より年上は敬え、年下は俺の背中を見ろ」と前の世代から学んでいたのが名残かと思います、その時代にはその思想で充分だったでしょうが今はお年寄りの知識や経験よりワード検索のほうが的確な事にご本人達は気づいていません、更に加齢により前頭葉の萎縮が進行して怒りの沸点が極端に低く自分勝手になりがちなので他人に謝ったり教えてもらうという選択肢より先に烈火の如く怒り狂うという「逆ギレ」しか選べなくなっているのです、時代の変化に適応出来る人は限られているのでしょうね、当時はパワハラ上等の体育会系ノリだったそうですし

WDY
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「年功序列、自分より年上は敬え、年下は俺の背中を見ろ」と前の世代から学んでいたのが名残かと思います、 その裏には「何かあったら変わって対応してやる」という意味が含まれていたと思うのですが 「見せるだけ」で「対応しない」が増えてそうですね >更に加齢により前頭葉の萎縮が進行して怒りの沸点が極端に低く 沸点が低いのは「脳障害」だったんですね 「知識」は調べる事が出来ますが「経験」はやってみないとわからない事が多いのに 沸点が低くては年寄りに「経験」が聞けませんね。 >当時はパワハラ上等の体育会系ノリだったそうですし 年寄りにはパワハラ上等の体育会系ノリで対応してもそれが当たり前の世代だからいいよね! と対応すると「さらに火に油」を注ぐ形になりそうですね。 自分がやられると「火に油」なのに他人には行う。 「脳障害」はひどいですね

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