- ベストアンサー
日本の元首が民族衣装で外国訪問しない理由
アラブやインドの元首は民族衣装で外国訪問するにに、日本はスーツやモーニングなのは、なぜでしょうか?幕末に不平等条約を結ばされ、鹿鳴館時代に欧米を猿真似した名残でしょうか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
明治維新後、岩倉具視は自らが団長になって欧米を歴訪しています。いわゆる「岩倉使節団」です。 このときの写真が残っていますが、他の人たちが洋装なのに、岩倉具視だけは和装で髷をつけてるんですね。彼は和装であることに誇りを持っていました。 アメリカに行ったとき、彼はいつでもどこでも和装で出かけて、アメリカの社交の席でもアメリカ人が彼の和装を珍しがって喜ぶので、それを息子さんに自慢したらしいんですよ。 すると先にアメリカに留学していた息子さんは「父ちゃん、違うんだよ。アメリカ人が父ちゃんの格好を見て喜ぶのは、未開の国の土人が現地の格好をしてるのを面白がっているんだ」といってたしなめたそうです。 それで、さすがの岩倉具視も髷を切って洋装で過ごすことにしたのです。 今は民族衣装を着ることはその民族の誇りを表現していると解釈されますが、19世紀くらいには民族衣装とは「土人の格好で未開の象徴」だったのです。昔はそういう見世物もありましたしね。 日本は中東やインドより一足早く欧米諸国に対等(になりたい国)の立場で国際社会デビューしましたからね。
その他の回答 (3)
- pluto1991
- ベストアンサー率30% (2015/6674)
>>アラブやインド あれは民族衣装ではなくて国家としての宗教衣装なのではないでしょうか。 日本の着物は宗教色はなくて、つまりスカートが好きかズボンが好きか、っていう程度の個人的趣味ですね。 宗教的なスピリッツがないのであればインターナショナルなスタンダードでよいでしょう。自分が嫌だと思っていないんだから。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
鹿鳴館時代が日本に洋装が広まったきっかけになったという説は当たっていると思います。当時は和魂洋才のスローガンの下で欧米の習慣を取り入れました。今では和装は国内の儀式の他は、落語や歌舞伎などに限られています。中国も伝統的には和装との共通点が多いのですが、人民服で完全に洋装に切り替わりましたね。 洋装はアラブやインドのような熱帯の気候には不向きなので、民族的な衣装が廃れずに残っていると思います。
日常的に和服で過ごす日本人がほとんどいない(旅館や料亭で働いてる人とか、着付けを趣味とする人ぐらい?)んだから、日本人自身が和装文化を捨てたようなものでしょう。 だから、外国訪問する日本の要人だって和装をしないのでは。 中国だって人民服と言う民族の正装があるのに、習近平が人民服を着るのは国内の式典ぐらいのものですよね。 あの国で人民服を着て過ごす庶民はほとんどいないし、欧米を訪問する時はほとんど習近平だってスーツですよ。