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死にたいです
死にたいです。理由はよく分かりませんが。別に、虐待らしい虐待をされている訳でもないし、いじめられているわけでもありません。続きが気になる漫画だってあるし、見たい映画だってあります。なのに死にたいです。 ふとした時に死にたくなるんです。 これって悪いことですか。 どうするべきか分かりません。
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- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
- ベストアンサー率13% (1225/8756)
きっと毎日が充実していないのでしょう 自分は何のために存在しているのか考えてしまいますね。 人生自分の心が充実していないとつまらないのです。 でも 折角生れて来たのです。 死んでしまえば終わりですよ あなたが死んでも世の中はそのまま流れて行きます。 少しはご自分の存在を世の中に知らしめる行動をしましょうよ 何しろ死んでしまえばそれっきりなのですよ 憐れむ人 泣く人はいても 忘れられてしまうのです。 そんなの嫌でしょう 生きてこの目で世のうつり変わりを見て行きましょう 死ぬのは自由ですが、必ず人間は死ぬ時が来るのです。 それまでは生きて行った方が良いですね。
- mayyasuragi
- ベストアンサー率43% (78/178)
今日は‼ 「死にたい」と言うよりも 「空しい」 「生きる目的がわからない」 「生きる意味が見い出せなくて虚無感に包まれている」 のではありませんか? まず「自分を知る」ことから始めて見ましょう。 自分は何のために生まれて来たのか? 自分の役割は何なのか? 自分を知ることにより「自己実現」の道が開けると思います。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20252/40150)
死にたいは、生きたいの裏返し。生きたいと思っているのに死にたいと思う事はあるし、死にたいと考えているはずなのに普通に明日生きている自分を想像している事もある。どちらもあなたなんだと思う。全然悪い事じゃない。実はあなたも分かっている。死にたいと「思う」事と、実際に死ぬ事は次元が違う。わざわざ死ぬ方向に自分を導くにはとてつもないエネルギーが要る。脱力するから死ぬ訳じゃない。こうしてあなたのように、ふとした瞬間に死にたいと思う悩みエネルギーが人よりもたっぷりとある人は死なないし、死ねない。なんとなくで送ってしまっている毎日の日々。ぼんやりとした感覚は案外心を消耗させる。決して悪い事が起きている訳じゃないんだけれど、目の前の日々に少し疲れてしまう時はある。皮肉にもふとした瞬間に死にたいと思う事がスパイスになって、あなたを再び生きる方向に向かわせている効果も生んでいる。生きている自分の感覚がぼんやりしているからこそ、わざわざ死にたいという極をいじる。実際に死ぬ覚悟までは持っていないあなたは、直ぐに元の自分に戻る。でも、死にたいと考えている時の自分の方が、皮肉にも「生きて」いる感じがする。そんな幼いあなたの心の裏表が反映された今の状態なんだと思う。全然悪い事じゃない。分からないなら、無理に分かろうとしなくても良い。自分の裏表であり、自分のアップダウンとしてトータルで受け止めてあげる。どちらも自分なんだと受け止めてあげる。そういう感覚があるだけでも、あなたの心の穏やかさは変わってくるんだと思うからね☆
- yume358
- ベストアンサー率52% (624/1178)
かつて精神科クリニックでカウンセラーをしていた者です。死にたいという希死念慮は、一時的なことであれば、誰にも起こることがありますが、たびたびということでしたら、心の病の可能性があります。死にたい理由がないというのは、深刻なことが背後にあるのに心の力で抑え込んで気づかないようにしている可能性があります。そうなると衝動的に行動してしまう危険もありますので、精神科か心療内科を受診された方がいいでしょう。
- sumisan999
- ベストアンサー率15% (32/204)
おそらくは取り憑かれている、または、近くにそうなる魔物が居ます。 環境を変えるとか引っ越しをする。