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薄情な人間なのでしょうか
つい最近、よく通っていた乗馬クラブにいたお年寄りの馬が亡くなりました。 よく散歩にも行ったし、世話もしたりしていてとても可愛かったので聞いた時はとてもショックだったのですが、半日ほどたった今、動画や写真を見たり思い出したりしてみても悲しいという感情が全く起こりません。 亡くなってしまった実感がなく、まだどこかにいると思ってしまっているところはあるのですが関係あるのでしょうか。 普通の人なら悲しむ場面で悲しめていない私は薄情な人間なのでしょうか。
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>お年寄りの馬が亡くなりました。 多分この部分だと思います 近所でよく挨拶を交わす家の犬が子犬だったんですが、半年くらいで亡くなってしまいました。飼い主さんの顔が1週間暗い青ざめていて私も同じようなつらい気持ちになりました。 同じような経験で、お年寄りの犬を飼っている方がいてそこの犬が亡くなった時は ああとうとうなくなったかという、なんというか予想していて心の準備もしていました。 毎回挨拶をするたびに足取りが悪くなっていて認知症にもなっていました。 なくなったと聞いた時にも心の準備ができていたので、あの犬は生を全うしたんだなという 安心感みたいな不思議な気持ちになりました。 そのお年寄りの馬に対してもあなたはある程度覚悟をしていたのではないでしょうか よく散歩に行くたびに馬のコンディションを確認していると思うので 心の準備があったんじゃないかなと思います。 薄情だとは思いませんよ 自分が悲しまなかったことを薄情じゃないか?と疑問を思っている時点であなたは誠実だと思います。 人の気持ちや心はとても複雑です。自然な反応だと感じました。
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- yaasan
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薄情かどうか、なんてのは勝手な個人の感想なので、そんなに気にしなくていいと思います。そのお馬さんとの関わりがどんなものなのか、深く関わっていたからといって、ずっと引きずって、他の人に迷惑をかけるのは良い事なのか、などなどを考れば、あなたの状態が決して悪いとは言い切れないと思います。 私の経験で飼い猫が亡くなった翌日、悲しさはありましたが仕事には行きました。用意をして現場に出たら、まだ誰も来てなかったので、他の人が来ない間に大粒の涙を流して泣きました。ほんの2,3分、泣いた後、涙を拭いて平然と仕事をして帰りました。私の態度は薄情でしょうか。どうでしょう?家に帰って、今一度猫を思い出し、もう病気で亡くなる事は解ってたんだから、彼もそんなに苦しまずに亡くなれて良かったんだと思うと悲しさは無くなりましたよ。自分なりに精一杯の事ができていたと思えば、そんなに悲しみに陥る事もないのかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 きっとそれなりの覚悟をしていましたし、眠るように亡くなったと聞いたのでそれだけが幸いだと思いました。 悲しむよりも感謝を大切にしていこうと思います。
- yume358
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人間の場合も動物の場合も同じだと思いますが、急逝した場合には、受け入れられない、受け入れたくないという思いが無意識に哀しみの感情を抑圧するものです。御主人に急逝された奥さんが、気丈に通夜と葬儀を乗り越えて、時間が経ってから哀しみの感情に襲われたり、体の不調に陥ったりすることはよくあります。反対に通夜や葬儀で号泣した人の場合は、その後の立ち直りが早く、数日すればケロッとしたりしています。 私は心理士ですが、そうしたことは心のメカニズムとして普通にあることです。ですからあなたの場合は、受け入れたくない気持ちから無意識に感情を抑圧しているものと思われます。決して薄情ではないと思います。時間が経ってからじわじわくるのでしょうが、感情が体の症状に置き換わることがありますので、しばらくしてから体調が優れないことが続いたら、そのためかもしれません。その場合には、あなたなりの葬儀に代わる儀式をしてあげて(写真や動画を見て合掌するのもいいでしょう)十分哀しみに浸れば、体調が回復すると言われています。
お礼
回答ありがとうございます。 人間の心の様子としてよくある事なのですね。 一気に悲しみを掘り出そうとせず、ゆっくりと浸っていこうと思います。
- head1192
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唯一自分を理解してくれ自分のためにいろいろ手配りをしてくれた恩人がなくなった。 たったの63歳。 未だ悲しみを感じないし当然涙も出てこない。 でも毎日思い出す。 「彼女が見ていたらどう思うだろう?」と自省する。 時々無性に話をしたくなる。 悲しみは感じないけど、彼女との対話は一生続くと思う。
お礼
回答ありがとうございます。 悲しみを感じなければそれはそれでいいのでしょうね。 自分の中でしっかりと整理していきます。
- nekonico
- ベストアンサー率54% (106/193)
まず、そのお馬さんの安らかな眠りをお祈りいたします。 聞いた時はショックだったけれど、実感がないとのこと、 少し時が経ったら「ああ、いないのだなあ・・・」と思うことがあるかもしれません。 それだけいい思い出をそのお馬さんと築けたのではないでしょうか。 宝物ですね。 薄情ではないです。 お別れの仕方は人それぞれです。 きっとご質問者さまだけの素敵な思い出があり、 これがご質問者さまのお見送り、なのではないでしょうか。 天寿をまっとうされたそのお馬さんがくれたものを大事に生きていかれてください。 寒くなります。 ご質問者さまもどうぞご自愛くださいませ。
お礼
回答ありがとうございます。 自分の感情と向き合って、悲しむのではなく感謝していこうと思います。
- hirokisake
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普通の人でも(他人の馬が亡くなった理由にもよるが)、 いつ迄も悲しみませんよ。 誰でも自分の生活に追われているから、いつ迄も泣くヒマはない。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、割り切って生きていこうと思います。
- kanekanemoney
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一昨日、犬が亡くなりショックでしたが楽しく過ごせたし、病気でしたが長く苦しむこともなく、幸せそうに生きていたので悲しいというのも少しおこがましい気もして、ただ感謝と自分は頑張って生きるぞ!という意識が芽生えただけでした。 個人的に、何でも亡くなったら終わるだけで、 それは変えようもないし何を思っても、しても、 報われたり労いになったりする気がするだけで生きて残された者の自己満足に過ぎない気がして、 出来ることは、思いを馳せ何かしら生きる糧にしたり感謝したりすれば、それで充分だと思う。 なので薄情というより、亡くなってどう思うかに抗わず素直に受け止めて生きればいいですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 悲しむよりも感謝しないとですよね。 自分の感情と向き合っていきます。
- blazin
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仮に薄情だとしても、あなたには薄いけれどあなたらしい情がある。老馬の死は、あなたにそこまで劇的なショックを生まなかった。それこそ薄い喪失感のような、あまり留まるような感覚では無かった。その報告を知らされた時はあなたもしっかりとショックを感じた。ただ、改めて生き生きと活動しているお馬さんの姿を思い出す中で、あなたの中に再び軽やかな感情が浮かんできたのも事実。無くなってしまったのは事実だけれど、あなたの中には目を瞑ればしっかりと思い出でありイメージが残っている。今もどこかを走り回っているような、それこそ馬にしか行けない特別な世界(ゲート)に進んでいったような。あなたの書いている実感が無いというのは実際にそうなんだと思う。あなたの目の前で何度も倒れたり、悶絶したり。苦しそうな姿を目の当たりにしていての死であれば、それなりにリアルな肌感覚として伝わってくる。確かによく通っていた乗馬クラブだけれど、そこまで密だった訳でも無い。注ぎ込むように愛情を与えるというよりは、軽やかに伴奏するような目線で、ライトな協調であり波長をシェアしていたあなた。亡くなったという訃報が届いても尚、その死がリアルに感じられないのはあなたらしい感じ方。無理やり悲しいという感情を掘り起こす必要は無い。ゆっくりと噛み締めるように感じていく悲しみもある。時間差でジワジワと生まれてくる喪失感もある。今の時点で急いで決めつけたり、薄情云々という極端な裁きを自らに与えない。こうして自分が薄情なのかと悩んでいる事も、ある意味そのお馬さんの死がもたらした(あなたの)不安定。大きく解釈すればそれも悲しみの姿。落ち着いていないから薄情問題で悩んでしまう。悲しめていないとあなたは書いているけれど、お馬さんの死に「共振」している、影響を受けているという意味では悲しんでいるのとほぼ同義。あなたにはあなたなりの感じ方がある。人と比べない。勝手に薄情問題で自分を責めているあなたをもしその老馬が見たら、とても悲しむよ?もっとゆっくりと変化に対して向き合っていける心のゆとりを。長い目で変化に向き合っていける優しいあなたを。大切にしてみて☆
お礼
回答ありがとうございます。 確かに無理やり掘り起こしてくることでもないですよね。 ゆっくり悲しみにひたっていこうと思います。
- Ringojam6624
- ベストアンサー率52% (10/19)
うわ、わかります。 私も大好きなおじいちゃんが亡くなった時、どうしても実感がなくて泣けなかったし、いないって感じもしないので悲しくありませんでした。 結局、私が泣いたのは半年ほど経ってまた帰省した時、必ず座って出迎えてくれるおじいちゃんがいないのを見た時です。 なので、主さんもおっしゃる通り実感が湧かないからだと思います。 そりゃあ…どこかにいると思ってしまうなら、生きてると思ってしまうので悲しくならないのも当然です。 元気に生きてる人の写真を見て悲しくならないのと同じです。 ですが、いつか死んでしまったと実感した時、悲しくなると思います。 案外みんなそんなもんだと思いますよ。 ご冥福お祈りいたします。
お礼
回答ありがとうございます。 もっとゆっくりあの子の死を実感していこうと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 余談?になりますが、あの子が亡くなる数日前、もう立つことができず、横たわったまま何かを食べることしかできていない様子をみて、最後の世話をしました。 獣医さんによれば脳に問題があったそうで、その時それなりの覚悟はしていたのかもしれないです。 無理やりに悲しまずにあの子に感謝しながら生きていこうと思います。