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強迫性障害から解放された時
強迫性障害は少なくとも常に?のうに強迫となる行為の思考や考えが潜在してるとおもいますが、それがなくなったとき強迫性障害から、解放されてる時で、様々なことを考えれる余裕がでてくるとおもうのですが、このなくなっている時というのは自分でわかるなものなのでしょうか?また自分でわかるかならどういった時がそうゆう時なのでしょうか?ぜひとも教えて頂けれたらと思います。
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かつて精神科クリニックでカウンセラーをしていた者です。そのあたりの感覚は強迫性障害をお持ちの当事者さんでなければ本当にはわからないのでしょうが、「最近あまりこだわらなくなったんですよね」という言葉はよく聞くことがありました。それがあなたのおっしゃる解放と同じなのかはわかりませんが、同じなら自分でわかるということになりますね。
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- ノーバン(@nobound)
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回答No.1
まあ強迫性障害など人間関係の病気は、すごい内面のダークマター(よくわからない闇)のかたまりのようなもので、一応その解放は3つかなと。 1. 周りなど考えず、一辺に吐き出す、無差別攻撃事件など。 2. 施設など、学校のような所、専門家のいる所で、時々爆発しながら、反抗期をやって、吐き出していく。 3. もう社会の中で社会人として生きていくには、宗教家、精神科医、カウンセラーなど受容的な人のアドバイスを受け、氷を溶かすように、少しずつ解放していく。周りに爆発できない分、時間がかかる。薬と認知療法など。 1も2も3も、本来、親の役割なんですが、親がダメな時の代替がなかなか無い感じでしょうか? 1は駄目だし、2は周りが大変だし、3は適切なアドバイスができるかどうか。