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総合病院にて
父ですが70代後半で認知症があります。最近、生活していると突然、意識を失う事が あり総合病院で検査をしてもらう為に入院しました。 入院して1週目はリハビリをしたり薬を調整したりしていたのですが、2〜3週目に なるとタンが絡むようになり、入院4〜5週目には夜間にタンの吸引をするように なりこの頃に病院から「あとは看取りです」と言われました。 その後、数週間で父は亡くなりました。 父はもともと検査で入院していただけなのに、なぜタンが絡んだり亡くならなけれ ばいけなかったのでしょうか? 総合病院は詳しいことは言いませんでした。 別の病院の医師は「そう言う制度になっている」と話していました。 私は、それを聞いて意味がいまだに分かりません。 父が亡くなって数ヶ月たちますが、毎日泣いています。 少しでも何かわかる方教えていただきたいです。 どうしても、父が亡くなった理由や原因がしりたいというか 事実に近づきたいのです。 どうぞよろしくお願いいたします。
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- sp550uz
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三度のNo.2の回答者です。『すご腕の情報調査会社でも探して調査してもらうのが良いのではないか』と考えられていらっしゃるようなので、この度の補足について回答するべきなのかどうか、大いに悩みました。 つまり、『そうすることでしか、貴殿の疑問を解決する方法がないようでしたら、私が何を言っても「弁明」にしか捉えて頂けないのだろう』と思ったからです。無論、貴殿のその思いを留めることは、私には出来ません。 ただ、現場で働いている者として、『看護師』という立場から最低限のことはお伝えしておきたいと思い、記させて頂きます。貴殿の補足におきまして、度々「あなた(私)自身を悪く言うつもりはありません」と記して頂きましたこと、心より感謝申し上げます。 『医療従事者は亡くなっていく人は日常的に見ているかもしれません』という文章ですが、コレだけは、強く言わせて下さい。人が亡くなる場面は、いつでも『非日常的な場面』です。人の死に慣れることなどありません。ターミナル病棟は、無情な体験を、日々、繰り返しています。 『その人が亡くなれば病院との関係は切れます』と仰いますが、どんな場面でも『出逢った』時点で、赤の他人では無いのです。ひと言二言語り合っただけでも、1~2週間も一緒に居れば、情がわきます。元気に退院する姿を思い描きながら、日々の業務に努めています。 『食欲改善を目指すべきでは?』・・・まさに、仰るとおりです。そして、当然、実践しています。食事内容やリハビリメニューの見直し、検査データや会話の中から、様々な工夫を施します。看護計画の立案・実施・変更は、日常茶飯事です。そのための時間は、時間外労働になる事もしばしばです。 動けない患者さんは、お腹もすきません。また、食事に関しては、誤嚥に注意しながらゆっくり食べさせなければいけませんし、口をつぐんで拒食される方に寄り添うので(根負けして食べてくれないかなー、などと思いながら)看護師や介護士が自分の休憩時間を費やして時間を共にする事も多いです(…というと、それを時間内にやるのがプロですよ、出来ないからサービス残業が当たり前でしょ、と上からも世間からも言われるのです。そして看護師・介護士が辞めていく…)。 それでも! それでも!! 改善が見られなければ、CV(中心静脈栄養)や、胃瘻で栄養を送ります。本来、食事は、気の合う仲間(家族)と一緒に食べるからこそ、美味しく感じます。時間が合えば、ご家族に食事介助をして欲しいのですが、「忙しいから」「それは病院の仕事でしょ」「プロなんだからさ」と拒否されることも多いですし、ここ数年はコロナ禍で面会さえもご遠慮して頂かざるを得ない状況です。 『薬のせいで・・・』は、どんな薬を、どれくらい服用されていたか分かりませんし、必要以上(既往歴から懸念される副作用などは、現在、薬剤師の方からストップがかかります)の服薬はされていないでしょうし、『日常的に起こるのでしょうか』と問われても、私には『起こることでは無いと思います』としか言えません。 『家族は「看取りを」と言う言葉を待っていますか?』:待っているわけが無いでしょう。言う方も辛いです。ですが、いつ、何が起こるか分からない(つまり、いつ逝くか分かりません、それだけ、予断を許さない)状況で有ることを伝えるために、『心の準備をしておいて下さい』という意味でお伝えします。 スミマセン。何を言っても、言い訳にしか聞こえないと思います。それは仕方の無いことだと思います。貴殿のご納得頂ける策をご提案できず、誠に申し訳ございませんでした。これにて失礼いたします。
- toshi0619
- ベストアンサー率50% (1/2)
何にしろ、病院側には求められた場合の説明責任はあるはずです。しっかり説明しないのは病院側のルールー違反です。一度弁護士事務所に相談なさってはどうでしょうか。医療事故等を専門に扱っているところがお近くにもあるはずです。
補足
ありがとうございます。 病院が回答者様のおっしゃるルールを守るかどうか ものすごく疑問です。それにその病院は私の住んで いる地域では大病院です。普通の弁護士では 太刀打ち出来ないと思います。ですので通常考えられる やり方では厳しいのではないか?と考えており まずはすご腕の情報調査会社でも探して調査しても らうのが良いのではないかと考えております。 もし回答者様がその様な会社をご存知ならお答え いただけませんでしょうか?
- sp550uz
- ベストアンサー率49% (544/1091)
No.2の回答者です。補足をいただいたので、それについて記させて頂きます。 身体拘束が父の精神に大きく影響を及ぼした:認知症の有る無しにかかわらず(ですが、自己抜去は認知症の方に多いのですけど)、良くない事(影響が有ること)は、施行する側も理解しています。それでも『しなければいけない』という心苦しさは、医療サイドにもあります。 「セレネース」でしょうか。痰が多くなる副作用の記載はありませんし、「父が理解して食事をしなくなっていった」事とは、あまり関係が無いように思います。 『食事を取らなくなり』という時点で、「看取りを…」と告げられたのでは無いかと察します。逝く前は、概ねそういう兆候が見られます。「家に帰りたい(家の食事が恋しい・病院の食事が美味しくない)が為のボイコット」と捉えられる方も居ますが、『死期を悟ったが故の行為(食欲自体がなくなる)』とも考えられます。要因は断定できません。 「自力で歩けてたのに、入院してまもなく逝ってしまった」ということに納得がいかないのは、重々理解できます。ですが、そういうケースも少なくはありません。また『病院の幹部と医師だけが知っている制度があり、生かす医療治療とは逆に看取りへ向かう行為をする』という事は、あり得ないように思います。 延命措置においても、するかしないかは、ご家族の意向に沿います。「私が病院関係者だから、同業者の肩を持っている」と判断されても致し方ないことですが、常々、そのようなウラ事情で運営されているのなら、他の医療従事者や関係者からの信頼もなくなり、潰れるでしょう。 そして、『貴殿の不注意が無ければ…』ですが、例え私と娘に同じような出来事があったとしても、私は娘を責める気持ちは微塵もありません。むしろ、その出来事が娘の心を痛ませていることに詫びたい気持ちになります。 「一緒に生きてくれたこと」「こんな自分(親)を慕ってくれる事」、そして何より「生まれてきてくれたこと」だけで、十分、十分、嬉しいのです。私は、子ども達の笑顔があるから、今でも踏ん張って、頑張れています。何よりの『元気の素』なのです。 おそらくは、貴方の心に空いた大きな穴は『時間でしか癒やせない』のでしょう。後悔は消えません(私も幾多の後悔があります)。「反省しても後悔しない」という言葉もありますが、私には、後悔を反省に転換できない物事があります。だからこそ、何時でも思い出せる(思い出してしまう)のです。 再度の長文・駄文・誤字陳謝。ご納得いかない点は多々お有りかと存じます。誠に申し訳ございません。
補足
NO2の回答者様 返信ありがとうございます。 今から思えば、身体拘束を許可しない方がよかったのかもしれ ません。また、家族のエゴで意識消失なんて調べなければ 良かったと思います。本当に悔やんでいます。悔やんでも くやみきれません。 自宅では痰はなかったが、病院では夜間に6回も痰の 吸引をしていたのは事実です。「セレネース」では ないとしても薬のせいとしか考えられないように 思います。病院では、こういう事は日常的に起こるので しょうか? 「食事をとらなくなり」の時点で食欲改善を目指すべきでは ないのでしょうか?家族は「看取りを」と言う言葉を待って いますか?分からないです。医療なら「食欲が改善してき ました」ということを目指して治療するべきではないで しょうか? 「自力で歩けてたのに、入院して」ですがそういうケースも 少なくはありません。 そういうケースを改善していくのが病院の役目ではないで しょうか?亡くなっていく人を1人でも減らしていくのが 病院の役割ではないのでしょうか? 回答していただいて意見をいう気はありませんが医療従事者 は亡くなっていく人は日常的に見ているかもしれませんが 家族にとっては一生の事です。その人が亡くなれば病院との 関係は切れますが、家族には一生思いが残ります。 スミマセン。回答者様を悪くいうつもりはありません。 「病院の幹部と医師だけが」回答者様のおっしゃるとおり だと思います。 ほかに回答いただいた長文に返答したいのですが長くなり ましたのでここまでにします。 回答いただきありがとうございます。
- toshi0619
- ベストアンサー率50% (1/2)
「そう言う制度になっている」とは詳しいことは話せない制度になっているという意味でしょうか?だとすれば、そんなことは絶対にないはずです。あなたが納得できないのであれば、納得できるまで戦うべきでしょう。
補足
「そう言う制度になっている」とは私も回答者様と一緒の 考えで詳しいことは話せない制度という意味なのでは ないか?と考えています。病院や医師の中である程度 線引きがあってそれを超えている患者は治療ではなく 看取りへ向かう行為をする。ですが病院や医師はこの事は 話せない。つまり病院に聞いても詳しい話しは聞けない のではないか?と思っています。 納得できないので、理解できないので戦いたいというか 真相に近づきたい。こういう場合にはどうやって事実に 近づくと良いのでしょうか?
- candymint1120
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これは私の叔父と同じですが寿命です。 真相に近づきたいと言ってもタンを機械で吸い取り続けても延命治療にしかならず、本人はのぞまなかったと思いますよ。
- sp550uz
- ベストアンサー率49% (544/1091)
まずは心より、お悔やみ申し上げます。 認知症の家庭内介護は、かなり大変だっただろうと思います。『生活の中で、突然意識を失うことがあり』という段階で、『寿命(天寿)』だったのではないかと察します。 『検査』という項目で、何を検査したのでしょう。レントゲン、血液、CT、MRI等々…。認知症の診断が降りてる時点で、受診の経歴はお有りでしょうし、脳の萎縮や梗塞は(程度の差は様々でも)あったと思います。 検査という名目で入院したとしても、そこからの全回復は、(誠に申し上げにくいのですが)無理です。一週目のリハビリや薬の調整も、正直なところ、一週間でリハビリの成果や薬の効果を判断する事は出来ません。薬を調整して服薬後の結果を判定するのに、一週間では短すぎます。 入院する前の生活は、単身で歩けるくらいだったのでしょうか。それとも、ベッド上で過ごされていたのでしょうか。それ(ADL:日常生活動作の可能範囲)によっても、健康の度合いが変わります。 つまり、「突然死(あるいは、医療ミス)」か「老衰」か。痰が絡むようになったこと(咳での自己喀痰が難しくなった場合)は、『呼吸機能の低下(老化)』の兆候です。痰を吸引しなければならなくなった時点で、ある程度『命の危険(あるいは、寿命)』を悟らなくてはなりません。 皆が皆、平均寿命(余命)まで生きるとは限りません。生かす医療・治療はありますが、天寿天命を伸ばす事は不可能です。私にも『別の病院の医師は「そう言う制度になっている」と話した』という内容が、理解できません。 ですがおそらく、寿命を全うする時期だとしても「『検査入院』という名目で入院させると言わざるを得ない」という意味だったのかなと考えます。また、「あとは看取りです」と言われた時点で、「回復の見込みが無い状態にあること」を理解して頂きたい。『突然、意識を失う事があり』というのは、『生死の境を彷徨っている(三途の川を行き来している)』という段階でもあるのです。 身内の死を受け入れることは、すぐには出来ません。それが普通です。親しくしていて、愛情があればこそ、の『(故人を想う)必要な時間』なのです。 長文・駄文・誤字陳謝。慰めにもならず、貴殿が納得される内容でも無いとは思います。ですが、50歳を過ぎた看護師として、思うことを淡々と語らせて頂きました。失礼いたしました。
補足
お悔やみいたみいります。 認知症の家庭内介護は大変でした。 かかりつけ医は町の内科医でその先生がおっしゃるには 「認知症には特効薬はないから」とおっしゃるので 認知症を診ていただいている医師はいない状況で探そうとも しなかった。これが最大の間違いだったと思っています。 かかりつけ医が内科医なので介護度も低く介護サービス が受けられず全て家人でしていて大変極まりない状況 でした。 「検査」は回答者様がおっしゃるとおり、レントゲン、CT MRI,血液等いろいろとしました。 病院の主治医には2度ほど説明を受けた事がありました。 その中で「あと1年か2年ぐらいの寿命かもしれませんが 今は死ぬような病気はない」とおっしゃっていました。 ですが、「意識消失は、入院していてそれが起こった時に検査 しないと分からない」と言われていました。 そう言う中で、日中にタンが絡むようになり、夜間にタンの 吸引までするようになりました。そして、父は食事も しなくなりました。 入院する前は、杖をついての自力での歩行はできていました。 立位でのふらつきもありました。トイレは8割くらいは自分で できていましたが、あとの2割はトイレ外でしてしまい家人が 処理。普段は日中はデイサービス、9時から16時を週4回で ほぼこれをこなしていましたが亡くなる前の年は、年に4回入退院 を繰り返していました。食事は自力で出来ていました。むせる ことはないし、医師の指示どおりとろみをつけて食べていました。時間があるときには、ドライブやさんぽを家人が連れて行ってました。着替えや歯磨きは家人が手伝い、風呂はデイサービス で入ってました。 タンが絡むようになったのは、私は薬のせいではないかと考えて います。父は認知症があり、点滴や接続されている機械を 外してしまうという事を言われていました。ですので身体拘束を 了解しなければならず、これも父の精神に大きく影響を及ぼした と考えております。病院で処方された「セルネース」という 薬がタンを発生させていたのではないかと考えています。その薬が混ざっている食事だと父が理解して食事をしなくなっていった のではないかと考えております。 検査入院の直前は、便秘で摘便、食事を取らなくなり、点滴で 栄養補給をしていました。 自宅では、タンが絡むということはありませんでした。 別の病院の医師が「そう言う制度になっている」と話したことに ついては、わかりませんか。 こういった事は、ありませんか? 病院の幹部と医師だけが知っている制度があり、生かす医療 治療とは逆に看取りへ向かう行為をする。別の病院の医師は 詳しく話せないがそう言う制度があると言いたかったのではないかと思いますが、どうでしょうか? 「突然、意識を失う事がある」という事ですが、亡くなる前の年 さんぽに連れていった時に、父を大きく転倒させてしまった事 がありました。頭を大きくコンクリートにぶつけてしまい その時は、擦り傷で病院で検査してもらったところ、問題なし だったのですが、もしかしてそれが「突然意識を失う事がある」 原因だったのではないかと思っています。この事やその場所へ 行ってみると涙がとまりません。私が父の亡くなる原因を作った のではないかと後悔や失意しか残りません。 身内が亡くなって、意欲や気力がわきません。 人生を生きていく意味を失いました。誰からどんな話しをされても何も感じません。 父には本当にお世話になり、返しきれない程の恩があったため 父が認知症になってからは、介護が私の仕事だと思ってしてきました。介護と私の事と両立していた時期もありましたが、介護 一本でしていくと調整を終えたあとすぐに父は亡くなりました。 「お悔やみ申し上げます」と言う言葉の意味を父が亡くなって から知りました。痛感しています。 これから先も、後悔は引きずっていくと思います。
- takochann2
- ベストアンサー率36% (2420/6678)
検査入院で入院中にお亡くなりになるというのは通常ないことですから、十分説明を受けましょう。病院にはその義務があります。 意識を失う疾患で、死因となるものもありますが、今回はそれが原因なのか。あるいは入院の理由とは関係なく、入院中の何らかの併発症が原因なのか(よくある誤嚥性肺炎だと痰の吸引をすることがあります)、と言ったところが重要なところだと思います。 「そういう制度」とはどういう制度のことでしょう。詳しく説明しないことではないと思いますが・・・
補足
検査をする前の年に父は1年間で4回ほど入退院を繰り返していました。その4回の入院の記録を全て確認しましたが、涙が止まりません。 父は認知症のために、点滴や接続機器を自分で外そうとします。 ですので家族が身体拘束を了解するしかないのですが、これが 父の精神的ダメージの大元で父と病院スタッフのその身体拘束を するしないのやり取りが記録されており、全てはつらくて確認出来ませんでした。 病院は説明の義務があります。説明はしますが真実や事実ではないと思います。ですので、どうすればいいかわからないのです。 意識消失の原因はいろいろな検査をしても分からなかったと 病院は説明していますが主治医から2度ほどあった説明では 「誤嚥性肺炎の残りは確認していますが死ぬような病気は ありません。ですが、寿命は1~2年くらいだと思います。」 話されました。 入院中に肺炎や微熱が出たりはありました。入院の全記録を 取れば良い気もしますが、どうすれば良いのでしょうか? 「そう言う制度」はわかりませんか。 医師だけが知っている人には話せない制度があるの でしょうか?
お礼
NO2の回答者様 度々の回答をいただきありがとうございます。 このお礼を書くために、数日間悩み考えました。 ですが良い返答がみつかりません。 NO2の回答者様は医療従事者として私が 分からない事を教えていただきありがとうございます。 これからも医療従事者として沢山の人を救って あげて下さい。 沢山の回答とお時間をいただきありがとうございました。