littlekiss の回答履歴
- 悪という概念の役割について
江原氏(スピリチュアカウンセラー)の本を読んでいたところ、守護霊の話についての部分で、 「守護霊はどんなにその人が悪党であっても見捨てずに最後までよりよい方向に導こうとする」 というような内容が書かれていました。 そこで、ある仮説を立てました。 天上人(霊界、あの世の人)には悪という概念がない。 考えてみると悪という概念は他者(神、他人、動物、自然、物)との関係の上でしか存在しないと考えられます。 すると、肉体を持たない天上人にとって他者は存在するにしても関係自体にたいした意味を持たないのではないでしょうか。 働く必要も、食べる必要も、眠る必要もないのですから、他者との関係を必要としないはずです。 他者との関係が極端に希薄な彼らにとっては「悪という概念」は事実上無意味に等しいのではないでしょうか。 すると、肉体を持たない天上人にとって『善』は蓮の花のごとく美しいものでしょうが、肉体を持ち他者との関係を維持せねばならない我々にとっては時に非常に危険な代物となりうるわけです。 地獄への道は善意によって舗装されているなんて言葉が示すとおり、本質的に独善としての側面を持っているのですから。 そこで、結論として、 『善』の暴走を阻止するため、リミッターの役割として「悪という概念」があるのではないでしょうか。 「悪」とは独善という名の『善』なわけですから。 皆さんはどう思われるでしょうか。 ちなみに、死後の世界があるとか無いとかは気にしないでください。
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- 哲学・倫理・宗教学
- shift-2007
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- 志賀直哉、あるいは、天衣無縫の美
ずっと前に志賀直哉の魅力を論じようという問いがありましたが、考えているうちに投稿しそびれてしまったので、私が今度は質問してみることにしました。 芥川と志賀が比較されることがしばしばあります。考えに考えて書いた芥川に対し、思ったように気の赴くままに書いた志賀という構図です。しかし、こうした天衣無縫は、近年、必ずしも「美」とはみなされなくなってきたように思います。志賀的な天衣無縫の美についてどのように考えるか。志賀に限らず、天衣無縫と考えられる文学作品を例に、ご意見をください。
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- 文学・古典
- noname#145704
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- 志賀直哉、あるいは、天衣無縫の美
ずっと前に志賀直哉の魅力を論じようという問いがありましたが、考えているうちに投稿しそびれてしまったので、私が今度は質問してみることにしました。 芥川と志賀が比較されることがしばしばあります。考えに考えて書いた芥川に対し、思ったように気の赴くままに書いた志賀という構図です。しかし、こうした天衣無縫は、近年、必ずしも「美」とはみなされなくなってきたように思います。志賀的な天衣無縫の美についてどのように考えるか。志賀に限らず、天衣無縫と考えられる文学作品を例に、ご意見をください。
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ずっと前に志賀直哉の魅力を論じようという問いがありましたが、考えているうちに投稿しそびれてしまったので、私が今度は質問してみることにしました。 芥川と志賀が比較されることがしばしばあります。考えに考えて書いた芥川に対し、思ったように気の赴くままに書いた志賀という構図です。しかし、こうした天衣無縫は、近年、必ずしも「美」とはみなされなくなってきたように思います。志賀的な天衣無縫の美についてどのように考えるか。志賀に限らず、天衣無縫と考えられる文学作品を例に、ご意見をください。
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ずっと前に志賀直哉の魅力を論じようという問いがありましたが、考えているうちに投稿しそびれてしまったので、私が今度は質問してみることにしました。 芥川と志賀が比較されることがしばしばあります。考えに考えて書いた芥川に対し、思ったように気の赴くままに書いた志賀という構図です。しかし、こうした天衣無縫は、近年、必ずしも「美」とはみなされなくなってきたように思います。志賀的な天衣無縫の美についてどのように考えるか。志賀に限らず、天衣無縫と考えられる文学作品を例に、ご意見をください。
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- 志賀直哉、あるいは、天衣無縫の美
ずっと前に志賀直哉の魅力を論じようという問いがありましたが、考えているうちに投稿しそびれてしまったので、私が今度は質問してみることにしました。 芥川と志賀が比較されることがしばしばあります。考えに考えて書いた芥川に対し、思ったように気の赴くままに書いた志賀という構図です。しかし、こうした天衣無縫は、近年、必ずしも「美」とはみなされなくなってきたように思います。志賀的な天衣無縫の美についてどのように考えるか。志賀に限らず、天衣無縫と考えられる文学作品を例に、ご意見をください。
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- 志賀直哉、あるいは、天衣無縫の美
ずっと前に志賀直哉の魅力を論じようという問いがありましたが、考えているうちに投稿しそびれてしまったので、私が今度は質問してみることにしました。 芥川と志賀が比較されることがしばしばあります。考えに考えて書いた芥川に対し、思ったように気の赴くままに書いた志賀という構図です。しかし、こうした天衣無縫は、近年、必ずしも「美」とはみなされなくなってきたように思います。志賀的な天衣無縫の美についてどのように考えるか。志賀に限らず、天衣無縫と考えられる文学作品を例に、ご意見をください。
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- noname#145704
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- 志賀直哉、あるいは、天衣無縫の美
ずっと前に志賀直哉の魅力を論じようという問いがありましたが、考えているうちに投稿しそびれてしまったので、私が今度は質問してみることにしました。 芥川と志賀が比較されることがしばしばあります。考えに考えて書いた芥川に対し、思ったように気の赴くままに書いた志賀という構図です。しかし、こうした天衣無縫は、近年、必ずしも「美」とはみなされなくなってきたように思います。志賀的な天衣無縫の美についてどのように考えるか。志賀に限らず、天衣無縫と考えられる文学作品を例に、ご意見をください。
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- noname#145704
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- TPPで全滅した先を(哲学的に)考えよう
OKWave上でもそうですが、TPPで日本は全滅するという騒ぎが、一部で起きています。私は専門ではありませんが、見聞するに、事実、全滅するだろう なと思います。私はTPPに賛成か反対かをここで議論する気はありません(哲学のカテですし、私は専門ではないので、実りある議論にならないでしょう)。 しかし、どうやら、TPPを拒否できず、受け入れざるを得ないらしいとした上で、経済戦争で日本が敗けて全滅した後、将来がどうなるか?を考えたいのです。 既存のスレッドの場合、全滅するかどうかを問題にするばかりで、悲観論で思考停止しているように思えるのです。が、日本は経済戦争を仕掛けられており、望む 望まざるに関わらず、それに対応しなければならないのも事実です。全滅だと言って騒ぐより、その後に起きる状態を前提として、開き直り、生き残るように 思考を進める必要があると考えます。このために知恵を持ち寄ろうというのが、このスレッドの趣旨です。 「全滅」後の予想図について、私の意見は次の通りです。自然淘汰に近い惨劇が起きたとしても、ある程度は人も国土も残ります。すると、どういうことになる か。この人間と土地を有効利用しようと考える者が出てくるに違いないのです。たとえば、日本人による日本の農家はいなくなるかもしれませんが、外資系の日 本の農家が生まれることでしょう。農業に限らず、産業でも、全般的に外資系が支配することになるでしょう。学校は、アメリカと対応するために、英語教育が 盛んになるでしょう。法律家も、日本の法律のみならず、アメリカの法律を熟知しなければならなくなるでしょう。一言で言えば、日本は、日本国という枠組み だけ残して、実質的にアメリカ化されてしまうことでしょう。既に今、その傾向はありますが、いっそう拍車がかかるのです。 これを「グローバル化」というより、「植民地化される」と私は表現してみたいのです。アメリカにとってはグローバル化に違いないが、日本にしてみたら、 「被グローバル化」であり、もっと直接的に言えば、体のいい属国にされてしまうのです。経済戦争には爆弾が落ちたような悲劇はないかもしれませんが、吸収 合併されてしまうという意味では同じ占領という結果が待ち受けています(日本も強いという楽観論者は、私には、太平洋戦争で相手国の戦力を見誤った軍部と 同じ失敗をしているように思えています)。もちろん、とことん合理的に考えると、軍事的な戦争で滅ぼされるよりは、さっさとTPPで国を渡した方が賢いの ではないか、という意見もあるかと思います。これを売国奴とは私は言いません。じゃあ戦争するか?と言われると、感情としては憤りがあっても、戦争はできないからです。そこで敗けるのは仕方ないとしても、被害を甚大にしない敗け方を考えなければならないでしょう。いっそ、「敗け方」を徹底的に考えてみたいのです。かくして論点は、「いかにして勝つか?」という経済学の問題ではなく、いっそ、敗けをどう捉えるか、という哲学の問題となります。 さて、皆様への質問です。 (1)まず、TPPの後で、どのような未来予想図がありますか。植民地以外の発想があったら、教えてください(私はこの件について素人ですので、ご意見はご意見として尊重したいと思います。将来を予想してみたいというのが趣旨ですので、私の考えこそ示したものの、こう考えなければならぬ、というヴァイアスをかけるつもりはありません)。 (2)次に、仮に将来予想にネガティヴな点があるとして、そこで毅然として生きていくには、何が必要でしょうか。つまり、こういう事態が発生しても、残 る日本とは何でしょうか。いや、より正確に言えば、自然淘汰の原理に逆らって、残さなければならない日本とは何でしょうか。 (3)それを、具体的に、どうやって守っていけるでしょうか。 繰り返しになりますが、全滅だと言って騒ぐより、その後に起きる状態を見越して、それでもなお、大切なものを残して生きられるように準備する方が建設的だと考えます。
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#145704
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- TPPで全滅した先を(哲学的に)考えよう
OKWave上でもそうですが、TPPで日本は全滅するという騒ぎが、一部で起きています。私は専門ではありませんが、見聞するに、事実、全滅するだろう なと思います。私はTPPに賛成か反対かをここで議論する気はありません(哲学のカテですし、私は専門ではないので、実りある議論にならないでしょう)。 しかし、どうやら、TPPを拒否できず、受け入れざるを得ないらしいとした上で、経済戦争で日本が敗けて全滅した後、将来がどうなるか?を考えたいのです。 既存のスレッドの場合、全滅するかどうかを問題にするばかりで、悲観論で思考停止しているように思えるのです。が、日本は経済戦争を仕掛けられており、望む 望まざるに関わらず、それに対応しなければならないのも事実です。全滅だと言って騒ぐより、その後に起きる状態を前提として、開き直り、生き残るように 思考を進める必要があると考えます。このために知恵を持ち寄ろうというのが、このスレッドの趣旨です。 「全滅」後の予想図について、私の意見は次の通りです。自然淘汰に近い惨劇が起きたとしても、ある程度は人も国土も残ります。すると、どういうことになる か。この人間と土地を有効利用しようと考える者が出てくるに違いないのです。たとえば、日本人による日本の農家はいなくなるかもしれませんが、外資系の日 本の農家が生まれることでしょう。農業に限らず、産業でも、全般的に外資系が支配することになるでしょう。学校は、アメリカと対応するために、英語教育が 盛んになるでしょう。法律家も、日本の法律のみならず、アメリカの法律を熟知しなければならなくなるでしょう。一言で言えば、日本は、日本国という枠組み だけ残して、実質的にアメリカ化されてしまうことでしょう。既に今、その傾向はありますが、いっそう拍車がかかるのです。 これを「グローバル化」というより、「植民地化される」と私は表現してみたいのです。アメリカにとってはグローバル化に違いないが、日本にしてみたら、 「被グローバル化」であり、もっと直接的に言えば、体のいい属国にされてしまうのです。経済戦争には爆弾が落ちたような悲劇はないかもしれませんが、吸収 合併されてしまうという意味では同じ占領という結果が待ち受けています(日本も強いという楽観論者は、私には、太平洋戦争で相手国の戦力を見誤った軍部と 同じ失敗をしているように思えています)。もちろん、とことん合理的に考えると、軍事的な戦争で滅ぼされるよりは、さっさとTPPで国を渡した方が賢いの ではないか、という意見もあるかと思います。これを売国奴とは私は言いません。じゃあ戦争するか?と言われると、感情としては憤りがあっても、戦争はできないからです。そこで敗けるのは仕方ないとしても、被害を甚大にしない敗け方を考えなければならないでしょう。いっそ、「敗け方」を徹底的に考えてみたいのです。かくして論点は、「いかにして勝つか?」という経済学の問題ではなく、いっそ、敗けをどう捉えるか、という哲学の問題となります。 さて、皆様への質問です。 (1)まず、TPPの後で、どのような未来予想図がありますか。植民地以外の発想があったら、教えてください(私はこの件について素人ですので、ご意見はご意見として尊重したいと思います。将来を予想してみたいというのが趣旨ですので、私の考えこそ示したものの、こう考えなければならぬ、というヴァイアスをかけるつもりはありません)。 (2)次に、仮に将来予想にネガティヴな点があるとして、そこで毅然として生きていくには、何が必要でしょうか。つまり、こういう事態が発生しても、残 る日本とは何でしょうか。いや、より正確に言えば、自然淘汰の原理に逆らって、残さなければならない日本とは何でしょうか。 (3)それを、具体的に、どうやって守っていけるでしょうか。 繰り返しになりますが、全滅だと言って騒ぐより、その後に起きる状態を見越して、それでもなお、大切なものを残して生きられるように準備する方が建設的だと考えます。
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- noname#145704
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- TPPで全滅した先を(哲学的に)考えよう
OKWave上でもそうですが、TPPで日本は全滅するという騒ぎが、一部で起きています。私は専門ではありませんが、見聞するに、事実、全滅するだろう なと思います。私はTPPに賛成か反対かをここで議論する気はありません(哲学のカテですし、私は専門ではないので、実りある議論にならないでしょう)。 しかし、どうやら、TPPを拒否できず、受け入れざるを得ないらしいとした上で、経済戦争で日本が敗けて全滅した後、将来がどうなるか?を考えたいのです。 既存のスレッドの場合、全滅するかどうかを問題にするばかりで、悲観論で思考停止しているように思えるのです。が、日本は経済戦争を仕掛けられており、望む 望まざるに関わらず、それに対応しなければならないのも事実です。全滅だと言って騒ぐより、その後に起きる状態を前提として、開き直り、生き残るように 思考を進める必要があると考えます。このために知恵を持ち寄ろうというのが、このスレッドの趣旨です。 「全滅」後の予想図について、私の意見は次の通りです。自然淘汰に近い惨劇が起きたとしても、ある程度は人も国土も残ります。すると、どういうことになる か。この人間と土地を有効利用しようと考える者が出てくるに違いないのです。たとえば、日本人による日本の農家はいなくなるかもしれませんが、外資系の日 本の農家が生まれることでしょう。農業に限らず、産業でも、全般的に外資系が支配することになるでしょう。学校は、アメリカと対応するために、英語教育が 盛んになるでしょう。法律家も、日本の法律のみならず、アメリカの法律を熟知しなければならなくなるでしょう。一言で言えば、日本は、日本国という枠組み だけ残して、実質的にアメリカ化されてしまうことでしょう。既に今、その傾向はありますが、いっそう拍車がかかるのです。 これを「グローバル化」というより、「植民地化される」と私は表現してみたいのです。アメリカにとってはグローバル化に違いないが、日本にしてみたら、 「被グローバル化」であり、もっと直接的に言えば、体のいい属国にされてしまうのです。経済戦争には爆弾が落ちたような悲劇はないかもしれませんが、吸収 合併されてしまうという意味では同じ占領という結果が待ち受けています(日本も強いという楽観論者は、私には、太平洋戦争で相手国の戦力を見誤った軍部と 同じ失敗をしているように思えています)。もちろん、とことん合理的に考えると、軍事的な戦争で滅ぼされるよりは、さっさとTPPで国を渡した方が賢いの ではないか、という意見もあるかと思います。これを売国奴とは私は言いません。じゃあ戦争するか?と言われると、感情としては憤りがあっても、戦争はできないからです。そこで敗けるのは仕方ないとしても、被害を甚大にしない敗け方を考えなければならないでしょう。いっそ、「敗け方」を徹底的に考えてみたいのです。かくして論点は、「いかにして勝つか?」という経済学の問題ではなく、いっそ、敗けをどう捉えるか、という哲学の問題となります。 さて、皆様への質問です。 (1)まず、TPPの後で、どのような未来予想図がありますか。植民地以外の発想があったら、教えてください(私はこの件について素人ですので、ご意見はご意見として尊重したいと思います。将来を予想してみたいというのが趣旨ですので、私の考えこそ示したものの、こう考えなければならぬ、というヴァイアスをかけるつもりはありません)。 (2)次に、仮に将来予想にネガティヴな点があるとして、そこで毅然として生きていくには、何が必要でしょうか。つまり、こういう事態が発生しても、残 る日本とは何でしょうか。いや、より正確に言えば、自然淘汰の原理に逆らって、残さなければならない日本とは何でしょうか。 (3)それを、具体的に、どうやって守っていけるでしょうか。 繰り返しになりますが、全滅だと言って騒ぐより、その後に起きる状態を見越して、それでもなお、大切なものを残して生きられるように準備する方が建設的だと考えます。
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- noname#145704
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- TPPで全滅した先を(哲学的に)考えよう
OKWave上でもそうですが、TPPで日本は全滅するという騒ぎが、一部で起きています。私は専門ではありませんが、見聞するに、事実、全滅するだろう なと思います。私はTPPに賛成か反対かをここで議論する気はありません(哲学のカテですし、私は専門ではないので、実りある議論にならないでしょう)。 しかし、どうやら、TPPを拒否できず、受け入れざるを得ないらしいとした上で、経済戦争で日本が敗けて全滅した後、将来がどうなるか?を考えたいのです。 既存のスレッドの場合、全滅するかどうかを問題にするばかりで、悲観論で思考停止しているように思えるのです。が、日本は経済戦争を仕掛けられており、望む 望まざるに関わらず、それに対応しなければならないのも事実です。全滅だと言って騒ぐより、その後に起きる状態を前提として、開き直り、生き残るように 思考を進める必要があると考えます。このために知恵を持ち寄ろうというのが、このスレッドの趣旨です。 「全滅」後の予想図について、私の意見は次の通りです。自然淘汰に近い惨劇が起きたとしても、ある程度は人も国土も残ります。すると、どういうことになる か。この人間と土地を有効利用しようと考える者が出てくるに違いないのです。たとえば、日本人による日本の農家はいなくなるかもしれませんが、外資系の日 本の農家が生まれることでしょう。農業に限らず、産業でも、全般的に外資系が支配することになるでしょう。学校は、アメリカと対応するために、英語教育が 盛んになるでしょう。法律家も、日本の法律のみならず、アメリカの法律を熟知しなければならなくなるでしょう。一言で言えば、日本は、日本国という枠組み だけ残して、実質的にアメリカ化されてしまうことでしょう。既に今、その傾向はありますが、いっそう拍車がかかるのです。 これを「グローバル化」というより、「植民地化される」と私は表現してみたいのです。アメリカにとってはグローバル化に違いないが、日本にしてみたら、 「被グローバル化」であり、もっと直接的に言えば、体のいい属国にされてしまうのです。経済戦争には爆弾が落ちたような悲劇はないかもしれませんが、吸収 合併されてしまうという意味では同じ占領という結果が待ち受けています(日本も強いという楽観論者は、私には、太平洋戦争で相手国の戦力を見誤った軍部と 同じ失敗をしているように思えています)。もちろん、とことん合理的に考えると、軍事的な戦争で滅ぼされるよりは、さっさとTPPで国を渡した方が賢いの ではないか、という意見もあるかと思います。これを売国奴とは私は言いません。じゃあ戦争するか?と言われると、感情としては憤りがあっても、戦争はできないからです。そこで敗けるのは仕方ないとしても、被害を甚大にしない敗け方を考えなければならないでしょう。いっそ、「敗け方」を徹底的に考えてみたいのです。かくして論点は、「いかにして勝つか?」という経済学の問題ではなく、いっそ、敗けをどう捉えるか、という哲学の問題となります。 さて、皆様への質問です。 (1)まず、TPPの後で、どのような未来予想図がありますか。植民地以外の発想があったら、教えてください(私はこの件について素人ですので、ご意見はご意見として尊重したいと思います。将来を予想してみたいというのが趣旨ですので、私の考えこそ示したものの、こう考えなければならぬ、というヴァイアスをかけるつもりはありません)。 (2)次に、仮に将来予想にネガティヴな点があるとして、そこで毅然として生きていくには、何が必要でしょうか。つまり、こういう事態が発生しても、残 る日本とは何でしょうか。いや、より正確に言えば、自然淘汰の原理に逆らって、残さなければならない日本とは何でしょうか。 (3)それを、具体的に、どうやって守っていけるでしょうか。 繰り返しになりますが、全滅だと言って騒ぐより、その後に起きる状態を見越して、それでもなお、大切なものを残して生きられるように準備する方が建設的だと考えます。
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- 愚民は何も考えない方がいいのか
昔の自分を振り返ると、ふとこんな事を思ってしまいます。 「大多数の愚民は小難しい事なんか考えず、素直に娯楽を楽しんでいた方が幸せなんじゃないか」と。 どうでしょうか?
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#142186
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