• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「コロナ禍をチャンスに」の考え方の中身について)

コロナ禍でのチャンスとは?

このQ&Aのポイント
  • コロナ禍をチャンスにする考え方の中身について
  • コロナ禍でのチャンスを見つけようとする考え方には、いくつかの要素があります。
  • 「コロナをチャンスにする」「ライバルに差をつけるチャンスを活かす」は他人を蹴落とす考え方ではなく、自己成長や新たな可能性を追求する姿勢を指しています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.2

この質問を見て「コロナ チャンス」で検索してみました。 コロナ禍のいまこそ、新しい顧客を見つける「販路開拓」のチャンス。 中小企業経営の研究者に聞く「コロナ禍のピンチをチャンスに変える方法とは」 コロナ禍をチャンスに!「働き方可視化」で実現する“攻め”のマネジメント ピンチをチャンスに変える為に…コロナ禍においてサービスを急成長させたセールス責任者の奮闘記 コロナ後に史上最大のビジネスチャンスをモノにする「3つの視点」 上位に出てきたページを順番にコピペするとこんなのが出てきました。 質問者さんとはだいぶ違う検索結果になったのかな?なにが違うんでしょうね。私は「いかにもなラインナップが上位に出てきたな」と感じました。 コロナ禍っていうのは社内の戦いじゃないですよね。なんていうか、異星人が攻めてきたときに韓国人を潰すにはどうすればいいかなんて考えてる場合かみたいなことで。 仮に社内競争に勝つことが目的だったとしても、それによって昇給や出世が見込めるのかなあという疑問も正直あります。質問者さんの会社的には「頑張らないといつリストラ要員に入れられるか分かったもんじゃない」というのがあるのかもしれませんが、それはモチベーションとしては結構キツいですよね。現状維持のための一所懸命さですからね。頑張っても現状維持にしかならないとなかなかやる気になるのは難しい。 2ケタ勝利の投手が一人もいないのにリーグ優勝から日本一になったヤクルトスワローズの高津監督のように、リーダーやマネジメントの在り方が変わろうとしている時代なのかもしれませんね。

Don-Ryu
質問者

お礼

>「いかにもなラインナップが上位に出てきたな」 そう!それなんです! あまりにも理想高くて、漠然としすぎで、結局何だか分からない。 いやいや、もっと日々具体的に自分の身に(良い意味でも悪い意味でも)置き換えてみなよ?と思ってしまうんですね。 こんな美しい言葉じゃ、何もモチベーションにならないんです。 >それはモチベーションとしては結構キツいですよね。 はい、日々自分に言い聞かせています。 でも、オレだけじゃないはずだけどな~、とは思っています。

その他の回答 (6)

  • zabusakura
  • ベストアンサー率14% (2381/15945)
回答No.7

リモートでの仕事、いや~楽チン。と、ご機嫌に過ごしてる、うちの娘。 勉強を頑張るは、コロナ前から当たり前。 やってる人はコロナ関係なく、やってます。

Don-Ryu
質問者

お礼

>やってる人はコロナ関係なく、やってます。 深い! 全くその通りです。 コロナ「さえ」なければ日本は万々歳だったのか?というと、決してそういう訳じゃないですよね。

回答No.6

 今日の朝日新聞にも載っていましたが、これからの生きる能力は?  自分は、新しい資本主義は、経済成長から人間的成長かと思いますが、新聞では、人間的成長なんて誰が評価するの?とあって、やはり数値化が問われるとなると、受験勉強に戻ります。  ただ、「日常に感謝」「自然とともに」「世界的視野」「100%を求めない」などは、「論語と算盤」の論語分野であり、そろばん計算で考えることなのかなとは、今後も考えます。

Don-Ryu
質問者

お礼

>ただ、「日常に感謝」「自然とともに」「世界的視野」「100%を求めない」などは、「論語と算盤」の論語分野であり、そろばん計算で考えること おっしゃる通りです。 「何気ない日常に感謝」は、それはそれで大事なことだと思います。が、しんどい毎日から逃げる言い訳にしてしまってはいけない、そう思います。 コロナだからって急に「楽な方向に」一斉に舵を切るのは、どうかとは思います。

  • Granpa1969
  • ベストアンサー率22% (619/2744)
回答No.5

>「コロナをチャンス」=「ライバルに差をつけるチャンス、勉強する」 勉強だけだとは思いませんが・・・ 差をつけるチャンスなのは間違いないと思います。 私個人がどう捉えているかと申しますと・・・ 何が変わったのか、そして何が変わろうとしているのかを捉えて動けるかどうか、培われていたはずの分析力と決断力が試されている時が来たと考えています。 蹴落とすも何も、無策無為なら自然と脱落していくだけの事です。

Don-Ryu
質問者

お礼

ありがとうございます。 「勉強」ってもいろいろありますから。笑 ただ、「コロナだから何気ない日常に感謝」と、妙に今更癒し系めいた逃げ口上はちょっと格好悪いよな、どうせならこの機会にライバルに差をつける努力を、遊ぶのはコロナ騒ぎが収まってからでいいや、 そう思うのが普通なんじゃないのか?なんて思ってしまいますね。

回答No.4

今これだけ人の「基礎体力」「基礎学力」みたいなものが弱ってしまいがちな時代に、みんなと 一緒になって「追い求めない自由な生き方!」に右へならえ」は抵抗ありますよね。 >質問者さんがどんだけ頑張っても、例え上のクラスにいけたとしても時代に固執してたらもしくは考えに固執してたら部下や同僚は、いち抜けに抜け…そしてベンチャー企業やコロナ禍ならではのサービス展開する企業を立ち上げる。 もしくはコロナ禍の中でサービスを拡大、そこに雇用が生まれ経済は再生する。 今や10代の女の子でも会社を作り、若者にヒットする商品をSNSで発信、店頭よりネット販売。ライバルはたくさん出てきています。 勉強したり資格を取るのもいいけど、そこから先の店舗、店舗にするにもどういったサービスがお客様に受け入れられるか、内装は?服装は?昔みたいな頑固親父が横柄な態度でサービスを受けられる時代じゃない。逆に炎上商法の蜜を知ってる世代だから下手したらSNSにお客様の方から隠しどられて拡散、逮捕されるケースもある。 いつかまたグローバル時代が来る!その時に備えて今は中途半端な遊びは諦めて勉強する!」 >インバウンドが見込めない=グローバルな時代は休戦状態、と言うよりもグローバルと言えば動画配信サイトが分かりやすいかと思うんですけど、今や世界の裏側からでも見られてることは確かです。現地でしか買えないものもネットで買える時代にはなってきたし、おとなりさんにハーフの子や○○系○○人のような日本では考えられないけど、そういう混血人もたくさんいます。 知り合いの知り合いが中国人や、姉や兄貴のパートナーが外国人。それも、グローバルと言えばグローバルですよね。だから、日本のみでもたくさんの地域や伝統、カルチャー、考え方があるのに、世界と言うともっとたくさん有るわけです。知らないか興味がないだけで。 私の知り合いの話ではあるけど祖父祖母の友人に欧米人がいて、英語で喋ったり、まるで方言のように喋れる人だっていますから。 また、歴史的背景上、香港や沖縄などイギリスやアメリカ文化をもろに被ってる国なんかは、欧米人と隣り合ってるわけですから、 方言のようにペラペラ英語を喋れるおじいちゃんおばあちゃんもたくさんいます。 なので、つい考えがちなのは、外資系企業に勤めたり外交で渡り合うために、難しい専門用語を連ね、英語を流暢に話すとかたぶん質問者さんはそこをイメージしてるのかもしれないけど案外日本も外国人と密な関係の人や県や地域ってあるもんですよ。

Don-Ryu
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご回答者様はそのままそこでそうやってて下さい。 私は世界に出ますので。

回答No.3

りがとうございます。 うーーーーーん。 確かに古い考え方なのかもしれませんね。 だけど、どうなんだろう? 「新しい考え方」というのは、「若いうちから最初からささやかな楽しみを追い続ける」なのかな?とは思います。 スペイン風邪が収束したように、コロナもいつか収束すると思うんですよね。今これだけ人の「基礎体力」「基礎学力」みたいなものが弱ってしまいがちな時代に、みんなと 一緒になって「追い求めない自由な生き方!」に右へならえ」は抵抗ありますよね。そんなのはもっと年を取ってからでいい、とも思いますけどね。 「コロナをチャンスに」と聞いたら皆即その考え・・・っていうのは、どうかと思いますけどね・・・ >質問者さんの考えももちろん否定はしません。特に特定の世代とかは「働く、ために遊ぶ、付き合う、学ぶ」すべての矢印が「働く」に来てる世代ってあります。仕事で居場所を無くしたくない、がために飲み会でお酌するとか。吸いたくないタバコを吸って上司や同僚と喫煙所で駄弁る。話を合わせる。「あっ、この人結構仕事してみたいかも」と思わせる。とか。麻雀やゴルフを覚えるとかそう言うのもあるけれど、今は多様性の時代だし「これをやりゃぁ、ヒットするぜ!」といった風を読むのも難しくなってる。 一辺倒の考え方だと、各団体からお叱りを受けることもある。ひとつを肯定すれば否定派も出てくる。 スペイン風邪が収束したように、コロナもいつか収束すると思うんですよね。今これだけ人の「基礎体力」「基礎学力」みたいなものが弱ってしまいがちな時代に >コロナが収束したとて街に賑わいは戻らないと思います。と言うのも、今までは出勤組が多かったけどリモート勤務になったり、時間差出勤が認められたり、または仕事なんかやめて田舎でラーメン屋はじめたりいろんな人がいろんな生き方をする時代になったからです。 ささやかな幸せとやらを、ずっとコロナというきっかけ?がなければやんなかったことをやり始める人もいます。もちろん経済を回すとかも大事だけど、今はどこもお金がないし、SDGSだったかな?の影響で、レトロなものやused品を使っては《いい味》出してるインフルエンサーを真似してたり、また新品でもC国の粗悪品でも使えりゃいいやと安いものやバエるもの見せられる程度ならいいやという考えの若者も増えてます。 昔みたく、「やっぱTakashi○ya、○越いいものを買えるように努力しなきゃな」「それが大人のたしなみだもんな」と見栄を張ってブランド品を買い漁る時代でもないです。 また、高いものだからと言って品質はいいけど長持ちするとも限らないし。メンテが怠ると駄目になり易いんですよね(余談が過ぎました) 質問者からの補足2021/12/03 16:58 「コロナで新しい生活のあり方に」 本当にそんな風になれば、それがベストなのかもしれません。が、本当にそうなるかな? コロナが収まれば、また人類は活発な経済活動を始めて、人々は便利な電化製品に群がり、天然資源を活発に消耗し、作れ、売れ、無駄遣いは美徳だ、勝ち組と負け組、 そんな時代に(幾分かでしょうが)戻る気がするんです。 景気が良くなれば、環境なんてすっかり忘れる、悲しいけど人類の歴史ですよね。 そうなった時に、「何も能力がない人」になってしまうのが怖い、そんな気持ちはありますね。 コロナが収まれば、また人類は活発な経済活動を始めて、人々は便利な電化製品に群がり、天然資源を活発に消耗し、作れ、売れ、無駄遣いは美徳だ、勝ち組と負け組、 そんな時代に(幾分かでしょうが)戻る気がするんです。 景気が良くなれば、環境なんてすっかり忘れる、悲しいけど人類の歴史ですよね。 >少し先ほどものべた通り、レジ袋は有料になるし、余計な金を使いたくないから安くても丈夫な(とりあえず10年使えれば元とれるかなくらいの)ものを買い求める。確かに消費社会は戻ってきます。しかし、扱いにくいもの、明らか自分のインテリアに合わない豪華なランプ、実用性のない飾るだけで金を食う車、なんかは廃れていくでしょうね。 今はセレブ達もデザインにおいてはそんな昔のアンティークの隅っこに追いやられているお宝品なんかは目もくれませんよ。例えるなら、朝起きてテーブルの部分に今日の天気が出てくるテーブルなのか電子機器なのかわかんないヤツとか。 猫足のソファなんかはもうなんとか夫人しか座んないでしょうね。シンプルな白いもので統一し、IoTなんかで揃えるからアンティークなんかは合わないし、ダイヤもスマホケースに加工しちゃうんだろう。 それにそういう《二極化》と言われるものも、昔ほど開きはなくなるのかなと思ってます。 例えば携帯電話は金持ちしか変えなかったとかも今じゃあり得ないし。 安いものだとダイヤだって買えなくもない。しかし、必要かと言えば必要じゃないから買わない。 別に買えないわけでもなければ経済を回せないわけでもない。けど、必要かと言われたらそんなお金があるならiPhoneのべらぼうに高いヤツ買うぜといったところです。 (またまた駄弁が過ぎました)

回答No.1

捉え方のベクトルと言うか少し違うかなとは思います。勉強するのはいいことですけど従来のやり方で通用する訳じゃなく、頭を柔らかくして考えてみるのもいいと思います。 言われてるのはコロナ以前からのことでしょ? パワハラセクハラ、暴力、アルハラ、最近は新年会がなくなったと言うニュースにツイッター界隈では「コロナじゃなくたって必要ない」とか言われてる。 退屈だ~、人とコミュニケーションとりたーいと思ってるのは自分だけで皆はそう思ってなく、好きな人同士でオンラインだってするし、飲み会だって開いてる。 コロナがなければできたのには正直言い訳の部分もありますよね。あったって無くたって本当に求めてる同士ならオンラインだってオフラインだって飲み会だってしてるんですもん。 「何もない日常に感謝するきっかけになる!」 「自然とともに生きる!」 「世界的視野で物事を見られるようになる!」 「100%を求めない生き方に気づくチャンス!」 >仕事に繋がる趣味ばかりではなく、 ヨガやストレッチ、筋トレ、キャンプ、ソロ活、家活(パンやお菓子作り、DIY)ete 一人を個人の時間を大切にしてみては? 言ってもどこまで言っても人間関係からは逃れられないけれど確かに争いがなくなるとかはあり得ないけど、張り合ったり、見栄張り合ったり、そういう生き方は単純に疲れるし、 「仕事以外でなにしていいかわかんない」という辺りがもう資本主義の頭になってるんじゃないかと私は思いますね。 非生産的だと思われることも、一周回って自分のためになることだってあるんですよ。 コロナが落ち着いたらアメリカにでもどこでもいいけど海外に在籍して、色々と学んだ方が良いこともありますよ。 机にかじりついて頭でっかちになるよりかは他文化の宗教観や倫理観、カルチャー、色々と勉強になります。日本だけが国じゃないんだから。

Don-Ryu
質問者

お礼

ありがとうございます。 うーーーーーん。 確かに古い考え方なのかもしれませんね。 だけど、どうなんだろう? 「新しい考え方」というのは、「若いうちから最初からささやかな楽しみを追い続ける」なのかな?とは思います。 スペイン風邪が収束したように、コロナもいつか収束すると思うんですよね。今これだけ人の「基礎体力」「基礎学力」みたいなものが弱ってしまいがちな時代に、みんなと 一緒になって「追い求めない自由な生き方!」に右へならえ」は抵抗ありますよね。そんなのはもっと年を取ってからでいい、とも思いますけどね。 「コロナをチャンスに」と聞いたら皆即その考え・・・っていうのは、どうかと思いますけどね・・・

Don-Ryu
質問者

補足

「コロナで新しい生活のあり方に」 本当にそんな風になれば、それがベストなのかもしれません。が、本当にそうなるかな? コロナが収まれば、また人類は活発な経済活動を始めて、人々は便利な電化製品に群がり、天然資源を活発に消耗し、作れ、売れ、無駄遣いは美徳だ、勝ち組と負け組、 そんな時代に(幾分かでしょうが)戻る気がするんです。 景気が良くなれば、環境なんてすっかり忘れる、悲しいけど人類の歴史ですよね。 そうなった時に、「何も能力がない人」になってしまうのが怖い、そんな気持ちはありますね。

関連するQ&A