- ベストアンサー
大阪ミナミ千日前
初めて質問します。 以前から気になっていたことなんですけど。 大阪ミナミにある「千日前」の名前の由来について知っている方がいれば教えてください。 元々「千日前」なのか、「千日」という建物とか行事があって、その前という意味なのかとても気になって仕方がありません。 大阪の人にとっては、常識かもしれませんが、よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
こんにちは。 下記サイトからの抜粋ですが参考になれば幸いです。 http://www.mode21.com/einbahn/020201.html 「千日前」の由来は、(1)昔、千日寺と称する精舎が存在していた、その前という意味、(2)千日念仏が唱えられたことから千日寺とも呼ばれた法善寺の前に存在するという意味がある。
その他の回答 (1)
50おやじのつぶやき(ホンマの話です) 1江戸時代の千日前にはかつては刑場があり、また大阪七墓場のひとつ千日墓場があった。竹林寺や水掛け不動の法善寺は処刑された人や墓地に埋葬された人たちの霊を慰める役割を担っていた。 2刑死した人や墓場の霊を慰める千日回向を行っていた二つの寺は千日寺とも言われ、そこから千日前の地名が生まれたと言う。今は竹林寺に詣でる人は多くはないが、線香の煙が絶えることはない。 3明治3年(1870)これらの墓地などは阿倍野斎場へ移された。その跡地では見世物小屋、芝居小屋、大阪相撲などの興業が行なわれ、大勢の人が集まるようになり刑場、墓地の暗いイメージはなくなった。明治45年(1912)の「南の大火」と呼ばれる火事で付近一帯は焼野原となったが、大正3年(1914)に総合娯楽場「千日前楽天地」が開業し、映画、演劇、寄席の町へと急速に発展した。 4竹林寺の南、道路の向かい側に昭和7年(1932)大阪歌舞伎座が誕生し、人気歌舞伎役者の出演で道頓堀と肩を並べる盛り場となった。しかしこの大阪歌舞伎座も戦後の昭和33年(1958)に興行の幕を下ろし、新しくできた新歌舞伎座にその道を譲った。 5大阪歌舞伎座の建物を改装して誕生したのが千日前デパート。このデパートは昭和47年(1972)死者118人にのぼる痛ましい火災を起こし世界中の注目を集めた。 6このように悲喜こもごもな変遷をたどった千日前だが、今は過去の暗いイメージをはじき飛ばすような勢いで発展し、若者を中心とした盛り場となりにぎわっている。 7参照URL大阪の町 写真で見る歴史 http://homepage1.nifty.com/masaaki/osaka/osaka10.htm
お礼
こんにちは。 回答ありがとうございます。 何だか悲しい歴史があったんですね。 でも、そんなことがあったことを感じさせない、今の町がさらに発展していくことを願います。
お礼
こんにちは。 早速の回答と面白そうなサイトの紹介をありがとうございます。