生活スタイルが変わった時に、それに応じた関わり方を新しく見つけていける友達関係もあれば、変化に対してお互いに受け身になってしまって結果として縁自体が解けてしまうケースもある。間が空けば空くほど、久々に連絡する時についつい余計な事を考えてしまう。本当はもう連絡を取りたくないんじゃないか?自分という存在が忘れられているんじゃないか?いきなり連絡して迷惑になるんじゃないか?距離感が変わる事で、以前のような気楽さで向き合えなくなる場合もある。実は考え過ぎで、思い切って連絡してみたら以前と変わらない友達関係を共有できる場合も多い。片方が一生懸命連絡し続けているにも関わらず距離を置かれていく友達関係もあれば、お互いに考え過ぎて見えない壁をはさんでしまう場合もある。お互いに距離感のお見合いのような状態が続いてしまい、お互いに待ちの姿勢のまま気づいたら疎遠になってしまう場合もある。実は縁自体は切れていない。お互いに温め合う作業が少し止まっているだけ。温め合う作業が止まった状態を縁が切れたと判断するのか?縁自体はそもそも切るもの(切れる)ものでは無く、お互いに温め合う姿勢によってその存在感が意識されるもの。仮にしばらく連絡をとっていなくても、疎遠な状態が続いていたとしても、そういう形でも縁は存在している。そう捉えるのか?それによっても感覚は全然違う。温め合う作業が出来なくなった時点で縁が切れたと思ってしまう人は、沢山の縁切り経験(という名の失望)をしている事になる。縁自体は切れるものでは無く、その時その時の関わり方によって感じ方が違うもの。実は無くなってはいないし、失ってもいない。そういう整理が出来ている人は、人との縁に対して長い目で向き合っていける。縁が切れたと決めつけずに、その時その時の距離感によって感じ方が違うもの=縁。そういう姿勢で人間関係に向き合っている人もいる。そういう感覚で過ごす人には縁切りという感覚はそもそも無い。どちらが良い悪いは無いけれど、同じシチュエーションでもその感じ方には個人差があるんだと思うからね。
お礼
回答ありがとうございます。
補足
一つ質問があるんですけど良いですか。前の手紙の友達の件なんですけど友達の側は「縁自体は切れていない」と思っている側だと思いますか。(変な質問だったらすみません。)ちなみに書くと、最近もう一通手紙を送りました。