※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:社会性があるのに友達がいない)
社会性があるのに友達がいない
このQ&Aのポイント
社会性を持っているにもかかわらず、なぜか友達がいないという状況について考えています。
社会性とは何か、という話になってしまうと、ずれてきてしまうと思います。真の意味でいうと、社会性はないのかもしれません。
あたしはそういうことは、できていると思います。人当たりも一見良いようです。そういうことができない人、今の世の中、いっぱいいますからね。
社会性とは何か、という話になってしまうと、
ずれてきてしまうと思うのです。
真の意味でいうと、社会性はないのかもしれません。
ここでいう社会性とは、もっと低次元の、
何かしてもらったら御礼を言うとか、後ろの人のためにちょっとドアをおさえていてあげるとか、
ある意味で必要最低限の社会性です。
あたしはそういうことは、できていると思います。
人当たりも一見良いようです。
そういうことができない人、今の世の中、いっぱいいますからね。
だのに反面、あたしには友達がいないのです。
まず学生時代の友達ゼロ。
すごくないですか?
私はゲイで、ノンケ社会とは一切かかわりを持つ必要はないと、決めてかかっていた節は確かにあります。
どうせノンケとなんてうまくいかない。
私は男の子が怖いのです。男言葉が怖いのです。
男達の共通認識が怖いのです。男の連結が怖いのです。
あたしを男として近寄ってきて扱おうとする男が怖いのです。
とにかくそんなわけで、私はノンケ社会とは一切のかかわりを持たずに暮らしてきました。
意外とそれができちゃいました。
ゲイの社会の友達関係は、わたしにとっては、ですよ?もちろん、希薄なものです。
音信普通になることもよくあるし、また、その後ちょっと復活もできます。
友達だと思ってたけどエッチしちゃうこともままあります。
だからって付き合うんじゃないんです。それはそれでおしまいなんです。
ま、いーや。
とにかくあたしは社会性があるのに友達がいないんです。
おかしくありません?
みなさんは、友達の定義ってなんだと思います?
お礼
あたくしの質問をデリケートな質問と捉えて下さり、またそれに添った丁寧なご回答。 本当にありがとうございます。 ひとつひとつ、お答えさせていただきます。 まず、性同一性障害なのかどうか、という問題です。 たしかにあなたの仰る通り、私は性同一性障害なのかもしれません。 それはじつは自分で疑ったことはあります。 しかしながら、私には、「自分の体はどうして男なんだろう?(本当は女であるべきはずなのに)」という、性同一性障害の方なら必ずお持ちになるであろう疑問(不満?)を持ったことがついぞない。 あたくしは自分の体が男であることに、何も疑問を持たないのです。 むしろ筋トレなどをして、自分の体がより男らしく見えるように、男として少しでもきれいに見えるように、整えているのです。そんなことを性同一性障害の方がするでしょうか? そういう方のすることは、筋トレでなく、ホルモン注射なのではないでしょうか? しかしながら、自分の心の様、という意味で言うと、自分はかなり女的であろう、という自覚はまたあります。 その奇妙な混淆が、この、あたし、あたしなのです。 つぎに、あなたのご回答の中に次のような箇所があります。 >僕の感覚では、親友、というような感じですが、遊びに行く程度の友人はいても、いろいろと話せる親友といったら、かなり限られますね。 ここです。 いろいろと話ができないのに一緒に遊びに行くのって、却って疲れちゃいませんか? いいえ、いいの。 これがなにか批判めいた言い方に聞こえてしまったのならそれはごめんなさいましね。 そうじゃなく、あたしはここが理解できないのです。純粋に。何も他意はなく。 あたしは色々話せないくらいならば、遊びには、一人で行きます。 なぜなら一緒にいて疲れる人とは遊びになんて行きたくないから。 あたしは音楽を聴きながら街を歩くのが大好き。散歩するのが大好き。 だから一人でどこへでも行きますよ。 映画、カラオケ。焼肉だって一人で行ったことあるわ。おいしかった。 とかいうと友達いらんねえんじゃねえの?なんて思われそうで。。 でもそうじゃないんですけどね。 まあ、確かにちょっと疎遠になった友達と、かるーくお昼食べるくらいなら、あたしもします。 ゲイの世界でどうしても肉体的な繋がりができがち、というのは、 他の人がどうかはわからないし、ゲイにもいろんなゲイがいるのは言うまでもないけれど、 それでもあたしは外れていない気がします。 もともとが性欲の強い男であること、セックスに妊娠の危険性を伴わないこと。その他もろもろ。 そうなりがちな理由をあたくしはあげることが容易です。 友達だと思ってて、なんとなくエッチな話をして、そのまま。。ということもありました。 だから、あたしの場合、真の友達に、男は、あり得ないのでは、というのは、うなずける話です。 そして最後のところ。 >例えば気が合わなくて一緒に遊びに行ったりもしないが、仕事などの苦労を分かち合える存在は、親友のように感じますし いわば戦友、とでもいうかんじなのかな。 広い心をもって、人をすぐ嫌いにならずに、 たおやかに、常に平常心で、生きていこうと思いました。 どうもありがとう。